きのうは半日、
『シブコ劇場』を堪能した。
結果は「賞金女王」に
届かなかったが、
ハラハラ、ドキドキの
ライヴならではのドラマを
楽しませてもらった。
ゴルフ中継は
お目当ての選手が打つまでに、
その他の選手の中継や
本人が歩いている時間が長いので、
一瞬たりとも目が離せないという
観戦ではない。
なので、
その間には本を読んだり、
勉強したりと
いろいろの「ながら」が出来るが、
きのうは、明日の結婚式で弾く
ギターのメンテをした。
リサイタルや葬儀などで
演奏する前には、
必ずや、ギターを清めて
弦をすべて新品に張り替える。
フレットはコンパウンドで磨いて
シルバーの輝きを復活させ、
指板はオイルを軽く塗布して
ウェットに輝かせ、
本体はポリッシュ仕上げで
顔が映るほどの鏡面仕上げにする。
そうすると、
ギターの音が
蘇ったように
よく鳴ってくれる。
楽器メンテするには
ベッドでするのが、
傷がつかずにどの方向にも回せるので、
足元のテレビを見ながらの作業に
ちょうどよい(笑)。
メンテも嫌いな作業じゃないので、
大好きなシブコを見ながら
お手入れできるのは
幸せな時間でもある。
きのうは
ゴルフ内容もさることながら、
彼女のもうひとつの魅力に気づいた。
おとついの
イーグルを逃した時の
おどけてズッコケる様が
ネットにアップされていて、
全英の2R目で
グリーン周りの傾斜地を
クラブを杖代わりにして
腰を曲げてお婆さん風の演技で
ノソノソ登る様を思い出した。
その様がカメラに抜かれて
全世界に放映されているとも知らず、
ひとり演劇やっておどけてたのを
レジェンドの樋口プロが見て
「ほんとに、新人類なのねぇ・・・。
自分たちの世代では、考えられない・・・」
と、笑いながらも
羨ましげでもあった。
ゴルフ界を長年牽引してきた
ベテラン・トーナメント・プロデューサーの戸張さんも、
「彼女なりのリラックス法なんでしょうが、
今まで、見たことのないプロですねぇ。
いやぁ、たいしたもんです・・・」
と、驚きと賞賛をしていた。
完璧なスウィングに、
厳しい勝負師の目なざしと
すぐさま「道化」を演じれる・・・という、
二面神「ヤヌス」のような
トリックスターの魅力がある。
ヤヌス=ジャヌスは、
「ジャニアリー(1月)」の語源にもなった
(新年と旧年の両方を見ている)。
また、
神話研究の泰斗・ジョゼフ・キャンベルは
「トリックスター神は、
二つの仮面があり、
その神が尾根を歩いていると
両側の民からは別々の面が見え、
それをイタズラ好きの神自身が喜んでいる」
と『神の仮面』にあった。
宗教学の勉強は、
深層心理学に通ずるものがあり、
また、それが、臨床の場での
心理療法に生かされるので、
研究同様に欠かせない。
分析心理学者のユングは、
我々の心の元型(アーキタイプ)には
「トリックスター/道化」心性がある
と提唱したが、一般には
あまりよく理解されていない。
河合先生からもセミナーで、
よく、「トリックスターの重要性」
というテーマで
お話しを伺ったことがある。
トランプの「ジョーカー(ババ)」は
「ジョークを言う冗談屋」が語源であり、
同時にそれは、「オールマイティ」の力をも
併せ持つ時がある。
40代の頃、
日本の「聖人」と讃えられた
賢治・良寛・一休の
「でくのぼう」「大愚」「風狂」
というライフモットーを
バイオグラフィーと宗教観から
比較分析して論文を書いたことがあった。
その中心テーマが
「愚性とトリックスターと英雄元型」だった。
誰しもの心の中に潜みある
「愚かさ」「道化」という元型を
遺憾なく発揮して個性化の過程を辿ると、
自ずと然るが如く「英雄」的な偉業に
達することがあるのである。
それは、【運・鈍・根】の
「鈍」にも通低する
一見ネガティヴな概念だが、
それをも極めて自我に取り入れていくと
「先鋭」という対極にも辿り着くのである。
それを証明して見せているのが、
シブコとソータという
稀有な天才たちなのである。
それゆえに、
凡夫の我々は
彼らに対して畏怖と羨望を
抱くのかもしれない。
今朝の朝刊で、
マリス・ヤンソン氏の訃報を知った。
ウィーンフィル恒例の
『ニューイヤー・コンサート』で
二度ほどタクトを振ったのを見たが、
自分のポケットに入れていたケータイが
演奏中に鳴るという仕掛け(ユーモア)の表現を
三文役者のような下手な演技でしたので、
(あぁ・・・。このオジサン、いい人だなぁ・・・)
と直感した。
マジメなのだろう。
演奏もいかにも誠実だった。
最近、スコア勉強を
再開しはじめた処なので、
ユーチューブにある
彼の数々の名演を
譜面で追ってみたいとも
思っている。
いっ時、
斉藤 秀雄の『指揮法』で
タクト振りの勉強もしたが、
ギター合奏ではあまり生かされなかったので、
ものになることはなかった。
それでも、
現役ギター部のアンサンブル指導では
棒を振らずとも、
楽譜をよく読み、よく表現する、
という指導には
勉強したことが役立っている。
『シブコ劇場』を堪能した。
結果は「賞金女王」に
