『人生を遊ぶ』

毎日、「今・ここ」を味わいながら、「あぁ、面白かった~ッ!!」と言いながら、いつか死んでいきたい。

  

寒いのぅ・・・薄暗いのぉ・・・

2019-07-17 06:19:00 | 製本
梅雨前線や寒気団の影響で、
東京は記録的な
日照不足になってるという。

行った事はないが、
ロンドンやヨーロッパの
曇天続きの日というのは
こんな感じなのかもしれない。

なので、連中は
ちょいと陽がさすと、
すぐに公園でも河畔でも
肌脱ぎになって
日光浴するんだろうか。

それにしても、
ほんに、毎日、
寒いのぅ…薄暗いのぉ…
といった感じではある。

でも、熱中症体質のジジイにとっては
猛暑よりかはずっといい。

涼しくて
夜に熟眠できるもんねぇ。






きのうは珍しく、
なんだか朝からエンジンがかかって、
上半期のブログ270頁分を
2冊に分冊して製本した。

2017年までは、
どうにか一年分が
300頁に収まって
ぶ厚い一冊ですんでいたが、
去年あたりから450頁を越して
分冊化せざるを得なくなった。

製本化にあたっては、
改行なしのベタ組で
フォントを一回り小さい
9ポイントにして、
画像も親指の爪ほどの大きさである。

それでも、
この分でいくと今年は
550頁近くになりそうである。

「日々、深生き」をモットーに、
閑職になるや、丁寧に雑感を
綴るようになったので、
『徒然草』や『方丈記』のように
なってきた感がある。

令和の隠遁者の
日記文学でもあり、
晩年を意識しだしたので
「散文的遺書」のつもりなのかもしれない。

自分だけのための製本なので、
ワンコイン頒布品よりは
大分と手抜きでやる。

『コスモス』で
カール・セーガンが
「本とは、印刷物を束ねて綴じた物」
と端的に言うのを聞いて、
なるほど、そうだなぁ・・・と、
感心したことがある。

それでも、
教員時代には
自費本や論文を冊子化するのに、
ゴルフ仲間の印刷屋さんでは
30万もかかったり、
同じようなものを
3万でやる処があったりで、
価格はあってなきもののような気がした。

なので、
「束ねて綴じる」というのを
極めれば製本化はできると踏んで、
試行錯誤しながら
千冊以上を手がけてきた。

数台のプリンターはじめ、
業務用ステイプラー、
裁断機などを揃え、
私家本製作ハード類に
10万ほどかかったが、
200冊ほど売れた時点で
どうにか元が取れた。

時折、知人の造本委託も
請け負ったりして
零細内職にはなっている。

なにより、
一回しかない人生で、
執筆業やら、編集業、
製版印刷業、製本業、
販売業・・・と、
“ごっこ”として
本業以外の仕事が味わえるのが楽しい。

これも立派に
自ら「手に職」つけたつもりでいる。

古楽器製作の
200近い工程に比べ、
製本はわずか数十工程なので、
物造りとしては
プラモ製作レベルではある。






製本を済ませると、
次は寝室と書斎の
エアコン清掃にとりかかった。

(なんか、今日は、
 オレやる気あるなぁ・・・)
と、怪訝に感じないでもなかった。

前日、
マッサージ椅子で
1時間も念入りに凝りをほぐしたので、
「気」のめぐりがよくなって
「気力」が充実していたのかもしれない(笑)。

こういうときは、
ふだん怠けて後回しにしてた事を
片付けるに限るとばかり・・・
続いて、モーツァルトとラモーの
ポケット・スコアを
トレース&プリントして
ピアノ用楽譜をこしらえた。

音楽堂からメール返信がきて、
『スタインウェイを弾こう』の大人参加は、
9/10、12/10に企画してるとのことで、
ヤッター!! と小踊りした。

ヾ(・̆○・̆)ノ

どちらにも参加しようと思うので、
『ロンリー・コンサート』のプログラムに
モーツァルトとラモーも練習しようと
昨日から読譜をはじめた。

音楽堂にはチェンバロもあるので、
いつか、ラモーやバッハを
何曲か暗譜できたら
「平日/大ホール/午前ステージのみ」\11,300
「チェンバロ」\6,000
で、ゆったりと古楽の響きを楽しみたい。

そん時は、
ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロも
持ち込んでビデオ撮りしよっと。

いっそ内緒で、
内輪にだけ公開しようかしらん(笑)。






昨日は、
梁川に行ったついでに
阿武急の「伊達政宗号」を
撮ってきた。

ブルーの車体に
アニキャラがコテコテと
描かれていて、いかにも
「撮り鉄」アイテムである。

駅前の支所前には
飯坂学習センターと同じ作家の
三体一組の裸婦像があって
オーッと思ったが、
近寄って見たら、
ナントッ!
そこここに
手形がついてるではないか・・・(笑)。

イタズラ心か、変態心か、判らぬが、
高い台座の上によじ登っての
蛮行だろうから、
事によると深夜の犯行かもしれない。

等身大に近い
見事な造型だから、
気持ちは解からないでもないが、
視覚障害者は触って彫刻を楽しむので、
健常者もつい撫で回したく思ったのだろうが、
手痕が残っては、芸術作品に卑猥感が漂って
毀損したようなものである。

役所の誰かが
気づきそうなものだが、
誰も見慣れて関心がないのだろうか・・・。

せめて、
良識のある女性職員が、
汚れを落としてもよさそうなのだが・・・。

このままだと、
「汚れ」ではなく
「穢れ」たまんまで、
作品が気の毒である。

***

今朝の朝刊の
新刊案内に
『老いる自分をゆるしてあげる』
というマンガ・エッセイの広告があり、
最近の自分の考えに近いものがあって
共感を覚えた。

ϵ(◎θ◎)ノ☆ フォッ・フォッ・フォッ




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