イエスのくびき

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28-30)

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 この世に疲れきった人々、また重荷を背負ってしまった人々への、イエスのメッセージ。

 真に得たいものは一体、この世のマテリアルなもの(マモニズム)なのか。
 それとも、魂の平安なのか。
 もし魂の平安であるならば、この世のくびきではなくイエスのくびきを負ってゆくことをイエスは勧めている。

 くびきとは、ごく簡潔に書くと、2頭の牛の首にかけて耕す(引っ張る)ための道具(というように聞いた)。
 イエスが片側を、わたしたちはもう片側を、それぞれ首に掛ける。
 そうして、二人で荷物を引っ張ってゆく。
 イエスが力添えしてくれるくびきは、世のくびきに比べて負いやすく、そして軽い。
 そのようにしてこの世にあって、イエスと二人三脚して歩んでゆく。

 ちなみに、このイエスのくびきというのは、言い換えると「イエスの焼き印」(ガラテヤ6:17)となる。

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[付記]
 記事履歴
 [1版]2008年 8月 1日
 [2版]2010年 7月 6日
 [3版]2012年 4月 1日(本日)

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