goo blog サービス終了のお知らせ 

サムイズダート・ロシア

めざせロシア式菜園生活!ダーチャごっことロシア&北海道のお話あれこれ

ウクライナ侵攻に反対する署名キャンペーン

2022-02-25 | ロシアコラム
日本ユーラシア協会のFacebookによると、
ロシア人たちがウクライナ侵攻反対の署名活動を始めたそうです。



上からキャンペーンサイト「ウクライナとの戦争反対」に入れます。
戦争反対に賛同するロシア人を対象にした署名活動ですが、
この活動への支持を表明して署名するのもありかと思います。
①氏名、メールアドレス、居住地を入力して送信
②メールが届くので、クリックして認証
これで1票入ります。

続報はこちら!
「偽情報」取締法によりロシア反戦活動に影
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国後から泳いできたロシア人と極東1ヘクタール法

2021-09-20 | ロシアコラム
去る8月19日、北海道標津町(しべつちょう)で、国後島から泳いできたというロシア人男性が発見された事件。当初は「亡命」を要請し、その後「難民申請」に転じ、本人に直接取材した日本のメディアには「ポーランドかドイツかオーストラリアに行きたい」とか「プーチン政権のロシアには返さないでほしい」などと語ったとか。1カ月たった本日の時点で、まだ処遇決定の報がなく、当然、さまざまな憶測を呼んでいます。


写真は根室の「北方館・望郷の家」ジオラマ。ガラス越しなのでピンボケ失礼。男性が泳いできたと思われるルートを赤点で結んでみました。約24㎞。

根室近くの海岸からは、すぐそこに北方領土の島影が見えます。なので、泳げば日本に行ける!と思ってしまうのも無理からぬことですが、本当に泳いできてしまうとは! ロシアの国境警備隊は何をしていたのでしょうね?


こちらは国後島ではありませんが、北方領土・歯舞群島の水晶島近くを見張るロシア警備艇。2014年9月撮影。

それにしても、この事件をめぐっては、ロシア人=スパイ、何か魂胆があるはず、と裏を探る日本人が少なくないことに驚きました。いまだにロシアといえば、ソ連時代と変わらぬステレオタイプなイメージが優勢なのですね!

こんなナイーブなスパイを送りこんでくるほどロシアも暇ではないと思いますし、実はこの男性、過去にロシアの複数のメディアの取材を受け、顔写真も露出してます。これについてはのちほどご紹介するとして…。

●事件のおさらい

8月22日付の朝日新聞によれば、このロシア人男性は、

「ウラル地方ウドムルド共和国のイジェフスク出身。3年前に国後島に移住してきたという。イジェフスクはカラシニコフ自動小銃の生産で知られる。(*この情報わざわざいります??)

 男性は、極東地域の土地1ヘクタールを希望者に無償で提供する制度により、国後島の最南部で標津町に最も近いゴロブニノ地区(日本名・泊)に土地を得たという。

 地区行政府のあるユジノクリリスク(日本名・古釜布)の南方42キロのドゥボボエ村などで暮らし、時おりトラクター運転手などをしていたという。」

少々補足しますと…。まず、この男性の故郷イジェフスクは、確かにカラシニコフで有名ですが、今ではむしろ女子フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワ選手の出身地として知られる街。ロシア西部に位置し、人口60万人超。決して辺鄙な田舎町ではありません。

●「極東1ヘクタール法」とは

なのになぜ故郷を出て国後に渡ったのか? そのカギは「極東地区の土地1ヘクタールを希望者に無償で提供する制度」にあります。この制度、2016年にプーチン大統領の肝いりで始まったもので「極東1ヘクタール法」とも呼ばれます。なにせ広大なロシア。未開地がまだまだあるので、民間に開発を委ねようというわけです。

この制度については、以下のブログにとてもわかりやすく書かれています。
ロシアビザーズ「極東1ヘクタール土地無償提供とは?」

タダで土地がもらえるには条件があり、5年以内にその土地を何らかの形で活用しなければならないのですが、新天地を夢見て応募者が殺到。そのひとりが、くだんの男性です。彼の名は、ワースフェニックス・ノカルド、38歳。かなり変わった名前ですね。フェニックスは不死鳥ですし、ノカルド(Нокард)は逆さに読むとдракон(ドラゴン、竜)。自身で改名したそうです。

