★11/14「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る(スロー・ジョギング)」途中に痛めたふくらはぎ。 11/19に治癒具合を確認するためにテスト走行し、さらに悪化させる。 500メートル付近で(痛めた時のチクッ、あるいはピリッとは異なる)重い痛みが発生。 なお、走りつづけようとすると、ふくらはぎの痛みの範囲が、2倍、3倍と拡大した。…… 絶望している。 引き明けの――視界の薄青さが徐々に明るさを増し、商店街の、仏壇屋、ミスタードーナッツ、文具店、眼鏡店、陶器店、時計宝石店、ブティック等の輪郭がくっきりとしはじめる時空に、自分の魂を、孤独に、街の果てに向かって、直進させる……ということができない。 仕方なく、ぬくぬくとした部屋で(窓を開け、寒風を入れればいい……ということは後から気づいた)、あまみFM(77.7MHz)を聴きながら、負荷をかけたエアロバイク、40分間、漕いだ。 あまみFM(77.7MHz)は、気に入っている放送局のひとつだ。 奄美を知らない(←ま、知人というか、お世話になった方はいるが……)僕に、奄美の過去、現在、未来のカタチをクッキリと伝えてくれる。 放送に魂を感じる。(僕の地元の放送局も、こういう魂のこもった放送をしてくれるといいのだが……(ノ△・。)。 先日、同じ状況で、バナナFM(87.7MHz)を聴きながら、負荷をかけたエアロバイクを40分間、漕いだが、僕は「引き明けの街を走る」のようにはブレストができなかった。 漕ぎながら、すごく堕落した自分を感じた。 あまみFM(77.7MHz)を聴きながら、負荷をかけたエアロバイク、40分間で、はたして、僕は「引き明けの街を走」れるのか? ☆あまみFM(77.7MHz)・「泉清次の蘇るこころの一曲」 いきなり「姿三四郎(姿憲子)」――夜明けの光が見えるまで 三四郎 それが生きるということさ……。 1970(昭和45)年。 総売上げ100万枚を越すミリオンヒット……と泉さんが語っている。 ☆あまみFM(77.7MHz)・「泉清次の蘇るこころの一曲」 「長崎のザボン売り(小畑実)」――鐘が鳴る鳴る マリアの鐘が 坂の長崎 ザボン売り……。 1948(昭和23)年。 泉さんは、若い頃、一度、小畑実が経営する焼鳥屋のビルに小畑を訪ねたそうだ。 「丸っこい顔をした人でした。」 僕は、小畑実がどんな人だったのか? 泉さんにどんなふうに接したのか?……ということが知りたかったのだが、泉さんはこれだけしか語らなかった。 ☆あまみFM(77.7MHz)・「泉清次の蘇るこころの一曲」 「博多ブルース(西田佐知子)」――東京行きの夜汽車のあの汽笛 ああ博多の夜も泣いている……。 1964(昭和39)年。 ★前回、バナナFM+エアロバイクのときは、ただバイクを漕いでいたが、今回のあまみFM+エアロバイクは、バイクに表示される「経過時間」と、「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」ときの「時間(スプリット)」とをリンクさせながら漕いだ。 ああ、そろそろガソリンスタンドだ……ああ、はんこ屋だ……ああ、折り返し地点だ……というふうに。 ☆あまみFM(77.7MHz)・「泉清次の蘇るこころの一曲」。 「かえり船(田端義夫)」――波の背の背に 揺られて揺れて 月の潮路の かえり船……。 1946(昭和21)年。 おいおい、遂に「かえり船」かぁ~と、結構、感激。 僕が徐々に丸裸になる感じ。 あまみFMを聴きながら、「大阪野郎、1に足腰、2に文体、引き明けの街を走る」どころではなくなった(ノ△・。)。 「生野本通商店街→栄通商店街→生野本通中央商店街→生野本通センター商店街→ベルロ-ド中銀座商店街→生野銀座街商店街」育ちの僕に、僕が直面させられる格好だ(*^_^*)。 これ、深夜放送ではない。 昼の生放送だ。 昼の放送で「かえり船」を流しながら島民に語っている。 あまみFMってスゴイ! ★昔、もう、ホンマ、ずっとずっと昔、来る日も来る日も、次から次に、日本の詩集を読みつづけたことがある。 ある詩人のところで――ま、僕は水の中を潜水、遊泳するイメージで読みつづけていたのだが――その水の密度が急変した。 胃と食道のあいだがグイグイと引っぱられた。 伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』だった。 あまみFMを聴いていて、このことを思い出した。 ★本日の追究課題が、あまみFM(77.7MHz)を聴きながら、負荷をかけたエアロバイク、40分間で、はたして、僕は「引き明けの街を走」れるか?……だった。 要するに、ブレストができるかどうか……ということだ。 結論として、バナナFM(87.7MHz)は(僕は)ダメだったが、あまみFM(77.7MHz)はOK。 「引き明けの街を走る」のと同じように、ブレストができる。 ただ、若干、ブレストの進む方向が異なるような気がする。(この2つの方向の考察は、今後、楽しみだ。) ――日々、コツコツと、マニアックな教育記事を積み重ね、それを編集して、月単位で、「職員室通信」を発行。なお、「マニアックな教育記事」を教員が読んでくれるようにならないと、結局、僕の道は開けない。 ――あまみFM(77.7MHz)・「泉清次の蘇るこころの一曲」、「かえり船(田端義夫)」を聴いているとき、『続・羊の歌』(加藤周一)の次の一節を想起した。 日本へ帰る船のなかで、数年ぶりで「歌謡曲」を聞いたことがある。 船は日本の貨物船であった。 そこでは、日本料理も、日本語の会話も、すべて日本に係わるものは、懐かしかった。 しかし、「歌謡曲」にだけはうんざりした。 船室のなかに拡声器があり、どこかの元締めではじめると、どこの船室にも自動的に「歌謡曲」の鼻にかかった声が流れた。 部屋の拡声器の電流を切ってくれ、と私は申し出たが、そういう装置はついていない、という返事であった。 それではせめて音を小さくしてくれ、と私は嘆願した。 しかし、その後も音は小さくならず、一日中、部屋にあふれ、しかも、日本の港に着くまでには、二週間があった。 私は拡声器をたたきこわして、ロンサールの詩集を読むことにした。 ここを読んだとき、僕は高校生だった。 僕は当時、「歌謡曲」は好きでも嫌いでもなかったが、「拡声器をたたきこわ」す加藤には強い違和感をもった。 加藤は記憶にないと思うが、船室に流れる「歌謡曲」のなかには、「かえり船(田端義夫)」もあったのだ。 ――立川談志の訃報を受けた立川志の輔のコメントに「師匠、いつまで落語のことを考えているんですか?といいたくなるくらい落語のことを考えていました」。 ★関連記事 ・自己の輪郭のルーツ。卑屈さがない。下品でない。狡猾さがない。高慢な口調がない。豪傑じみた高笑いしない ・『文藝・臨時増刊・堀辰雄讀本』中味では座談会の伊藤整、大岡昇平、山本健吉の品のなさがおもしろい ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
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