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国後から泳いできたロシア人と極東1ヘクタール法

2021-09-20 | ロシアコラム
去る8月19日、北海道標津町(しべつちょう)で、国後島から泳いできたというロシア人男性が発見された事件。当初は「亡命」を要請し、その後「難民申請」に転じ、本人に直接取材した日本のメディアには「ポーランドかドイツかオーストラリアに行きたい」とか「プーチン政権のロシアには返さないでほしい」などと語ったとか。1カ月たった本日の時点で、まだ処遇決定の報がなく、当然、さまざまな憶測を呼んでいます。


写真は根室の「北方館・望郷の家」ジオラマ。ガラス越しなのでピンボケ失礼。男性が泳いできたと思われるルートを赤点で結んでみました。約24㎞。

根室近くの海岸からは、すぐそこに北方領土の島影が見えます。なので、泳げば日本に行ける!と思ってしまうのも無理からぬことですが、本当に泳いできてしまうとは! ロシアの国境警備隊は何をしていたのでしょうね?


こちらは国後島ではありませんが、北方領土・歯舞群島の水晶島近くを見張るロシア警備艇。2014年9月撮影。

それにしても、この事件をめぐっては、ロシア人=スパイ、何か魂胆があるはず、と裏を探る日本人が少なくないことに驚きました。いまだにロシアといえば、ソ連時代と変わらぬステレオタイプなイメージが優勢なのですね!

こんなナイーブなスパイを送りこんでくるほどロシアも暇ではないと思いますし、実はこの男性、過去にロシアの複数のメディアの取材を受け、顔写真も露出してます。これについてはのちほどご紹介するとして…。

●事件のおさらい

8月22日付の朝日新聞によれば、このロシア人男性は、

「ウラル地方ウドムルド共和国のイジェフスク出身。3年前に国後島に移住してきたという。イジェフスクはカラシニコフ自動小銃の生産で知られる。(*この情報わざわざいります??)

 男性は、極東地域の土地1ヘクタールを希望者に無償で提供する制度により、国後島の最南部で標津町に最も近いゴロブニノ地区(日本名・泊)に土地を得たという。

 地区行政府のあるユジノクリリスク(日本名・古釜布)の南方42キロのドゥボボエ村などで暮らし、時おりトラクター運転手などをしていたという。」

少々補足しますと…。まず、この男性の故郷イジェフスクは、確かにカラシニコフで有名ですが、今ではむしろ女子フィギュアスケートのアリーナ・ザギトワ選手の出身地として知られる街。ロシア西部に位置し、人口60万人超。決して辺鄙な田舎町ではありません。

●「極東1ヘクタール法」とは

なのになぜ故郷を出て国後に渡ったのか? そのカギは「極東地区の土地1ヘクタールを希望者に無償で提供する制度」にあります。この制度、2016年にプーチン大統領の肝いりで始まったもので「極東1ヘクタール法」とも呼ばれます。なにせ広大なロシア。未開地がまだまだあるので、民間に開発を委ねようというわけです。

この制度については、以下のブログにとてもわかりやすく書かれています。
ロシアビザーズ「極東1ヘクタール土地無償提供とは?」

タダで土地がもらえるには条件があり、5年以内にその土地を何らかの形で活用しなければならないのですが、新天地を夢見て応募者が殺到。そのひとりが、くだんの男性です。彼の名は、ワースフェニックス・ノカルド、38歳。かなり変わった名前ですね。フェニックスは不死鳥ですし、ノカルド(Нокард)は逆さに読むとдракон(ドラゴン、竜)。自身で改名したそうです。

●謎の男性が国後島に渡るまで

2019年4月5日付「テレグラフ」通信によれば、彼は故郷の街で職を転々としつつ、海のそばに住むことを夢見て、あちこち旅行していたそう。旅先のひとつが、東京でした。

2019年4月15日付「ノーヴァヤ・ガゼータ」によれば、ノカルド氏は若い頃から日本に関心をもち、合気道を習い、日本語の辞書や会話集を集めていたとのこと。知人の勧めでウラジオストクの無料日本語教室に通ったこともあり、2011年には来日して2カ月半滞在。この時、日本語学校に通っていたという情報もありますが、「ノーヴァヤ・ガゼータ」は「ストリートミュージシャンと交流をもち、ギターを習っていた」と伝えています。なりゆき任せの旅を楽しんでいたのでしょうか。

しかし、ビザが切れて不法残留となり、結局、強制送還されてしまいます。この時のことを彼は、「もっといたかったのに、送り返された」などと語っています。ちなみに「モスクワ・タイムズ」は、ノーヴォスチ通信の情報として、ノカルド氏はタイとインドネシア・バリ島からも書類偽造などにより送還されたことがあると伝えています。事実であれば、不法滞在の常習犯。別の言い方をすれば、不法国外脱出の常習犯です。合法的に海外に住んでいるロシア人はいくらでもいるのに、なぜ不法な手段に訴えるのでしょうね。

イジェフスクに戻ったあとのことはよくわかりませんが、「テレグラフ」によると、最後はロステレコムの技術サポート部門で働いていたそうです。ロステレコムといえば、フィギュアスケートのグランプリシリーズのひとつ、「ロステレコム杯」のスポンサーとしても知られるロシア最大の電信電話会社。風来坊がよくそんな仕事につけたと思いますが、案の定(といっては失礼ですが)ノカルド氏は解雇され、そこで一大決心をします。

そうだ、極東へ行こう!