●謎の男性が国後島に渡るまで

2019年4月5日付「テレグラフ」通信によれば、彼は故郷の街で職を転々としつつ、海のそばに住むことを夢見て、あちこち旅行していたそう。旅先のひとつが、東京でした。

2019年4月15日付「ノーヴァヤ・ガゼータ」によれば、ノカルド氏は若い頃から日本に関心をもち、合気道を習い、日本語の辞書や会話集を集めていたとのこと。知人の勧めでウラジオストクの無料日本語教室に通ったこともあり、2011年には来日して2カ月半滞在。この時、日本語学校に通っていたという情報もありますが、「ノーヴァヤ・ガゼータ」は「ストリートミュージシャンと交流をもち、ギターを習っていた」と伝えています。なりゆき任せの旅を楽しんでいたのでしょうか。

しかし、ビザが切れて不法残留となり、結局、強制送還されてしまいます。この時のことを彼は、「もっといたかったのに、送り返された」などと語っています。ちなみに「モスクワ・タイムズ」は、ノーヴォスチ通信の情報として、ノカルド氏はタイとインドネシア・バリ島からも書類偽造などにより送還されたことがあると伝えています。事実であれば、不法滞在の常習犯。別の言い方をすれば、不法国外脱出の常習犯です。合法的に海外に住んでいるロシア人はいくらでもいるのに、なぜ不法な手段に訴えるのでしょうね。

イジェフスクに戻ったあとのことはよくわかりませんが、「テレグラフ」によると、最後はロステレコムの技術サポート部門で働いていたそうです。ロステレコムといえば、フィギュアスケートのグランプリシリーズのひとつ、「ロステレコム杯」のスポンサーとしても知られるロシア最大の電信電話会社。風来坊がよくそんな仕事につけたと思いますが、案の定(といっては失礼ですが)ノカルド氏は解雇され、そこで一大決心をします。

そうだ、極東へ行こう!

その動機は、極東への憧れと「地元にはろくな仕事がない(本人談)」ことだったもよう。2017年2月、公共サービスポータルサイトから、いとも簡単に「極東のヘクタール」を予約し、登録を完了。



こちらは今現在の「極東ヘクタールプログラム」公式サイト。極東以外の地域も加わって、現在も募集中。

場所は自分で選ぶことができたようです。
(以下の地図は上記の公式サイトより。このすべてが対象ということではなく、これらの地域の一部の未開地)



このなかから彼が選んだのが、よりによってクリル諸島(千島列島)の国後島。上の地図でいえば、右端に連なる島々の一番下。そこが、日本が固有の領土として主張する北方領土4島のひとつ、ということをどの程度理解していたのかはわかりませんが、「暖かい場所かと思っていた」と語っているくらいですから、浅い知識しかなかったのでしょう。

かくして、わずかな荷物と7500ルーブル(約13000円)を手にして国後島にやってきたノカルド氏。しばらくは慣れない土地での生活に難儀したようですが、「国後への移住者」としてメディア取材を受けた2019年4月の時点では、島の暮らしをそこそこ楽しんでいたもよう。アルバイトの合間にハイキングしたり、日本語を習ったりし、もらった1ヘクタールの土地を旅行者の宿泊施設にするという夢も持っていたようです。

●そして日本へ

しかし、夢は叶わなかったのでしょう。この2年4か月後、彼は泳いで日本に渡ってくることになります。国後側では、南千島の社会政治新聞「ナ・レべジェ」が8月21日付でこの事件の第一報を伝えています。ノカルド氏を知る地元民によれば、彼は口数少なく、コンピューターゲーム好きで、アルバイトを転々としていたとのこと。「彼の失踪が明るみになると、彼の住居からダイビングスーツと足ひれがなくなっているのが発見された」そうです。

