私たちの国籍は天

 「けれども、私たちの国籍は天にあります。
 そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
 キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。」(ピリピ3:20-21)

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 このブログでは、今までしばしば「アダムの肉」という語句を用いてきた。
(一番最初に用いた記事は、こちら。)
 私たちは、善悪の知識の実を食してしまったアダム(創3:6-24 ;神は人を園から追放してしまった)の子孫であり、神と人との間には埋めようもない溝が横たわっている。
 そのアダムの肉を持っているので、聖なる神の律法を、どうやっても守り行うことができない。

 そのような状態の人を救うためにキリストは来られ、アダムの肉を処罰する十字架に架かられた。そして復活することにより、その処罰の正当性が確立する。

 上の引用聖句の中で「私たちの卑しいからだ」とあるのは、このアダムの肉と同じ。
 実に、「アダムの肉」をまとった私たちのからだは、卑しい。
 ところがキリストが、十字架に架かって復活したキリストが、この卑しいからだを「ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださる」という。
 つまり、園から追放される以前の状態に戻してくださる。
 善悪の知識の実を食べる前の状態に戻してくださる。

 この回復を確信し、また第一に求めるのであるならば、「私たちの国籍は天」にある。
 負け惜しみや逃避で「私たちの国籍は天」と言っているわけでは、全くない。
 神の国を信じ、受け入れることができるからこそ、「私たちの国籍は天」に置いているのである。

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