聖霊について

 「このことをわたしは、あなたがたといっしょにいる間に、あなたがたに話しました。
 しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。」(ヨハネ14:25-27)

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 イエスの平安は何に由来するのだろうか。御父と共にあることにあるのかも知れない。
 その御父がイエスを通して私たちにお遣わしになる聖霊は、私たちと共にある。
 私たちを内側からいつも支えてくれている。
 だから私たちは、もはや一人ではなく、いわば二人で一人になる。
 そうすると、他人への過度の依存心も、そうせざるを得ない理由がなくなるから消えてしまう。もう、びくびくすることもない。
 だから、二人で一人ということこそ、イエスが私たちに与える平安なのだろう。これは世には見られないものだ。世にあるのは、依存心をいっとき満たす類の何かにとどまる。

 それから、「聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせ」る。
 今までの私たちは、人の教えを全て正しいと思い疑うこともなかったが、この聖霊はそれとは異なる生きた物の見方に変えてくれる。それも、瞬時に変えてくれる。
 「彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主の御告げ。――わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:33)とは、正にその通りだ。
 これらのことはすべて、イエスの狭き十字架の道を通り抜けた先のことである。

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 健やかな一日をお祈りします!

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