きのうは
警報が出るほどの
ゲリラ豪雨があったが、
夕方から予定どおり
橘高の定演に出かけた。
会場はほぼ満席に近い
大した客数で、
高校生や父兄たちが
ほとんどだった。
オルガン・ピットでの
ブラスのファンファーレにより、
華々しく開会したのは、
文化祭的でいい趣向だった。
ただ、
一曲目の『はげ山の一夜』が始まると
(あら…、音程が怪しいなぁ…)
と感じたが、
その不協和音感が幸いに
オドロオドロしい曲想を
助長していた。
二曲目の『レイダース・マーチ』は
ブラス系のドガチャカが
目立つものだったので、
さほどに不安定感は気にならなかった。
三曲目の打楽器小編成(6人)による
『失われた宮殿~打楽器六重奏のための~』
(嶋崎 雄斗)は、
このコンサートの白眉だった。
初めて聴く曲だったが、
現代曲風でありながら、
『ナウシカのテーマ』に酷似した
旋律が奏でられたりして
よく出来た斬新性が感じられた。
帰宅後にググってみたら、
作曲者自身の解説を見つけた。
***使用楽器
グロッケン、シロフォン、ヴィブラフォン、マリンバ、
ティンパニ、チャイム、ウッドブロック、
カウベル、サスペンドシンバル、ウィンドチャイム。
この曲は
アンサンブル・コンテスト用の委嘱作品で、
「失われた宮殿」は架空の物語で、
かつて栄華を誇った宮殿がさびれはて、
夜な夜な住み着く亡霊たちが
盛大な晩餐会を行う・・・という、
『はげ山』に似たモチーフである。
オルゴール風の綺麗な導入部、
軽快なテンポの主要部分、
壮大なラスト、
という流れで構成されている。
メロディは5拍子だそうな。
「不思議で面白い打楽器6重奏」
という作曲者の意図どおりであった。
何より、
音程に狂いのない
打楽器群だったので、
耳にピュアに響いてきて
心地よかった。
休憩後の当夜のメインが
『ブラ4』だったが、
毎日、バルビローリ/ウィーンフィルを
聴いていたので、
CDとライヴの違いはさておき、
音程が大丈夫かなぁ・・・と、
懸念された。
顧問によるタクトが振り下ろされ、
序奏なしの第一音目が鳴るや
(あらぁ~・・・)
であった。
いきなり音程が合ってなかった。
まるでムンクの悲鳴のような弦は
もうそれ以後は
我慢大会っぽかった。
フミ/ナツともに
附小のオケだったので、
その発表会を聞くたびに
音程の狂いがひどいなぁ…と、
顧問の耳を疑ったが、
正確なポジション取りの
押弦ができない小学生の技術では
致し方がないのだろうとは思った。
橘オケのメンバーには
附中出身者も数名いたが・・・。
ブラスは元気があって
音程もまずまずだったのだが、
主旋律を奏でるヴァイオリン群が
総じて力感がなく、
音程が正確でなかったので、
ブラームスの豊かで純粋な「色彩」感が
濁って聴こえたのは残念至極であった。
もっとも、
部長挨拶の弁では、
6月から本格練習が始まり、
楽譜がそろったのが2週間前で、
全体練習は1週間で仕上げたというから、
そんなんじゃ、本格の『ブラ4』は
無理でしょう・・・というハナシではある。
その短期間で、
アンサンブルを合わせたのは、
さすがに進学校の英才たちであり、
デュナーミク(強弱法)、アゴーギク(速度法)も
スコアに忠実に表現されてはいた。
87名という
大所帯の部活ではあるが、
その中で音大に進むべく
幼少期から本格の音感教育や
個人レッスンを受けてきた生徒は
ほんの1、2名程度ではあろう。
大多数は
小中の合奏部、器楽部あがりの
子たちだとは思う。
知り合いの子は、
高校からヴァイオリンを始めて
パートに入っている。
ギターと違って、
