イエス・キリストの十字架、復活、そして「いのち」にあずかるということについて
平成隠れキリシタン
訴えているのはモーセ
「わたしが、父の前にあなたがたを訴えようとしていると思ってはなりません。あなたがたを訴える者は、あなたがたが望みをおいているモーセです。
もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。
しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」(ヨハネ5:45-47)
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モーセが私たちを、私たちの肉を訴え続ける。
律法によって、訴え続ける。
モーセが書いたことは御神にとって正しいことだ。
だからモーセを信じる。
だが、そのモーセは私たちの肉を訴え続ける。
どこまでいっても肉は肉なので、律法の要求を全うできない。
そうしてモーセは、肉をゆきづまりにまで追い込む。
そうなったら、罪なき肉を十字架につけて復活されたお方が救ってくださる。
これがイエスの道であり、苦しみなしの救いはない。
律法を守り行おうとすることそれ自体は、だからとても大切だ。
ただ、救いは恵みによる。
「あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」、イエスのいのちのことばは、律法の先にある。
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もしあなたがたがモーセを信じているのなら、わたしを信じたはずです。モーセが書いたのはわたしのことだからです。
しかし、あなたがたがモーセの書を信じないのであれば、どうしてわたしのことばを信じるでしょう。」(ヨハネ5:45-47)
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モーセが私たちを、私たちの肉を訴え続ける。
律法によって、訴え続ける。
モーセが書いたことは御神にとって正しいことだ。
だからモーセを信じる。
だが、そのモーセは私たちの肉を訴え続ける。
どこまでいっても肉は肉なので、律法の要求を全うできない。
そうしてモーセは、肉をゆきづまりにまで追い込む。
そうなったら、罪なき肉を十字架につけて復活されたお方が救ってくださる。
これがイエスの道であり、苦しみなしの救いはない。
律法を守り行おうとすることそれ自体は、だからとても大切だ。
ただ、救いは恵みによる。
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