北海道に泳ぎ着き、札幌出入国在留管理局に収容されたノカルド氏は、HTB(北海道放送)の面会取材に対し、こう語っています。

「連邦保安庁から目をつけられて、国後島に来た当日に捕まって尋問された。その後、いつも監視されていた。国後島はコネが無いといい仕事に就けない。明るい展望が見いだせない」

本土から身一つでやってきて、なんのツテもないともなれば、「明るい展望が見いだせない」というのは、わかる気がします。

しかし、初日に連邦保安庁に「捕まって尋問された」のは、先の「ノーヴァヤ・ガゼータ」によれば、ノカルド氏がこの一帯が国境地帯であることを知らず、立ち入るための許可証を取得していなかったため。許可証は、その後すぐに発行してもらったようです。

この許可証について詳しく書かれているのが、「北方領土の話題と最新情報」。元島民2世の方が書かれている大変情報の濃いブログです。

これによると、観光客が国境地帯と知らずに入って罰金をとられることは、よくあるそう。「ロシア連邦保安庁(FSB)」とは、ソ連KGBの流れをくむ諜報機関ですが、国境警備も担っています。許可証を持たずに島に入ろうとしたら、尋問されるのは当然でしょう。そのうえ、開拓目的で来たのに、何年たってもその気配がなく、バイト暮らしをしていたら、目をつけられても不思議はないように思います。しかも彼は不法滞在の常習犯ですし。

残念ながら、調べられる限りでは、この男性に同情すべき点はあまり見つかりませんでした。常に生きにくさを感じ、「ここではないどこか」を探して放浪している人のようにも思えます。難民とは言い難く、目下のところは不法入国者とみなされているもようです。さて日本側とロシアFSBは、最終的にどんな判断を下すのでしょう?

●極東開拓とダーチャ精神

個人的には、「極東1ヘクタール法」が施行されたときから、ソ連時代のダーチャに似たこの制度に注目していたので、ノカルド氏のヘクタールがどうなっているのかが気になりますが、おそらくは没収でしょう。この人に限らず、土地をもらったはいいが、結局は何もできず、持て余している人は少なくないのではないでしょうか。ロシア政府もそれを見越して「5年以内に成果をあげられなければ没収」としたのかもしれません。

しかしもちろん、土地を活用して成功している人たちもいます。農業、酪農、観光拠点、スポーツセンター、乗馬クラブ、犬ぞりレジャー施設などなど、成功事例は多種多様。なるほど!と思ったのは、ヘクタールを自己隔離の場にするアイデア。開墾中に新型コロナウィルスのパンデミックが始まったので、広大な土地で自給自足態勢を整えたというのです。どっこいダーチャ精神は生きていた! やはりポジティブな人の成功談のほうが、読んでいて楽しいですね。機会があれば、ヘクタールの成功事例をもっと詳しく調べてみたいと思います。#
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀座「赤の広場」で黒パンを買う

2021-07-02 | ロシアコラム


銀座ブロッサムで開催されるコンサートに行くついでに
遅ればせながら、ロシアの食料品店「赤の広場」訪問。
新富町、東銀座、銀座一丁目いずれの駅からも徒歩圏。
昭和通りに面した可愛らしいお店です。

ファンチキ(包み紙)が可愛い定番のチョコ菓子、
冷凍のぺリメニやブリンチキ、濃厚そうな蜂蜜などなど
片っ端からほしくなるのをグッとこらえ、買ったのは下の5品。


ボロジンスキーの黒パン、黒パンの粉、生チーズ菓子2種、スィローク。


黒パンといえばボロジンスキー。コリアンダーシードの香りよし。
チーズデザートのレポートはまた次回。

銀座でロシアのお店といえば、ソ連時代の「ベリョースカ・白樺」を思い出します。新橋のベリョースカにもよく行きました。ウォッカにグルジアワイン、マトリョーシカなどの素朴な民芸品。昔ながらの定番商品しかなかった時代に比べ、いまや隔世の感あり。「赤の広場」に来れば、味もセンスもいい新生ロシアの食に触れられます。これでロシア直輸入のマロージェナエ(アイスクリーム)、それもプロンヴィルが食べられたら最高!