フレットレスのヴァイオリン族は
「勘所」がピタリと決まるのには
そうとうな音感と練習が要る。
オケでは
もっぱら単旋律楽器として
他楽器と「和音」を構成するので、
ギターやピアノのように
音程の定まった和音を響かせるには、
ピタリと正確な押さえが必須である。
これが為されないと、
調弦や調律の狂った
ギター/ピアノを聴かされているようで
まことに心地悪い。
ピアニストは調律師任せだが、
ギタリストは自ら調弦して
入念に和音で点検する。
なにせ
ベートーヴェン曰く
「ギターは小さなオーケストラ」
だから、奏者自身が
チューナーであり
コンダクターでもある。
楽器製作の現実として、
オシログラフで測定した結果では、
フレッチング(フレット配置)では、
厳密には正確な平均律は得られず、
曲の調ごとに微妙にペグで調音することが
必要であることを、あんがい知らない
ギタリストも多い。
きのうは、
警報レベルの集中豪雨となり、
ほぼ満席の人いきれも合わさって、
空調を効かせてるはずの音楽堂でも
湿度が70%近くあった感じで、
ボディの小さなヴァィオリンは
気の毒なほどに鳴っていなかった。
なので、
よく響いたブラスとの
アンバランスが目だって、
メロディ・ラインが浮かんでこなかった。
もっとも、
周囲の同級生JKたちや父兄たちが
ブラームスや交響曲を
いつも耳にしてるとも思われず、
「○○ちゃん、一生懸命ガンバッたね」
という文化祭的な
雰囲気ではあったが・・・。
校長挨拶、部長挨拶では
「頑張ってきました・・・」
というフレーズが
やたら強調されていたけど・・・。
有料で公開演奏すんのに、
頑張って、努力すんのは、
当たりマエダのクラッカーじゃい・・・
と思わないでもなかったが、
ウンウンとうなずく父兄たちに囲まれて、
やっぱ「アマ定演」「学生定演」での
安価なチケ代で音楽的満足感を得よう
というのは、土台ムリな話なのかもしれない。
それでも、
初めて聴いた
『パーカッション・セクステット』は
純粋に楽しめて
行った甲斐はあった。
明日は、
福高の『ラフ2』を
聴きに行くつもりではある。
橘オケとの
「音程勝負」だなぁ・・・。
さすがに、
フミがいた頃のジュニオケは
ヨーロッパ公演に行くだけあって、
音程に不満はなかったよなぁ・・・。
かつては
金光ギター部の顧問も務め、
現在は
福大ギター部のアドバイザーでもあるので、
アンサンブルの「音程」には
神経質なほどに注意を払ってきた。
音楽堂の帰りには
すっかり雨の夜道となり、
久しぶりにイルミ計器類を
全部点灯させて、
ナイト・フライト操縦席気分で
ワイパー・マックスで帰ってきた。
なんだか、
定演の残滓が未消化で
胃の腑がスッキリしなかったので、
深夜の0時頃に
ヒッソリとチェロをひとり奏でて、
インプットとアウトプットの
均衡を図った。
もっとも、
フレットレスのチェロは
たびたび音程を外し、
他人事じゃねぇなぁ・・・と、
何度もスケール練習をした。
単旋律で奏でていると、
あきらかにフレットを有する
和声楽器のギターとは
世界観が違うなぁ・・・と、
実感する。
『夢のあとに』
『鳥の歌』
『もののけ姫』
『ふたり』
『荒城の月』
なぞを、雨音を伴奏に
ひとりしみじみと弓弾きするのは
楽しい自分だけの時間である。
その後、
10コースのリュートに持ち替えて、
『涙のパヴァーヌ』
『大公のアリア』
『グリーンスリーヴス』
『バッハのプレリュード』
なぞを爪弾いて、
なんだか得体の知れぬ
消化不良が癒えてから
休んだ。
警報が出るほどの
ゲリラ豪雨があったが、