その動機は、極東への憧れと「地元にはろくな仕事がない(本人談)」ことだったもよう。2017年2月、公共サービスポータルサイトから、いとも簡単に「極東のヘクタール」を予約し、登録を完了。



こちらは今現在の「極東ヘクタールプログラム」公式サイト。極東以外の地域も加わって、現在も募集中。

場所は自分で選ぶことができたようです。
(以下の地図は上記の公式サイトより。このすべてが対象ということではなく、これらの地域の一部の未開地)



このなかから彼が選んだのが、よりによってクリル諸島(千島列島)の国後島。上の地図でいえば、右端に連なる島々の一番下。そこが、日本が固有の領土として主張する北方領土4島のひとつ、ということをどの程度理解していたのかはわかりませんが、「暖かい場所かと思っていた」と語っているくらいですから、浅い知識しかなかったのでしょう。

かくして、わずかな荷物と7500ルーブル(約13000円)を手にして国後島にやってきたノカルド氏。しばらくは慣れない土地での生活に難儀したようですが、「国後への移住者」としてメディア取材を受けた2019年4月の時点では、島の暮らしをそこそこ楽しんでいたもよう。アルバイトの合間にハイキングしたり、日本語を習ったりし、もらった1ヘクタールの土地を旅行者の宿泊施設にするという夢も持っていたようです。

●そして日本へ

しかし、夢は叶わなかったのでしょう。この2年4か月後、彼は泳いで日本に渡ってくることになります。国後側では、南千島の社会政治新聞「ナ・レべジェ」が8月21日付でこの事件の第一報を伝えています。ノカルド氏を知る地元民によれば、彼は口数少なく、コンピューターゲーム好きで、アルバイトを転々としていたとのこと。「彼の失踪が明るみになると、彼の住居からダイビングスーツと足ひれがなくなっているのが発見された」そうです。

北海道に泳ぎ着き、札幌出入国在留管理局に収容されたノカルド氏は、HTB(北海道放送)の面会取材に対し、こう語っています。

「連邦保安庁から目をつけられて、国後島に来た当日に捕まって尋問された。その後、いつも監視されていた。国後島はコネが無いといい仕事に就けない。明るい展望が見いだせない」

本土から身一つでやってきて、なんのツテもないともなれば、「明るい展望が見いだせない」というのは、わかる気がします。

しかし、初日に連邦保安庁に「捕まって尋問された」のは、先の「ノーヴァヤ・ガゼータ」によれば、ノカルド氏がこの一帯が国境地帯であることを知らず、立ち入るための許可証を取得していなかったため。許可証は、その後すぐに発行してもらったようです。

この許可証について詳しく書かれているのが、「北方領土の話題と最新情報」。元島民2世の方が書かれている大変情報の濃いブログです。

これによると、観光客が国境地帯と知らずに入って罰金をとられることは、よくあるそう。「ロシア連邦保安庁(FSB)」とは、ソ連KGBの流れをくむ諜報機関ですが、国境警備も担っています。許可証を持たずに島に入ろうとしたら、尋問されるのは当然でしょう。そのうえ、開拓目的で来たのに、何年たってもその気配がなく、バイト暮らしをしていたら、目をつけられても不思議はないように思います。しかも彼は不法滞在の常習犯ですし。

残念ながら、調べられる限りでは、この男性に同情すべき点はあまり見つかりませんでした。常に生きにくさを感じ、「ここではないどこか」を探して放浪している人のようにも思えます。難民とは言い難く、目下のところは不法入国者とみなされているもようです。さて日本側とロシアFSBは、最終的にどんな判断を下すのでしょう?

●極東開拓とダーチャ精神

個人的には、「極東1ヘクタール法」が施行されたときから、ソ連時代のダーチャに似たこの制度に注目していたので、ノカルド氏のヘクタールがどうなっているのかが気になりますが、おそらくは没収でしょう。この人に限らず、土地をもらったはいいが、結局は何もできず、持て余している人は少なくないのではないでしょうか。ロシア政府もそれを見越して「5年以内に成果をあげられなければ没収」としたのかもしれません。

しかしもちろん、土地を活用して成功している人たちもいます。農業、酪農、観光拠点、スポーツセンター、乗馬クラブ、犬ぞりレジャー施設などなど、成功事例は多種多様。なるほど!と思ったのは、ヘクタールを自己隔離の場にするアイデア。開墾中に新型コロナウィルスのパンデミックが始まったので、広大な土地で自給自足態勢を整えたというのです。どっこいダーチャ精神は生きていた! やはりポジティブな人の成功談のほうが、読んでいて楽しいですね。機会があれば、ヘクタールの成功事例をもっと詳しく調べてみたいと思います。#
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