★昨夜の僕の夕食メニューの1つが「豚レバーと小松菜の炒めもの」だった。 小松菜は、画像のように茨城県・行方産(^_^)v。 大量に買い込んだパートナーが「大丈夫かしら? 返そうかしら?」としょげるので「行方(←小高城のあるとこでっせ)、セーフ、セーフ」と笑い飛ばすと、(切り替えの速い性格のようで)「じゃ、きょうは、豚肉と小松菜のニンニク醤油炒めにしよう」と。 僕の家は、きのうも、きょうも、おそらく、あすも、あさっても、茨城県・行方産の小松菜料理だ。 ★本ブログの中心メニュー「教育モノ」は、3/9の「すこやかみなみネット・点検内容10項目の1番目」=「(1)学校・家庭・地域が連携・融合・協働して改革する学校部活動問題の進捗状況と今後の方策」を提示したところで途切れている。 東北関東大震災の復興、および原発トラブルや計画停電といった二次的問題に関する対策については、僕のできる範囲(僕の内なる非現実から外なる現実に突き抜ける方途)において応援しつづけることを約束して、本日より、本ブログは、中心メニューである「教育モノ」へとシフトしていくことにする。 (「僕の内なる非現実から外なる現実に突き抜ける」については、いずれ、また細かに触れることにするが、東北関東大震災の揺れが、僕の「内なる非現実」を揺すりだしたのだ。) ★僕の話は、いつでもどこでも―― 「日本の教育危機の元凶は、学校の教育独占体制、あるいは学校の教育丸抱え体制にある。 学校は、抱え込み、抱え込み――たとえば、理科の教師は肝心要のあすの授業における実験の準備に割く時間も見出せないくらい抱え込み、抱え込み――もうパンク寸前、いや、パンク状態で、教育力が極端に低下している。 また、学校が(好むと好まざるとにかかわらず)どんどん抱え込んでしまうものだから、当然のこととして、家庭・地域の教育力も低下する。 これを修正し、学校・家庭・地域、それぞれの教育がバランスよくならないかぎり、どんな施策を打ち出しても、あまり、いや、ほとんど効果はあがらない。 逆にいうと、バランスさえよくなれば、日本の教育はまだまだだいじょうぶだ。 そのためには―― という口上から始まる。 すこやかみなみネット点検項目のトップに「学校部活動改革」をあげるのは、「学校の教育独占体制」の象徴である、改革の本丸であると認識しているからだ。 これに手をつけないで、他をいくらいじくっても――例「学校事務の組織化から学校改革へ」など――ほんとうの改革は進まない。 ★すこやかみなみネットの眼目は「学校・家庭・地域の3者が連携・融合・協働して、それぞれの教育がバランスよく行われる教育環境をつくろう」。 そのために「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげよう」というものだ。 「子どもの教育に、互いに参加・参画できる仕組みをつくりあげる」ために、すこやかみなみネットでは、 ・学校・家庭・地域の情報交換会 ・情報誌の発行 ・あいさつ運動 ・小・中、公民館合同文化祭 ・地域環境美化活動 ・地域防災・防犯訓練 ・地域巡回活動 ・学校支援ボランティア活動――等々、さまざまな連携・融合・協働活動に取り組んできた。 ★こんなふうに、(ま、はっきりと、あるいは、アイロニカルにいうと)、創設以来、意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきたのだ。 これだと、家庭や地域の諸団体が合意しやすいし、取り組みやすいからだ。 が、しかし、これらは大切なことだが、改革の本丸ではない。 学校事務の組織化、効率化といっていることとなにも変わらない。 やはり、次の段階として、この活動と並行しながらも、(これまで意識的に、ターゲットを「子どもの健全育成・安全確保」に限定してきたのと同じように、意識的に)新たなテーマ(改革の本丸=学校部活動改革)にも取り組んでいかなければいけない。 ただし、ターゲットを変えると、すなわち、「荷の軽い協働」から「荷の重い協働」にギアを切り替えると、ネットワークの質が変わる。 よほど慎重にやらないと、一瞬のうちにネットが崩壊することもある。 ★僕の出だしの口上は威勢がいいのだが、恐がりの僕の終わりの口上はいつも―― 教育に関していちばん荷を抱え込もうとしているのが学校です。 この学校が、ダムの水を徐々に、計画的に放流するように、アウトソーシング計画をもたなければ事態は改善しません。 この「アウトソーシング計画」が、やがてすこやかみなみネットのターゲットになる日がくるかもしれません―― と、ホンマにホンマに、ぼんやりとしている。 ★だから、先日の夕刻、静かになった職員室で、乱氏とプレゼンテーション資料を点検していて、スクリーンに夕日の赤色が差しこみ、壮絶な色合いになったとき、次のような会話になったのだ。 ☆乱氏「学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスをよくするというのが、プレゼン全体のテーマだということはよくわかるのですが、問題は、学校・家庭・地域の3者に、現時点では(事業がスタートしてある程度の時間が経過しているにもかかわらず)『改善されている』という実感がまったくないんですね」 ☆僕「同感です。『学校の教育丸抱え体制の打破』の本丸は、中学の場合、結局、部活動改革ですよ。これがまったく進んでいない。だがら、語りの流れが、テーマの提示はするものの、何一つ解決されないまま、即、課題という格好になってしまうんですよ」 ☆乱氏「それに、『学校の教育丸抱え体制打破』については、教員はある程度理解していると思いますが、他の人たちの反応は冷ややかですね。」 ☆ 僕「冷ややかには二つあると思う。一つは、『丸抱え』でいいという意見。もう一つは、教員が好きこのんで『丸抱え』しているんじゃないかという意見」 乱氏「アッハハハハハハ(^_^)v」 僕「日暮れて道遠し(ノ△・。)」 ☆乱氏「今回の発表は、各事業とテーマ(学校の教育丸抱え体制打破)の関連を明確にしながら進めてみましょうか? ただ、そうなると時間配分がね……」 ☆僕「それに、その関連で『部活動問題』を正面から取りあげると、学校部活動体制維持派と改革派の関係が険悪になって、ネットワークが一気に崩壊するかもしれません……」 ★乱氏との会話もぼんやりしているが、きょうの記述もホンマにぼんやりしている。 このぼんやりした状態から、きょうも抜け出せそうにない。 ホンマにホンマになさけないが、きょうもぼんやりしたまま終わることにする。(ホンマは「腹案」^^;がある。) ★最後に、少し観点を変えて、僕のいう「学校の教育丸抱え体制」を強める方向に作用したと思われる点について、粗く3点あげる。 1つは、学校中心自治民育体制。 昭和7年文部省訓令「学校少年団」 昭和16年「大日本青少年団」 昭和20年5月22日戦時教育令=「学徒隊」 このいう流れのなかで、いわば「学校中心自治民育」体制が確立していったと思われるのだが、この戦前の学校イメージが、敗戦後も、幻影として保持されたこと。 2つ目が、教育爆発現象。 高校進学率が昭和20年代〈20%〉→昭和50年代〈90%〉と急カーブを描いている。 受験のための狭義の学力観(=価値観)に地域・家庭も追随していったこと。 3つ目は、地域社会構造の変化。 職住分離・核家族化が進行したこと。 この3つにくらべれば、影響は極々小さいと思うが、もう1つあげるなら、「学習指導要領」の問題だ。 なにかあると、学習指導要領に取り込み、学校で取り扱うという安易な判断が積み重なり、つまるところ、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向(なんでも学校、家庭もそう思い、地域もそう思い、教師自身もそう思いこむ)をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させる方向に働き、それが同時に、社会の教育力を奪ってしまった。 蛇足になるが、今、学習指導要領が、教育というものの、すべてを、学校に取り込む方向をつくりだし、結果として、学校の教育丸抱え体制を強化させ、同時に、社会の教育力を奪ってしまったと書いたが、残念なことに、現学習指導要領案によると、総則第4の3(13)に「部活動については、(中略)学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際、地域や学校の実態に応じ、地域の人々の協力、社会教育施設や社会教育団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること」とある。 部活動が、教育課程外であるという位置づけは変わっていない。 しかし、「教育課程との関連が図られ」と指示している。 バカげた話だ。 何度もくり返すようだが、こういう安易な妥協、あるいは「取り込み」が積み重なり、積み重なり、既に40年前の第3の教育改革を構想しなければならないような教育危機状況に至ったのである。 まだ懲りないのか? 記述内容がぼんやりしたままで忸怩たるものがあるが、きょうは、これで終わる。 ★関連記事 ・「ふれあいセンターわいぐ」の情報誌編集部から、すこやかみなみネット事業について取材を受ける ・協働のまちづくり研修会のトークセッション パネラー=萩原なつ子氏(立教大学大学院助教授)・赤坂美千子氏(地域間交流研究会はちのへ農援隊事務局長)・僕 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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