夕方から予定どおり
橘高の定演に出かけた。
会場はほぼ満席に近い
大した客数で、
高校生や父兄たちが
ほとんどだった。
オルガン・ピットでの
ブラスのファンファーレにより、
華々しく開会したのは、
文化祭的でいい趣向だった。
ただ、
一曲目の『はげ山の一夜』が始まると
(あら…、音程が怪しいなぁ…)
と感じたが、
その不協和音感が幸いに
オドロオドロしい曲想を
助長していた。
二曲目の『レイダース・マーチ』は
ブラス系のドガチャカが
目立つものだったので、
さほどに不安定感は気にならなかった。
三曲目の打楽器小編成(6人)による
『失われた宮殿~打楽器六重奏のための~』
(嶋崎 雄斗)は、
このコンサートの白眉だった。
初めて聴く曲だったが、
現代曲風でありながら、
『ナウシカのテーマ』に酷似した
旋律が奏でられたりして
よく出来た斬新性が感じられた。
帰宅後にググってみたら、
作曲者自身の解説を見つけた。
***使用楽器
グロッケン、シロフォン、ヴィブラフォン、マリンバ、
ティンパニ、チャイム、ウッドブロック、
カウベル、サスペンドシンバル、ウィンドチャイム。
この曲は
アンサンブル・コンテスト用の委嘱作品で、
「失われた宮殿」は架空の物語で、
かつて栄華を誇った宮殿がさびれはて、
夜な夜な住み着く亡霊たちが
盛大な晩餐会を行う・・・という、
『はげ山』に似たモチーフである。
オルゴール風の綺麗な導入部、
軽快なテンポの主要部分、
壮大なラスト、
という流れで構成されている。
メロディは5拍子だそうな。
「不思議で面白い打楽器6重奏」
という作曲者の意図どおりであった。
何より、
音程に狂いのない
打楽器群だったので、
耳にピュアに響いてきて
心地よかった。
休憩後の当夜のメインが
『ブラ4』だったが、
毎日、バルビローリ/ウィーンフィルを
聴いていたので、
CDとライヴの違いはさておき、
音程が大丈夫かなぁ・・・と、
懸念された。
顧問によるタクトが振り下ろされ、
序奏なしの第一音目が鳴るや
(あらぁ~・・・)
であった。
いきなり音程が合ってなかった。
まるでムンクの悲鳴のような弦は
もうそれ以後は
我慢大会っぽかった。
フミ/ナツともに
附小のオケだったので、
その発表会を聞くたびに
音程の狂いがひどいなぁ…と、
顧問の耳を疑ったが、
正確なポジション取りの
押弦ができない小学生の技術では
致し方がないのだろうとは思った。
橘オケのメンバーには
附中出身者も数名いたが・・・。
ブラスは元気があって
音程もまずまずだったのだが、
主旋律を奏でるヴァイオリン群が
総じて力感がなく、
音程が正確でなかったので、
ブラームスの豊かで純粋な「色彩」感が
濁って聴こえたのは残念至極であった。
もっとも、
部長挨拶の弁では、
6月から本格練習が始まり、
楽譜がそろったのが2週間前で、
全体練習は1週間で仕上げたというから、
そんなんじゃ、本格の『ブラ4』は
無理でしょう・・・というハナシではある。
その短期間で、
アンサンブルを合わせたのは、
さすがに進学校の英才たちであり、
デュナーミク(強弱法)、アゴーギク(速度法)も
スコアに忠実に表現されてはいた。
87名という
大所帯の部活ではあるが、
その中で音大に進むべく
幼少期から本格の音感教育や
個人レッスンを受けてきた生徒は
ほんの1、2名程度ではあろう。
大多数は
小中の合奏部、器楽部あがりの
子たちだとは思う。
知り合いの子は、
高校からヴァイオリンを始めて
パートに入っている。
ギターと違って、
フレットレスのヴァイオリン族は
「勘所」がピタリと決まるのには