さて、この日はこのあとロシア文化フェスティバル・スペシャル日露地域・姉妹都市交流年記念コンサート。コロナ対策のため開演が早まり、17時半から19時半まで、2時間みっちり休憩なしでロシア音楽を堪能しました。


会場ではチェブラーシカがお出迎え。
いつ見ても可愛いチェブちゃん。

 後ろ姿もキュート。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシア、東京五輪ユニフォーム発表

2021-04-24 | ロシアコラム

(写真はいずれもZasport Facebookより)

国としての参加資格がないロシアが、
東京オリンピックの公式ユニフォームを発表!
出場する気満々⁉


ロシアはドーピング問題により、世界反ドーピング機関とスポーツ仲裁裁判所の決定を受けて、国際スポーツ大会に選手団を送り出すことが認められていませんが、潔白が証明された選手は、東京オリンピックに個人参加可能。

ということは、あくまで個人としての参加のはずなのに、着々と公式ユニフォームが準備されていたのですね。しかも、ファッションショーばりの派手なプレゼンテーション。



見よ、このハッタリのきいた会場!ここはモスクワの全ロシア博覧センターの宇宙パビリオン。ソ連時代から「ヴェーデンハー」の名称で親しまれている超巨大展示場の一角。もともとは宇宙開発の偉業を展示していたスペースが、いまは一大イベント会場に。



ランウェイが設けられ、プロのモデルさんと選手が入り混じって登場。動画も見てみましたが、みんなスタイルがいいので、モデルなんだか選手なんだか、歩き出すまでわかりません。それにしても、会場に集った人々は、誰もマスクをしていない。いまだモスクワだけでも1日2500人以上、国内全体で8000人以上もコロナ感染者が出ているのに!

制裁により、ユニフォームに国旗や紋章をあしらうことは禁止されていますが、ロシア国旗の赤、白、青を使い、「ロシア」の文字を入れるのはOKなんだとか。例えば、このように。





結局、国旗をあしらってるのと同じではないのか??

ユニフォームを手掛けたのは、女性社長アナスタシア・ザドリナさん率いるザスポルト社。「ロシア・ビヨンド」によれば、デザインはロシアと日本のモチーフを融合させたものだそう。例えば、上の水着女性が手にもつタオルの文字は、竹をモチーフにしたデザイン。その全体像がこちら。



ロシアの寿司レストランでよく見かける書体ですね(笑)。日本人からすると、むしろ中国っぽくも見えますが。



こちらのTシャツは、葛飾北斎の浮世絵、波の向こうに富士を望むかの有名な「神奈川沖浪裏」にインスピレーションを得たものだそう。言われてみれば確かに、ぐるぐるしたラインが波で、TOKYOの文字は飛沫を表しているのでしょうか。ロシア・アバンギャルドのテイストもあり。



こちらも「2020」をロシア・アバンギャルド風にデザイン。下半身はモンペと雪駄履きのイメージ??だとしてもスタイルがいいのでサマになります。これはプロのモデルさんでしょうか。



これは普通にカッコいい。ロシアブルーもきれいです。



これも可愛い。TOKYOの下は、競技を表しているのかな。



新体操の選手(たぶん)は、演技を披露。



こういう余興(?)が入るところがロシアっぽいですが、何の選手??



このユニフォームは開会式用?国としては出られないのに??
女性がウエストに巻いているのは、柔道の帯がモチーフでしょうか。男性はオーソドックスすぎて意味がわかりません(笑)。

このようなコレクション全60点が、出場選手全員に配布されるのだそう。

これらは、Zasport公式サイトで販売中。選手のユニフォームのほか、クマのイラストをあしらった可愛いTシャツもあり、見るだけでも楽しめます。

ところで、ロシア選手が優勝しても、表彰式では国歌が禁じられ、代わりにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が流されることになったようですが、この「東京2020コレクション」ファッションショーの最後には、ロシア国歌が流され、ユニフォームを着た選手たちが神妙な面持ちで歌詞を口ずさんでいました。本番ではできない幻の国歌斉唱を、今のうちにやっちゃえ!ってとこでしょうか。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アリョンカちゃんのビスケットお買い得

2020-07-15 | ロシアコラム


ずっと雨降りなので写真が暗いですが…。
久々に行った業務スーパーでアリョンカちゃん発見。
アリョンカちゃんは、ロシアでは有名なチョコのキャラクター。
残念ながらチョコではなく、ビスケット190gが97円+税。
ひと頃は、800円くらいで売られていたようなので、超お買い得!

