神が義と認めてくださるということ

 「神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。」(ローマ8:30-33)

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 神が私たちの味方であるなら、神が味方をしない連中は私たちに敵対するかもしれない。
 救われた私たちは神が義と認めてくださるが、彼らは何をもって自分を義とするのだろう。
 カネだろうか、才覚だろうか。自分の魅力だろうか。
 そのような自分を頼りにする人は、私たちに限らず敵対してくる。彼らにとって、それは悪いことではないのである。
 しかしイエスとの出会いによって御父と和解することができた私たちには、御父が味方してくださっている。
 それは、海が割れるとかということよりも、私たちの内面を大きな力で支え続けてくださる。
 自分を義とする無頼の連中には、これがない。
 だから、神が義と認めてくださるということは、ものすごく大きなことなのである。

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 イエス様の平安がありますように!

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