そうとうな音感と練習が要る。
オケでは
もっぱら単旋律楽器として
他楽器と「和音」を構成するので、
ギターやピアノのように
音程の定まった和音を響かせるには、
ピタリと正確な押さえが必須である。
これが為されないと、
調弦や調律の狂った
ギター/ピアノを聴かされているようで
まことに心地悪い。
ピアニストは調律師任せだが、
ギタリストは自ら調弦して
入念に和音で点検する。
なにせ
ベートーヴェン曰く
「ギターは小さなオーケストラ」
だから、奏者自身が
チューナーであり
コンダクターでもある。
楽器製作の現実として、
オシログラフで測定した結果では、
フレッチング(フレット配置)では、
厳密には正確な平均律は得られず、
曲の調ごとに微妙にペグで調音することが
必要であることを、あんがい知らない
ギタリストも多い。
きのうは、
警報レベルの集中豪雨となり、
ほぼ満席の人いきれも合わさって、
空調を効かせてるはずの音楽堂でも
湿度が70%近くあった感じで、
ボディの小さなヴァィオリンは
気の毒なほどに鳴っていなかった。
なので、
よく響いたブラスとの
アンバランスが目だって、
メロディ・ラインが浮かんでこなかった。
もっとも、
周囲の同級生JKたちや父兄たちが
ブラームスや交響曲を
いつも耳にしてるとも思われず、
「○○ちゃん、一生懸命ガンバッたね」
という文化祭的な
雰囲気ではあったが・・・。
校長挨拶、部長挨拶では
「頑張ってきました・・・」
というフレーズが
やたら強調されていたけど・・・。
有料で公開演奏すんのに、
頑張って、努力すんのは、
当たりマエダのクラッカーじゃい・・・
と思わないでもなかったが、
ウンウンとうなずく父兄たちに囲まれて、
やっぱ「アマ定演」「学生定演」での
安価なチケ代で音楽的満足感を得よう
というのは、土台ムリな話なのかもしれない。
それでも、
初めて聴いた
『パーカッション・セクステット』は
純粋に楽しめて
行った甲斐はあった。
明日は、
福高の『ラフ2』を
聴きに行くつもりではある。
橘オケとの
「音程勝負」だなぁ・・・。
さすがに、
フミがいた頃のジュニオケは
ヨーロッパ公演に行くだけあって、
音程に不満はなかったよなぁ・・・。
かつては
金光ギター部の顧問も務め、
現在は
福大ギター部のアドバイザーでもあるので、
アンサンブルの「音程」には
神経質なほどに注意を払ってきた。
音楽堂の帰りには
すっかり雨の夜道となり、
久しぶりにイルミ計器類を
全部点灯させて、
ナイト・フライト操縦席気分で
ワイパー・マックスで帰ってきた。
なんだか、
定演の残滓が未消化で
胃の腑がスッキリしなかったので、
深夜の0時頃に
ヒッソリとチェロをひとり奏でて、
インプットとアウトプットの
均衡を図った。
もっとも、
フレットレスのチェロは
たびたび音程を外し、
他人事じゃねぇなぁ・・・と、
何度もスケール練習をした。
単旋律で奏でていると、
あきらかにフレットを有する
和声楽器のギターとは
世界観が違うなぁ・・・と、
実感する。
『夢のあとに』
『鳥の歌』
『もののけ姫』
『ふたり』
『荒城の月』
なぞを、雨音を伴奏に
ひとりしみじみと弓弾きするのは
楽しい自分だけの時間である。
その後、
10コースのリュートに持ち替えて、
『涙のパヴァーヌ』
『大公のアリア』
『グリーンスリーヴス』
『バッハのプレリュード』
なぞを爪弾いて、
なんだか得体の知れぬ
消化不良が癒えてから
休んだ。
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