左のシリアルバーはポーランド製、1本48円+税。
こちらは前にも食したことがあるけれど、
アリョンカビスケットを日本の店頭で見たのは初めて。
いつもならバカ買いして、お土産に配りまくるところなれど、
引き続き外出自粛の折り、ぐっと我慢して各1個ずつ。


アリョンカちゃんは、1965年に公募で選ばれた写真の少女がモデル。ロシアの老舗菓子メーカー「赤い10月」の代表的ブランドに成長したものの、写真使用料や著作権料はいっさい支払われなかったため、大人になった少女が訴えを起こしたが、結果は敗訴…と「ロシア・ビヨンド」の記事にありました。権利関係がうやむやだったソ連時代の仇花といったところでしょうか。

じつにじつに、115日ぶりにバスに乗って外出しました。
最後に公共交通機関を利用したのは、帯広からの帰路。
電車には、まだまだ乗りたくないけれど、
少しずつ行動範囲を広げていかないと
こんな掘り出し物にも出会えませんね。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた鳥のミルク

2019-10-24 | ロシアコラム

一時帰国していたS先生が東京に戻られ、恒例のお土産をいただく。
ロシア銘菓、鳥のミルク。

昨年サハリンに行ったときもお土産に買ってきましたが、
やさしい甘さがクセになります。

さてここで発表。来月、念願のグルジア(ジョージア)に
ワインと美食を求めて行ってまいります。
願わくば、もっと食欲のある年頃のうちに
行っておきたかった!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボルシチと黒パン

2018-05-29 | ロシアコラム
今年初めてのボルシチ。いただいた黒パンと一緒に。


…といっても、作ったのは1ヵ月以上前のことですが
何かと気ぜわしくアップしそこねていました。

玉ネギ、ニンジン、ジャガイモを炒め、
水を加えてしばらく煮込んだあとに
ビーツとキャベツを投入。

ビーツは千切りして半々に分けておき、
半分はフライパンで炒めてレモンで色止めし、
残りの半分は生のまま加えてます。



野菜だけのボルシチなので
塩胡椒とブイヨンで味つけし
あとは煮込むだけ。
ウン十年前にソ連大使館員の
ご夫人に教わったレシピです。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒パンと鳥のミルク

2018-04-20 | ロシアコラム
今年もまたS先生からロシアみやげをいただく。


左はロシアの黒パン「ボロジンスキー」、
右は「鳥のミルク」と呼ばれるチョコレート菓子。

大学講師を務めるS先生は、大学がお休みになるたびにロシアに帰国し、
そのたびにおみやげを買ってきて送ってくださる。
ここ帯広ではロシアものはほとんど手に入らないので
貴重なロシアとの接点。
いつもありがたくいただいている。

ところが!ゆうパックで届いた黒パンのようすがおかしい。
パウチを破って取り出してみると、表面に緑色のカビが~。
しかもかなり根深い。こんなことは初めて。

商品のラベルを見ると「賞味期限4日間。日付は包装の側面に表示」
とあるが、日付らしきものはパンの脂でギトギトになって消えている。
どっちにしても、先生はお忙しかったらしく、
送られてきたのは帰国1週間後。これでは無理もない。

カビを削り取り、ちょっとパサパサになった黒パンを
スープと一緒にいただき、ロシア風味を堪能。
黒パンがあるうちに、久々にボルシチでも作るとしますか!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

