★画像は「うみねこバクダン」 「うみねこバクダン」とは―― 蕪島にかかせない存在「うみねこ」をモチーフにしたお菓子です。 蕪島では毎年3月から8月までの間「うみねこ」で賑わい、ピーク時に約4万羽もいるといわれています。 しかし、うみねこの「フン」も相当なもの。 観光客は、空から降ってくるたくさんの「フン」を避けるため、傘をさして参拝します。 地元では、うみねこのフンのことを「ばくだん」と呼んでおり、これをモチーフにしたお菓子が「八戸うみねこバクダン」なのです。 蕪嶋神社周辺に住む方々の「うみねこバクダンのお菓子があればおもしろいね」という声を聞き、NPO法人ACTYがおみやげを開発するプランとして、「ネガティブ」な地域資源も、魅せ方を変えればポジティブな地域資源に変わる!」と蕪島やうみねこの情報発信をする目的で企画・発売に至ったものです。 うみねこの形を模したパッケージデザインで顔がちょっと挑発的です。 羽は開閉式になっていて持ち運びやすい工夫をしました。 箱のお尻部分が開くようになっており、そこからメレンゲとクッキートホワイトチョコでできたお菓子が出てきます。 見た目はフンらしさ(色)を追及しています。 甘さ・食感が調和した美味しさの追求にこだわりました。 箱の中に「当たり」のハガキが入っていれば、蕪嶋神社名物の「会運証明書」(フンが身体に付着したことを証明する絵馬)があたるという仕掛けまであります。 新たな八戸名物として、是非お試しください。 10個/箱 1,050円。(「NPO法人 ACTY ブログ」から引用) 「箱の中に当たりのハガキが入っていれば……」というのが、オモロイなぁ~(*^_^*)と思った。 NPO法人ACTYと僕の違いは、「まち」のとらえ方だ。 ACTYが、「まち」を、どちらかというと、「地方生活圏」(=半径20~30㎞ 人口15万人~20万人)でとらえたがるのに対して、僕は、見通し距離、すなわち「1次生活圏」(=半径4~6㎞ 人口5000人~1万人)を重視する。 「1次生活圏」の組み合わせが、「地方生活圏」だ。 「1次生活圏」がしっかりしないと、いい「地方生活圏」にならない。 「1次生活圏」を基盤にした活動に、NPO法人ACTYが力を貸してくれれば……と、いつも思う。 ★いつもの「1に足腰、2に文体、大阪野郎、引き明けの街を走る」。 「街を走る」ときの「走り方」に3つあることに気づいた。 というか、正確には、ある1つの走り方を発見したことにより、僕が、これまで、それとは別の、2つの「走り方」をしていたことに気づいた。 別の2つのほうから説明すると―― 1つ目は、今、走りつつある街の時空間に抱かれる、あるいは、僕のカラダを浸らせる……という走り方。 2つ目は、過去の時空間に向かって疾駆する……という走り方。 現在の街ではなく、僕が、過去の、たとえば中学時代の勝山通を疾駆している……ということがある。 3つ目に、今回発見した「ある1つの走り方」―― これは、2つ目の変形だ。 すなわち、「過去の時空間に向かって疾駆する」のは同じなのだが、この「過去の時空間」を「未来」ととらえる走り方だ。 と、――ここを記述していて、ふいにキルケゴールを思い出したのだが、――キルケゴール風にいえば、2つ目は、後方に向かって反復されているのに対して、3つ目は前方を向いた回想である。 ま、今はこの程度でやめておく。 まだまだぼんやりしているから、ぼんやりした部分がいっぱい残っている(*^_^*)。 もう少し走り込むと、「1つ目」と「2つ目」と「3つ目」の違いを、もっともっとクリアに述べることができるようになると思う(*^_^*)。 なお、現時点では、走りながらブレストできるのは、1つ目と2つ目の走り方だ。 3つ目は、僕と前方風景とのあいだに、一種の緊張感があり、ブレストはほとんどできない。 ブレストを中心に考えるなら、「1つ目」と「2つ目」と「3つ目」とのあいだを、縦横無尽に駆けめぐるブレストが望ましい。 ちなみに、キルケゴールの本(主に白水社)のほとんどは、昔、食料に消えてしまった。 ホンマに残念に思う。 ★近時のブレストを記録しておく。 ひょっとしたら、何か大切なことがらが含まれているかもしれないから……。 ――土曜日の夜のお好み焼き。 失敗作ではないが、外サクサク度=評価3の下、中ホカホカ度=評価3。 外サクサク度は、その気になれば、なんとでもなるが、中ホカホカ度の「3」は、ちょっとショックである。 トロケ感がなかった。 原因は不明。 焼き方か? 野菜の水分の問題か? 前々回は最高やったが、こうして出来上がりがバラつくようでは、アキマヘン。 ――『その街の今は』ではないが、もっと「過去画像」に、僕の魂を「つっこむ」……といったあとから「過去画像は風景描写の代わり」くらいでええのんとチャウ?という僕がいる。 ――ま、この「過去画像」と、僕の「つながり」は、もう少し哲学する必要がある。 ――「今」という副詞を――実際に使用するかどうかは別にして――ジャンジャン使う……という気持ちで。 僕の「今感」、ライブ感が、弱い。 ――料理人の仕事をみていると「ササッと仕上げる」ように見える。 決まった手順。 この「手順」に至る修業&労苦。 僕の場合、この「手順」がない。 すなわち、「手順」に至る修業が足りない。 ①組み立てる修業。 ②カットする修業。 ③書き込む修業。 なお、「ストーリーづくり」の修業はやらない。 事実に即する。 ――話者(要するに、僕)の「視点」を、もっと露骨に。もっと明確に。もっと「えげつなく」。 ――今は、「職員室通信」の世界と、「今」が、僕のうちで分離している。 「職員室通信」の世界を「未来」ととらえること。 そうすると、「職員室通信」の世界に没入できるはずだ。 「過去世界」に没入するのは、やっぱりみっともない……と感じている僕がいるから、ま、「分離」しているわけやね(^_-)。 ――いっきに原稿用紙10枚、20枚……という勢いの時もあるし、そういうのがちょっとシンドイ……という時もある。 今は、後者(ノ△・。)。 だから、仕事を短い、いくつかの「作業」に変換し、のちに、それを連結する……というようにしたらいいかなぁ、きょうは。 ★関連記事 ・★加藤周一は記憶にないと思うが、船室に流れる歌謡曲のなかには、「かえり船(田端義夫)」もあったのだ ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます