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◆まだ、なんとなく居心地の悪さがぬぐいきれない、自分の「古書店」に入り、その「居心地の悪さ」を、音楽で埋めてみるとどうだろうか?と、グレン・グールドのピアノでイギリス組曲第4番ヘ長調と第5番ホ短調を聴きながら、書架を整理しているとき、偶然『季刊芸術』(1968・第5号)を見つけた。(昨日も書いたが、イギリス組曲は、やはりハープシコードだと思うが、こういう心境のときは、ピアノも、結構、いい……、いや、意外に意外だが、最高!)
雑誌の背がひどく黄ばんでいる。
その黄ばみで、背文字が埋もれていたため、雑誌の存在に、ずっと気づかなかったのだ。
◆わたしの思考が、この『季刊芸術』に至るきっかけは、作家の福永信・柴崎友香・長嶋有と、画家の法貴信也、デザイナーの名久井直子の5氏による同人誌『イルクーツク2』(限定1700部)を取りあげた、読売記事〈記者ノート〉(担当 待田晋哉)の「同人誌に集う若手作家たち」だった。
記事のなかの、「大半の文学作品が商業出版を通じて出回る現在、自分たちの文学の言葉をつかみ取ろうとする、肩肘張らない文学運動にもみえる」という、新聞社の文学担当者によくある、占い的、あてもの的コメントに辟易しつつ、ま、そのことは仕方がないし、問題にすることでもないから、さておくとして、わたしの思考が、わが師・江藤淳の『季刊芸術』創刊の志は何だったのだろうか?……という方向に展開しかかったのだった。
(ただし、そのときは、なにが原因だったか、もうわすれてしまったが、いろいろなものに巻き込まれ、展開はストップしていた。検索機能でチェックしたら、1/18にこのことに関連する記述を見つけた。)
◆編集後記。
早いもので、「季刊芸術」も本号で創刊一周年をむかえた。
この雑誌の役割がかなり広い範囲に認められはじめたのは喜ばしいかぎりである。
わたしたちはあくまでも他人志向型のジャーナリズムを排し、なにものにもとらわれない自由闊達な発言の場をひろげることにつとめて行きたいと考えている。
卑小なシニシズムやいらだったセンセーショナリズムにあきたりない人々の平常心が、わたしたち四人の編集担当者の心の支えである。
◆唐木順三氏の『夏目漱石』を読んでいたら、『明暗』執筆中の漱石にも「遊び」の精神があったはずという一節が目についた。
人生葛藤の諸相はほとんど地獄に等しいとしても、それを描くという行為には「遊び」の余地がありうる。
同じように雑誌をつくるという仕事も、あるいわくいいがたい気持ちのゆとりに裏付けられたとき、もっとも稔り多いものになるだろうと思う。
それはだれにも行いがたい境地であるが、こういう時代だからこそ、なおさらそういう心がけでいきたい。
◆画像は、昨夜のお好み焼き。
豚玉。(画像をクリックすると、拡大しまっせ(*^_^*))
お好み焼きは、広島焼き(←これは、わたしはあまり好まない。キライではないから、だれかが焼いてくれたら食べるが、自分でわざわざ焼いてみようとは思わない……)以外、モダン焼き(←結構、得意)、ネギ焼き、イカ玉、エビ玉……と、なんでも焼くが、基本は、なんといっても豚玉だ(~o~)。
お好み焼き粉(←最近は、ずっと日清の「鰹・昆布の風味」←「山芋たっぷり」は使わない)50グラム。
水55㏄
ベーキングパウダー少々
これを全部食べるわけではない。
半分くらい食べる。
あとは、食べたいという人がいれば分けるし、いなければ次の日、レンジであたためて、熟成お好み焼きにして、朝食にする。
いいお好み焼きは、熟成お好み焼きとして、結構、いける。
アカンお好み焼きは、レンジであたためると、不味い。
◆片面を焼きながら(鉄板210℃、6分間)、あげ玉をばらまき、豚肉を並べているところ(^-^)
◆ひっくり返して、豚肉・あげ玉の面を下にしたところ。
この面の色、焼き過ぎかどうか微妙……、けど、この限界まで焼くのがポイント。
このまま、また6分間、焼く。
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