函館のなかのロシア

2017-12-29 | ロシアコラム


「函館に行くなら、ココとココとココは必ず行きなさい!」と
ロシア女性S先生に命じられるまでもなく、行ってきました函館ロシア巡り。
まずは市電・バスの共通乗車券を購入し、函館駅前から市電に乗って
一気に終点「函館どつく前駅」へ。「どつく」って何を? 
どん突きのこと?と思っていたら「ドック(埠頭)」のことでした。

第一町ニャン発見。

このあとも雪のなかを歩く猫さんに遭遇。函館は猫多し。

ここはもう漁港の近く。坂をのぼれば海を見下ろす高台に
ロシア人墓地を含む外国人墓地があるはずなのだが、
朝から吹雪いているので、墓地をうろつくのは断念し、
一路、旧ロシア領事館を目指す。

このあたりにはお寺も多い。そのひとつ、実行寺。

日露修好条約に基づき、安政5年(1858年)、
ロシアからゴシュケーヴィチ一行が来日し、
最初に領事館を置いたのがこのお寺。
ロシア正教を日本に最初に広めたニコライ神父は、
一時ここで日本語を学んでいたという(S先生談)。

そのすぐ先、幸坂の途中にあるのが旧ロシア領事館。

レンガ造り2階建て。設計はドイツ人建築家R.ゼ―ル。
現在は内部見学不可。外からしか伺い知れないが、趣ある佇まい。


函館はとにかく火事の多い街だそうで、ロシア領事館も
一度は現在のハリストス正教会敷地内に建てられたものの、
隣にあった英国領事館の火災によって被災。
明治36年(1903年)に現在地に建設が始まるが、
日露戦争によって中断し、明治39年にやっと完成。
…と思えばまたまた火事に遭い、現在の姿になったのは
明治41年(1908年)のことだそう。

その後、ロシア革命が起こり、大正14年(1925年)から
昭和19年(1944年)までは、ソ連領事館として、
昭和39年(1964年)から平成8年(1996年)までは、
函館市の研修宿泊施設「青年の家」として、
長きにわたって使用されてきたが、現在は史跡として残るだけ。
再利用も検討されているようだが、中心地から離れているので
ちょっと難しいだろうなー。

雪道を踏みしめてさらに先に進むと、八幡坂の上に…。

ロシア極東連邦総合大学函館校。
日本で唯一のロシアの大学の分校で、本校はウラジオストク。
2年制のロシア語科と4年制のロシア地域学科があるのだそう。

八幡坂を振り返れば、海が広がるナイスビュー。

懐かしのチャーミーグリーン夫婦のCMロケ地がここだそう。

この日は日曜。目指す教会群のミサが終わるのを待つ間、
北方民族資料館を訪ねたところ…。

アイヌ民族同様に、熊送りの風習をもつ少数民族の分布図。
シベリア、極東地方、カムチャッカ、カラフトなど…。

北方ユーラシアの民族衣装も展示。
 

そして午後、いよいよ函館教会群のひとつ、函館ハリストス正教会へ。

万延元年(1860年)、ゴシュケーヴィチは領事館と共に聖堂を建設。
翌年の文久元年、領事館付き司祭として来日したのが、
前述のニコライ神父である。
東京神田のニコライ堂を築いたのは、もちろんこの方。

教会見学のあたりから、空に晴れ間が見え始める。

現在の聖堂は、大正5年(1916年)建立の二代目。
ロシア風ビザンチン様式の建物は、国の重要文化財指定。
高らかに鳴り響く鐘の音ゆえに、昔から「ガンガン寺」と呼ばれ、
現在は「日本の音風景百選」にも選ばれているそう。

ニコライ堂のような荘厳壮麗な雰囲気をイメージしていたが、
想像していたより小ぢんまりとして可愛らしい聖堂。
この小さな教会を拠点にして、ニコライがたったひとりで、
日本各地にロシア正教を広めていったかと思うと感慨深い。
残念ながら、山下りんのイコン画が飾られた内部は撮影禁止。

ついでながら、このお隣は、英国聖公会の聖ヨハネ教会。
さらにお向かいには、カトリック元町教会がある。
聖公会、カトリック、ロシア正教ともに
個人的に縁のある三宗派なので、等しく参拝。
   
左からカトリック教会、聖公会の建物外観、その内部。

開国と共に、日本布教に乗り出したキリスト教の各宗派。
ニコライは、日本を知るためにまず語学や文化を学び、
聖公会の司祭とも度々日本情報を交わし合っていたのだとか。
ライバル会社の駐在員と連携をとりつつ、海外市場を開拓した
かつての炎熱商人たちの姿ともダブるものあり。

あ、また猫発見!


