『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

シューマン先生

2017-03-02 07:49:00 | 音楽
3月に入り
「復興支援リサイタル」まで
3ケ月を切った。

広報活動は
春休みに入ってから
やろうと準備しているが、
暇を見てはCDのコピーやら
印刷物を増刷している。

肝心の練習は、
暇を見ては少しずつ
曲の仕上げに入っている。

ただ、本番に
ピーキングをもっていくのに
あんまり根をつめ過ぎると
いつものように
“練習やだ”症候群に
なってしまうので注意している。

練習しなければ不安になるし、
やり過ぎると飽きてしまうので
その加減が難しい。

春先は例年
体調不良気味なので、
仕事と休養と練習とを
バランスよくしないとである。

何せ若い頃のような
回復力がなくなってきたのを
実感している。



シューマンの音楽論を読んで、
勉強になった。

殊に、
『座右の銘』には
含蓄ある言葉が“師の教え”のように
煌めいている

「やさしい曲を上手に、きれいに、弾くよう努力すること」

「悦びも生き生きした気持ちもなしに弾くくらいなら、
 むしろ休んでいる方がいい」

「技巧は、より高い目的に奉仕しているときだけ、価値がある」

「指は頭の望むものをやればいいので、
 それが反対になってはいけない」

「指だけでなく、頭にも心にも音楽を持っているようならば、
 音楽的といえる」

「音楽の勉強につかれたら、野外へもたびたび行くこと!」

なんだか、
シューマン先生が
直接語りかけてくるようで、
コンサートを控える身に
浸み込むような
言葉の数々であった。




海外での
錦織選手の試合の様子を
ダイジェストで観ることがあるが、
彼はたびたび激昂して
ラケットに当って壊すので、
先日の『サンデーモーニング』では
張本と藤本の両御大に
「大渇!」を喰らっていた。

なるほど、
あのイチローが
三振やら落球して
バットをへし折ったり、
グラブを裂いたりする、
というのは、道具を大事にする
彼の生き様からはあり得ない。

元王者フェデラーにも
そのような見苦しい様は
報じられたことがない。

若い頃の天才マッケンローだけは、
メチャクチャな悪童ぶりで
何度もマナー違反で
制裁を喰らっていた。






『もーれつア太郎』を7巻まで
読んできたが、途中から、
ア太郎やデコっ八から
ニャロメが主人公っぽくなっている。

かつては
一世を風靡した
トリックスター的キャラである。


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