職員室通信・600字の教育学

小高進の職員室通信 ①教育コミュニティ編 ②教師の授業修業編 ③日常行事編 ④主任会トピックス編 ⑤あれこれ特集記事編

日本の学校は力がある。家庭もそうだ。地域もそうだ。ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。

2009-05-19 15:10:29 | Weblog


◆教育開発研究所から『教職研修』(6月号)が送られてきた。

 6月号の第1特集は〈学校と家庭・地域“双方向”の連携・協力――新教育課程下の新たな“連携・協力”のあり方を考える〉である。
 この中に、「児童・生徒を主役とする新たな連携・協力への移行」(香川大学教授・柳澤良明)、「“双方向”の連携・協力をどう進めるか」(日本大学教授・佐藤晴雄)等とともに、わたしの「すこやかみなみネット事業~気軽に参加・参画できるゆるやかなネットワークづくり~」が掲載されている。

 『教職研修』の編集のやり方で、これはいいと思うのは、原稿の冒頭に「実践のポイント」、あるいは「対応のポイント」として、400字程度で要旨を提示していることだ。
 これは、書き手にとっても、読み手にとっても、たいへん都合がよい。

 ちなみに、わたしの原稿の「ポイント」は、次の①~④である。

①連携・協力の中核エネルギー
 歩く人が多くなれば道はできる。しかし、最初に歩く人、多少の困難があっても歩きつづける人がいないと、なにも始まらない。連携・協力には中核エネルギーが必要である。中核エネルギーの質が連携・協力の質を決定する。

②小学校と中学校の連携
 小・中学校の連携がしっかりしていることが、学校側・地域側、双方向の連携推進の条件である。小・中学校の方針がバラバラだと、継続的な学社連携はほとんど進まない。

③機動性に富む運営組織
 理念をきちんと共有した上で、それぞれの立場から、気軽に自由に参加・参画できる組織づくりが大切である。立派な組織を作っても、会議の招集もままならないのでは充実した活動は期待できない。

④学校・家庭・地域のバランス
 このバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。逆に悪いままだと、なにをやってもなかなか効果があがらない。連携事業が、バランスをよくすることに結びついているかどうかを絶えず点検する必要がある。(「ポイント」以上)

 この「ポイント」をみて、読んでみようと思った人は読めばいいのだ。(ぜひ、読んでいただきたい(^_-)。)

◆このポイントで原稿を書いたわけだが、原稿用紙(400字詰め)にして7~8枚だから、(決して実践の「部分」を書くことを求められているのではないから)どうしても広く、浅く、かつ、つめつめの実践論文になってしまう。
 狭いスペースでも、こちらにもう少し技量があれば、中心は深く鋭く、他はサラサラッとやって、読む人に「つめつめ」感を与えることなく、趣意をつかんで納得していただける原稿が書けるのに……と、いつものことながら猛省している。

◆もし、スペースが2~3倍程度あるなら……こういうことに触れたかったのだけれども……ということを、3点書くことにする。

(1)学校支援地域本部事業やコミュニティスクール・地域運営学校、あるいは、放課後子ども教室推進事業等と、わたしの「ネットワーク設計」との、重なり合う部分と相いれない部分とを、鮮明にしたかった。
 前者の多くには、たとえば「子どもの環境は、情報化、価値の多様化も含めてどんどん変化しており、学校はこれまで以上にさまざまな課題を抱えるようになっています。学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援していくことが求められています」(清水潔・文部科学省生涯学習政策局長)という発想がある。

 しかし、わたしは「学校の負担を軽減するために、地域の力を借りて学校を支援」してもらおうと考えたことは、これまで1度もない。
 現在の教育危機の元凶は、学校が多くの荷を抱え込みすぎた(ま、わたし流にいえば)「学校の教育丸抱え体制」、あるいは「学校の教育独占体制」にあると考えている。
 だから、学校が抱えている荷をそのままにして、「たいへんでしょう。支援してさしあげましょう」という発想では、事態の好転は、ほとんど期待できない。
 学校が抱えている荷のなかで、家庭が引き受けるべきは家庭に、地域が引き受けるべきは地域に……と、適切に分担(分担も「連携」)することにより、学校の本来の教育活動が充実する、そして、家庭や、地域も生き返る。
 このことを目指した、学校・家庭・地域の連携・融合・協働であり、ネットワークづくりである……という発想だ。

 だから、「もう一度地域の人が結集するシンボルとしての学校を見直そう」(清水潔・文部科学省生涯学習政策局長)とか、「……さまざまなネットワーク活動を意図的に立ち上げて社会のつながりをつけ直すことが必要だと思う。そのためのひとつの有効な方法として、いい学校をみなで作ろうということを目指した、学校を拠点とした地域と学校の連携を深めるネットワーク活動がある」(金子郁容氏)という思想とは、あいいれないものがある。

 くどくなるけれども、くり返す。
 わたしは、学校の荷はそのままに……という連携や、学校を拠点にした連携という発想はとらない。
 学校・家庭・地域、それぞれの教育のバランスがよい状態を追い求めたい。
 学校・家庭・地域のバランスがよくなれば日本の教育はまだまだよくなる。
 日本の学校は力がある。
 家庭もそうだ。
 地域もそうだ。
 ただ、今、バランスが悪いだけなのだ。
 バランスがよくなれば、日本はまだまだ大丈夫だ。
 逆にバランスが悪いままだと、なにをやってもなかなか効果はあがらない。
 バランスをよくするための連携事業、ネットワーク活動が大切だ。

 わかりやすくいえば、わたしは「バランス主義」、そうでないのは「学校中心あるいは学校拠点主義」。
 この区別はきちんとつける必要がある。
 区別をつけておかないと、まず、まちがいなく、道を誤る、落とし穴に落ちる。

 「学校中心主義」かどうかを、見分けるための簡単な方法がある。
 そのネットワークの中核になっているエネルギーがどこにあるかを点検すればいいのだ。
 わたしは取材するとき、必ず、まず「会議を招集するとき、だれがやるのですか?」「会場はだれがセットするのですか?」「このプリントはだれが作ったのですか?」「会計はだれがやっているのですか?」等とたずねる。
 あるいは、「実施要項」とか「会則」とかの「事務局」の項目をみる。
 「事務局には、事務局長を置き、教頭をもってこれに充てる」というようなことが書いてある場合は、最悪のパターンとまではいわないが、ま、あまり期待できない。

 話は少しそれるが、日本の社会教育の失敗も、これに似ている。
 戦後、たくさんの社会教育団体が発足した。
 そのとき、事務局に役所の職員を充てた例が、(どのくらいだろう? 相当)あるのではないか。
 わたしは、これがまずかったと思っている。
 いつも歴史はくり返している。
 よほど気をつけなければ……。

◆「もし、スペースが2~3倍程度あるなら……こういうことに触れたかったのだけれども……ということを、3点」といったが、1点だけで、きょうは終わってしまった。
 2点目=小中連携、3点目=組織運営……は、後日。


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