届かなかったが、
ハラハラ、ドキドキの
ライヴならではのドラマを
楽しませてもらった。
ゴルフ中継は
お目当ての選手が打つまでに、
その他の選手の中継や
本人が歩いている時間が長いので、
一瞬たりとも目が離せないという
観戦ではない。
なので、
その間には本を読んだり、
勉強したりと
いろいろの「ながら」が出来るが、
きのうは、明日の結婚式で弾く
ギターのメンテをした。
リサイタルや葬儀などで
演奏する前には、
必ずや、ギターを清めて
弦をすべて新品に張り替える。
フレットはコンパウンドで磨いて
シルバーの輝きを復活させ、
指板はオイルを軽く塗布して
ウェットに輝かせ、
本体はポリッシュ仕上げで
顔が映るほどの鏡面仕上げにする。
そうすると、
ギターの音が
蘇ったように
よく鳴ってくれる。
楽器メンテするには
ベッドでするのが、
傷がつかずにどの方向にも回せるので、
足元のテレビを見ながらの作業に
ちょうどよい(笑)。
メンテも嫌いな作業じゃないので、
大好きなシブコを見ながら
お手入れできるのは
幸せな時間でもある。
きのうは
ゴルフ内容もさることながら、
彼女のもうひとつの魅力に気づいた。
おとついの
イーグルを逃した時の
おどけてズッコケる様が
ネットにアップされていて、
全英の2R目で
グリーン周りの傾斜地を
クラブを杖代わりにして
腰を曲げてお婆さん風の演技で
ノソノソ登る様を思い出した。
その様がカメラに抜かれて
全世界に放映されているとも知らず、
ひとり演劇やっておどけてたのを
レジェンドの樋口プロが見て
「ほんとに、新人類なのねぇ・・・。
自分たちの世代では、考えられない・・・」
と、笑いながらも
羨ましげでもあった。
ゴルフ界を長年牽引してきた
ベテラン・トーナメント・プロデューサーの戸張さんも、
「彼女なりのリラックス法なんでしょうが、
今まで、見たことのないプロですねぇ。
いやぁ、たいしたもんです・・・」
と、驚きと賞賛をしていた。
完璧なスウィングに、
厳しい勝負師の目なざしと
すぐさま「道化」を演じれる・・・という、
二面神「ヤヌス」のような
トリックスターの魅力がある。
ヤヌス=ジャヌスは、
「ジャニアリー(1月)」の語源にもなった
(新年と旧年の両方を見ている)。
また、
神話研究の泰斗・ジョゼフ・キャンベルは
「トリックスター神は、
二つの仮面があり、
その神が尾根を歩いていると
両側の民からは別々の面が見え、
それをイタズラ好きの神自身が喜んでいる」
と『神の仮面』にあった。
宗教学の勉強は、
深層心理学に通ずるものがあり、
また、それが、臨床の場での
心理療法に生かされるので、
研究同様に欠かせない。
分析心理学者のユングは、
我々の心の元型(アーキタイプ)には
「トリックスター/道化」心性がある
と提唱したが、一般には
あまりよく理解されていない。
河合先生からもセミナーで、
よく、「トリックスターの重要性」
というテーマで
お話しを伺ったことがある。
トランプの「ジョーカー(ババ)」は
「ジョークを言う冗談屋」が語源であり、
同時にそれは、「オールマイティ」の力をも
併せ持つ時がある。
40代の頃、
日本の「聖人」と讃えられた
賢治・良寛・一休の
「でくのぼう」「大愚」「風狂」
というライフモットーを
バイオグラフィーと宗教観から
比較分析して論文を書いたことがあった。
その中心テーマが
「愚性とトリックスターと英雄元型」だった。
誰しもの心の中に潜みある
「愚かさ」「道化」という元型を
遺憾なく発揮して個性化の過程を辿ると、
自ずと然るが如く「英雄」的な偉業に
達することがあるのである。
それは、【運・鈍・根】の
「鈍」にも通低する
一見ネガティヴな概念だが、
それをも極めて自我に取り入れていくと
「先鋭」という対極にも辿り着くのである。
それを証明して見せているのが、
シブコとソータという
稀有な天才たちなのである。
それゆえに、
凡夫の我々は
彼らに対して畏怖と羨望を
抱くのかもしれない。
今朝の朝刊で、
マリス・ヤンソン氏の訃報を知った。
ウィーンフィル恒例の
『ニューイヤー・コンサート』で
二度ほどタクトを振ったのを見たが、
自分のポケットに入れていたケータイが
演奏中に鳴るという仕掛け(ユーモア)の表現を
三文役者のような下手な演技でしたので、
(あぁ・・・。このオジサン、いい人だなぁ・・・)
と直感した。
マジメなのだろう。
演奏もいかにも誠実だった。
最近、スコア勉強を
再開しはじめた処なので、
ユーチューブにある
彼の数々の名演を
譜面で追ってみたいとも
思っている。
いっ時、
斉藤 秀雄の『指揮法』で
タクト振りの勉強もしたが、
ギター合奏ではあまり生かされなかったので、
ものになることはなかった。
それでも、
現役ギター部のアンサンブル指導では
棒を振らずとも、
楽譜をよく読み、よく表現する、
という指導には
勉強したことが役立っている。
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