あっという間に夕刻。なにせ冬の北海道は午後4時半には真っ暗。
かの有名な函館山からの夜景がこちら。


教会群もライトアップされて美しい。


函館山へのロープウェイは、中国や韓国からの観光客でぎゅう詰め。
人々はピストン輸送で麓から運ばれてきては展望台に放たれ、
スマホで夜景を撮り終えるや、寒さに震えて土産物屋に退散していく。

土産物屋をパスして直行したのが、この夜最後の訪問地。


洋食の老舗「五島軒」。明治12年創業。

正確にはレストラン部門の名は「雪河亭」というようですが、
あまりこの名は浸透しておらず、五島軒で十分通じる。

昼間の五島軒はこんな雰囲気。先の猫さんはこの前で遭遇。


なぜ五島軒が「函館のなかのロシア」かと言えば、
初代料理人の五島英吉が、ロシア料理を伝えたため。
五島列島出身の英吉は、長崎奉行所の通訳を務めていたが、
旧幕府軍に加わって函館に渡り、五稜郭で敗戦。
追われる身となった彼をかくまったのが、先のニコライだった。
ハリストス正教会に隠れ住みながら、ニコライから
ロシア料理のレシピを学んだ英吉は、その後、
函館でパン屋を営む若山惣太郎と出会い、
「ロシア料理とパンの店、五島軒」が誕生したという。

今もロシア料理のメニューがあるが、カレーのほうが有名に。
オーダーしたのはそのどちらでもない、今月のおすすめセット。
  
ほっとする上品な味。落ち着いた雰囲気。さすがS先生絶賛のお店。
レストランの隣には、ショップや展示コーナーもあり。

明治の洋風建築が残る函館の市街地。

小樽同様、坂の街ウラジオストクとちょっぴり似てる。

そしてロシア情緒をさらにかきたてるのが路面電車。

ロシアのトランバイより小ぶりで可愛い。
数分おきに運行しているので、とても便利。
乗っては降り、乗っては降りして市内を巡ること12時間。
雪の函館を存分に堪能したのであった。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

またまた鳥のミルク

2017-10-01 | ロシアコラム

ロシアに一時帰国していたS先生から、恒例ロシアみやげが届く。
「プチッツィエ・マラコー」、鳥のミルクの意味。

鳥のミルクは、ふんわりしたクリームをチョコでコーティングした
口どけのいい甘いお菓子。いろいろな種類があるけれど、
いつもS先生がくださるのは、ロット・フロント社のもの。
「鳥のミルク」の文字の下に「本物」とあり、
半世紀以上前にロット・フロント社の職人が
レシピを考案したのが始まりなのだとか。
宣伝文句によれば、ソ連時代の1967年、ロット・フロントは
この鳥のミルクで当時最高の賞を受賞したのだそう。

もっとも、鳥のミルクの起源には諸説あり、
もともとはポーランドのお菓子だとも。
鳥のミルクのケーキというのもあり、
こちらはモスクワのレストラン「プラーガ(プラハ)」の
パテシエが、1978年に考案したとのこと。

ロシアに想いを馳せて、甘いお土産おいしくいただきます!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥のミルク

2017-04-09 | ロシアコラム

ロシアに一時帰国していたS先生から、宅急便が届く。
モスクワ土産のプチッツィェ・マラコー(鳥のミルク)。
チョコでくるんだマシュマロのようなお菓子で、
昔からあるロシア定番の甘くて幸せな味。
さっそくいただきます!
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

翻訳は脱線だ

2017-02-11 | ロシアコラム
相変わらずS先生とU氏とご一緒に、毎週スカイプ越しに
アレクサンドル・クプリーンの短編を訳し続けているのだけれど、
恐ろしいほどに遅々としか進まない。
それというのも、クプリーンの文章というのは
関係代名詞や形動詞や副動詞のオンパレードで、
そのまま訳したらずっと先まで読まなきゃ主語が登場しない
直訳丸出しの頭でっかちな文章になってしまうことがひとつ。
それに加えてロシア人でも頭を抱える表現が少なくなく、
的確な訳語を探しているうちにいつしか脱線して
日本語談義になってしまうからである。

例えば先日は、直訳すると「ウエストが高い」といった
一文に行きあたり、ウエストはおかしいから腰の位置が高い、
即ち足が長くて胴が短いことであろう、という話から…。

S先生「ドウとはなんですか!?」
U氏 「胴体の胴です」
S先生「あら何かしら、ロシア語で…。
    ああ、コルプス!そうそう、そうですね。
    でも…日本語で胴はどこからどこまで?」
私  「ええと、肩から足の上までですかねぇ」
U氏 「胴が短いとスタイルがよく見えますが、
    日本人の場合は胴長短足といいましてね」
S先生「あら、浅田真央ちゃんはスタイルいいですよ!」
私  「いやそれは…彼女は現代っ子ですし…」
U氏 「昔の日本人は胴長短足でしたが、
    着物を着ていたので隠れていたんですな」
S先生「そっか!帯の位置が高いのは足を長く見せるため!?
    まあ面白い!ええと、ちょっと待ってください、
    ドウナガタンソクは漢字でどう書くのかしら…」

…という具合にいつのまにか日本語教室になってしまい、
S先生の日本語はますます磨きがかかる一方である。
そのかわりと言ってはなんだが、S先生からは、
ロシアにまつわるよもやま情報を毎度教えて頂いている。
最近うかがったお話では、日本の大学ではロシア語の講義が年々減り、
打ち切ってしまった大学も少なくないのだとか。
そのためロシア語講師の職も減ってしまい、S先生自身も
「東京オリンピックが終わったらモスクワに帰ろうかしら」
などと言いだした。いくらなんでもその頃までには
この翻訳も終わっているはずだけど、どうなることやら…。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアのクマさんチョコ

2016-10-07 | ロシアコラム
ロシアに一時帰国していたS先生が東京に戻り、
ロシアチョコのお土産を送ってくださった。

「ミーシカ・カサラープィの新作よ!」とのこと。

昔からあるのは可愛いファンチキ(包み紙)でくるんだ
個別包装タイプですが、新作は大き目サイズ6個入り。

「ミーシカ・カサラープィ」はロシアチョコの定番。
トレチャコフ美術館所蔵のシーシキンの名画『松林の朝』を
モチーフにした4匹のクマさんの絵でおなじみです。
ちなみにミーシカは「クマさん」、カサラープィは
右に左に体を揺すってぎこちなく歩くようすを意味。

一見するとミルフィーユ。

チョコのコーティングもウエハースも
ばりんと音をたてるくらいしっかりしてます。
ロシアのチョコ菓子特有の素朴な甘さ。
老舗「赤い十月」工場製。

ついでながら旧作コレクション。

微妙にファンチキが違います。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久々ロシアチョコ

2015-10-22 | ロシアコラム

ロシアに一時帰国していたS先生からお土産が届く。
おなじみの4匹のクマや、ロシアらしい白鳥などなど、
ファンチキ(包み紙)が可愛いロシアチョコ。
レトロな女の子の絵が描かれているのはキャンディです。
どれも素朴で懐かしい甘さ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鳥のミルク

2015-09-10 | ロシアコラム

上士幌のナージャさんから、一時帰国のおみやげに
いただいたウラジオストクの「鳥のミルク」。
少し前にいただいたものですが、
パッケージが可愛いのでご紹介。

「鳥のミルク」(プチッツィ・マラコー)は、
ありえないほどおいしい、ということから
その名がついたとされ、製造法も秘密だとか。

表面はパリンとしたチョコのコーティング、
中身はマシュマロのような食感。
懐かしい甘さはロシア菓子ならでは。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする