職員室通信・600字の教育学

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東北関東大震災発生時の揺れのなかで『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声

2011-03-20 15:52:22 | Weblog

 

2011
03.19
この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし


★東北関東大震災に関して、今のところ、粗く、次のような2つの「僕」が存在している。(←「今のところ」と断るのは、今後、徐々に変化し、1つになるかもしれないし、逆に、3つ、4つとさらに分離するかもしれないから……。これを、こうしてブログを更新しつつ思考し、突き詰めていきたいと考えている。)

 ひとつは、くりかえし記述しているように、東北関東大震災で、僕の10代中・後半から、僕の精神的時空間の、現実と非現実の境を支えるポイントでありつづけた、鮫、陸中八木、田野畑、宮古、気仙沼、小高、九十九里等の被災により、僕の半分が壊れている……と感じている僕。

 もうひとつは、経験したことのない長い揺れのあと、しぱらくはロウソクと携帯ラジオと旧型石油ストーブの生活を強いられたものの、身近に人的被害はなく、物的被害も極微で、3/19現在、水道○、ガス○、電気○、灯油△(もうすぐ×)、ガソリン△(もうすぐ×)と、被災地の被災者とはかけ離れた、静穏な時空間に「温々(ぬくぬく)」と存在している……と感じている僕。

 要するに、今回の東北関東大震災についての感性(sensitivity)上の、僕の受けとめ方、あるいは、考え方のようなものが、前者の、あくまで私事としての僕のものか、後者の、あくまで安全地帯に身を置く僕のものか……でしかないということだ。




★無力といえばこのうえない無力――先日、「ホームページ&ブログの更新、および、twitter、チャット、掲示板への発言をストップしているのは、想定を超える被害の大きさに正対する言語を、僕のうちに見出すことができないからだ」といったのは、ほぼ、このことと同じだ。

 しかし、気を取りなおし、こうしてポツポツ――カタカタではない(*^_^*)――と、キーボードを打っているのは、僕は自らの強いこだわりで「私事としての僕」を選択しているのであるし、また「安全地帯に身を置く」のは単に偶然の僥倖にすぎないのだから、僕は、「あくまで私事としての僕」を貫けばいいと考え直したからだ。

 長い揺れの中に身を置いているとき、僕の耳に『増鏡』の老婆の「この日本国の衰ふるはじめはこれよりなるべし」の声が聞こえた。(巻2.「新島守」――老婆の発言のシチュエーションは自然災害とは異なる。)
 「私事としての僕」として(妙な日本語(*^_^*)耳を傾けつづけたい。

★夕刻、はなむけ号(僕の折りたたみ自転車)で被災エリアの復旧状況を見にいき(なにをしにいったのか? ただ「見にいった」だけ。カメラも持っていったのだが、撮影はしなかった)、帰宅すると、小型のタンクローリーからホースが庭に伸びている。
 「50リッターだけですけど」
 ほんとうにもうしわけなさそうに業者が何度も何度も頭を下げる。
 午前中、パートナーが電話で灯油店に「いつ頃、届けてもらえるのでしょうか?」と問い合わせると「わずかずつしか入って来ない。いつになるかわからない」という返事だったのだが、なんとかやりくりして来てくれたようだ。
 しばらくは、温々(ぬくぬく)と暮らせる。

★画像=散歩コースの1つ。自称「鯖を語らせたら一番目の男」(板長)がいるホテルが見える急坂→こころはろばろ神社境内の裏山→水道公園コースで撮影。
 最近、この時期の木々の枝が好きになった。




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森林浴というより、草陰浴、ないしは、草木染め(^_^)v。苦しみが消える。しかし、執念はまだ復活せず

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