礼拝について

 「イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。
 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4:21-24)

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 神への礼拝をどこで、また、どのようにしておこなうかということについて。

 そもそも、神への礼拝とは何であろう、神への祈りとは何であろう。
 個人的には、私たちの御父にお会いすること、お話しすることだろうと思っている。
 私たちは、復活のキリストとの出会いを通して、既に御父を知っている。
 その、既に知っている神と共にあって、事あるごとに話しかける。
 いいかえると、いつも礼拝していて、いつも祈っている。
 何をしていようが、そうなのである。
 聖なる時にも俗なる時にも、貴の時でも卑の時でも、そうなのである。
 寺や神社にいてすら、そうである。
 これが、イエス・キリストによる神との和解の結果である。

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