イエスによって御父が示される

 「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18新共同訳)

---

 イエスの公生涯のさなか、実に様々な人がこのイエスと係わった。
 多くの人々をあわれみ、給食の奇跡を起こし、病人をいやし、死者ラザロを生き返らせた。
 それはなぜだろう。多くの人々に御父の本質を示すためである。奇跡やいやしそのものが目的なのではない。
 だが、イエスによって示された御父を信じようとする人は稀であった。パンで腹を満たした人々は満足すると解散してしまった。
 それでもイエスが示した御父を信じようとする人には、イエスのわざであるところの十字架と復活を通して恵みに預かった。
 イエスは今も、御父の本質を示し続けている。むしろ、それをどう捉えるかを私たちは問われている。

---

[一版]2020年 6月21日
[二版]2022年10月10日

 健やかな一日をお祈りします!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ プロテスタントへ
にほんブログ村

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 恵みとまこと 聖霊のバステスマ »