* 11 *
すでにやってしまった以上は、
その結果がよいほうに向かうように、
あとの人生を動かすしかない。
養老 孟司
*
師匠は、高3の十八歳で、タイトル二冠になり、九段に昇段した。
無論、どちらも棋界では最年少記録である。
そして、十九歳で四冠(棋聖・王位・叡王・竜王)となり、翌年には念願の「名人」位獲得と「王座」「王将」も手中にし、尚且つ、全タイトル防衛に成功して、若干二十歳(はたち)にして「八冠」を達成するという途轍もない記録を樹立した。
さらに、驚くべきは、その後、連続五年もの「八冠」を防衛し「永世八冠」となった。
中2のデヴュー当時の29連勝は、「マンガを超えてる」と漫画家たちを呆れさせたという神話的エピソードがある。
だが、この「永世八冠」達成も、マンガにならないリアリティがなさすぎる偉業であった。
カナリは、プロデヴューこそ、師匠を抜いて棋界の新記録を更新したが、いきなり初戦で負けてしまい、その後も、勝ったり負けたりの鳴かず飛ばずで、十連敗するという不名誉な記録も作ってしまった。
ルックスの良さと、初の女性棋士というので、デヴュー時には大いに注目もされ期待もされた。
しかし、実力・棋力がすべての棋界である。
ネットでも、ぽちぽちと悪口がささやかれ始めていた。
「カナリ、かなり弱し‼」
「桂馬も成らずば、金になれず‼」
「もう、女流に転向しちまえ‼」
負けが込んでいた時は、奨励会仲間たちも気を使って、腫れ物に触れないようにと遠巻きに見ていた。
もう、来る日も来る日も、やってもやっても、勝てない日々が続いた時には、盤に向かうことも、駒を手にすることも、恐ろしくなった。
いわゆる、スランプである。
そんな時だった・・・。
将棋会館の廊下で、ひとり泣いていると、
「大山さん。
将棋は好きですか?」
と、声をかけられ、訊ねられた。
「えっ⁉ ・・・」
雲の上の「永世八冠」。
「棋神」「生き神様」「ソータ大明神」・・・だった。
アタマん中が混乱して、何をどう返答していいのか分からなかった。
今日もきょうとて、負けたばっかりである。
「あなたは、将棋が好きなんでしょ」
と、背の高いカミサマは、女の子の頭上で、もう一度やさしく仰られた。
カナリは、夢ではないかと思いながらも、コクンと首を折り
「好きですぅ・・・」
と、一言いうと、泣きじゃくりながら、体を振るわせた。
すると、カミサマは、信じられないようなご宣託を下された。
「じゃあ、僕の処に来ませんか?」
「へっ⁉・・・」
このカミサマは、いったい何を仰ってるのか・・・
中2の女の子には、瞬時に、その神語の真意を理解しかねた。
【天才は天才を知る】
と言うが、ソータはボロ負けJC棋士の将棋の中に、まだ未熟ながら、キラリと光る将来性と可能性を見出していたのである。
カナリはプロ棋士になったので、特例で学校の部活は免除されていた。
なので、放課後になると、そそくさと師匠宅に帰り、家事のお手伝いをちょっとやり、おチビちゃんたちともちょいと遊んでから、自室に籠って詰将棋を解いたり、師匠の棋譜を勉強したり、最強ソフトと対戦したり、という日常を暮らしていた。
そして、時に、将棋会館まで赴き、棋士室で奨励会仲間とVS(ヴイエス/1対1の練習対局)をしたり、若手研究会に参加したり・・・と、自己研鑽に余念がなかった。
なにせ、永世八冠の唯一の弟子であり、棋界初の女性棋士である。
弱くてはオハナシにならない世界なのである。
(いつか、師匠を超す・・・
必ず超えてみせる・・・)
という、トンデモナイ野望が、その小さな胸の奥には眠っていたが、未だその「女ドラゴン」は目覚めてはいなかった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます