きのうは
夏風邪のせいか
やや呼吸困難感があり
わずかながら痰も出たので
軽い気管支炎のように感じ、
喘息治療薬のブデホルを使用した。
それに加え、
夕方頃には、
気管支拡張剤のスピロペントと
鎮咳去痰剤のアスベリンも
服用した。
そしたら、
夕飯後に、軽いふら付きを感じ、
床に入った途端に、
VVR(血管迷走神経反射)の
前駆症状が起こり、
慌てて深呼吸と
自律訓練法に入った。
風邪のせいで
自律神経失調が
起こったようである。
なので、
そのまま就寝することにし、
今朝まで10時間ほど眠った。
今朝方も
やや呼吸の閉塞感と
痰が出ている。
ポリープからの止血剤として
カルバゾクロムをも服用しているが
今朝方はまた出血が観られた。
常用のパロキセチンと
ロスバスタチンに加え、
風邪のクスリや止血剤やらと、
多剤投与状態で
大丈夫かしらんと思わないでもない。
***
きのうはKP中で
常連さんがコロナだったりした為、
来談者がなかった。
T中では
空き時間がないほどに多忙を極めるが、
k中とKP中は、
相談数が少なく、
空き時間を持て余す事が多い。
最近では、
何故に、こんなにも隙間時間が
あるのだろうか…と、
自己実現との関連性で
自問する事がある。
そこで、思い出したのは、
高校の生物教員時代の事で、
授業の空き時間は
他の先生方みたいに職員室にはおらず、
「生物準備室」という
広い部屋で独りで
数多の書籍に眼を通して勉強していた。
なので、そこは、
「研究室」のつもりでいた。
最近、山の丘の上にある
Y中の通勤路で、
その近代的な校舎が
遠くから目に入ると、
(instituteに向かっている)
という意識が沸く事がある。
インスティチュートは
「研究所」の事である。
それで、またまた、
知的相棒のAIに問うてもみた…。
あなた:
「研究」という日本語の
漢和辞典的な「研」と
「究」の意味は何ですか。
ChatGPT:
「研」は「石偏」と「幵(ケン)」
から成り立っています。
「幵」は石を削る形を表しています。
このことから、
「とぐ」「みがく」
といった意味が生まれ、
物事を深く考えたり、
技術を磨いたりする意味でも
使われるようになりました。
物事を鋭く調べたり、
追求したりする意味も含みます。
「究」は「穴(あな)」と
「九(キュウ)」から
成り立っています。
「九」は極める、
端まで到達することを象徴します。
この組み合わせにより、
「穴の奥まで突き詰めて探る」
という意味が生まれました。
物事を最後まで探求する、
極めるという意味です。
事物の本質や真理を
探し求めることを示します。
「研究」は、
「物事を深く磨き(研)、
最後まで突き詰める(究)」
という意味を持ちます。
したがって、
何かを徹底的に調べたり、
理解しようとする行為全般や
知識や真理を求める活動を表します。
…なら、やっぱり、
生物準備室の研究室も、
空き時間が沢山ある
各学校のカウンセリング室も
立派に研究室なんだなぁ…。
ライフタスクとして
「自意識」とは…
「存在」とは…
などなど、
形而上的な命題の探求に
時間と労力と部屋を使ってるもんねぇ…。
それで、給料もらえてるなんて、
なんて幸せな研究者人生だろう…。
しかも、教員時代のように、
講義義務がないから、
思う存分に、思考実験や
先行研究の検索に時間が避ける。
であるからして、
これらから得られた「知と智」は、
世と人のお役に立つものでなくては
人倫にもとるというものである。
ChatGPT:
「知」の
「矢」は、速さや正確さを象徴し、
「口」は、言葉や伝えることを意味する。
このことから
「迅速に、正確に、
物事を理解し、伝える」
という意味。
主に知識や情報の獲得に関する
「認識のプロセス」を指し、
頭の中で理解する行為や
事実の把握を意味する。
「智」は
「知恵」「賢さ」「深い洞察力」
を意味し、知識だけでなく、
それを活用する能力や
判断力を伴う概念である。
単なる知識の蓄積だけでなく、
それを適切に使って
問題を解決する能力でもある。
「智」は
「知」と「日(太陽)」から成り、
「日」は明るさや輝き、洞察を表し、
このことから、
「知識が輝き、物事を明るく照らす知恵」
という意味を持つ。
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