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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

アイヌ民族の文様は民族の所有でしょう

2024-03-14 21:17:31 | Weblog

 

 今日は帯広から足寄~阿寒湖~弟子屈経由で釧路入り。

 途中で立ち寄った阿寒観光センターで、アイヌ文様に関する面白い取り組みの話を聞きました。

 それは、アイヌ文様のデザインに知的財産を認定して保護しながら一方で経済的な活用を図ろうというもので、国からも交付金をいただいて「阿寒湖アイヌ文化ブランド化に向けた知的財産保護事業  アイヌ文様包装デザイン商品化調査業務」を実施してその可能性を模索しているそうです。

 アイヌ文様は、モレウと呼ばれる渦巻文やアイウシと呼ばれる括弧文などを配した独特の文様で構成されています。

 これらはアイヌ民族が長い伝統の中で培ってきたもので、その価値はアイヌ民族に属すべきという考え方があって良いでしょう。

 しかしネットを見ていると、アイヌ文様らしいデザインがフリー素材として提供されているのが散見されで、これによってもたらされる利益はアイヌ民族に還元されるとは思えません。

 そもそもこの「民族に帰すべきデザイン」という議論は、私が釧路にいた2011年に阿寒湖畔でシンポジウムが開催されて私もそれに参加したことがあったので非常に印象的に覚えていることでした。

 2011-1-17の私のブログ「先住民族の有形・無形文化遺産が大変なことに」では、カナダから来られたニコラス教授が、『先住民族固有の有形・無形文化財は知的財産であるにも関わらず、今日それに対する保護のための思想がないこと』、また、『その結果、民族が悠久の歴史をかけて築き上げてきたものが勝手に使われて、民族の誇りが失われ、タブーが破られ、経済的にも打撃をこうむっているのではないか』という問題意識を主張されました。

 2010年のカナダバンクーバーオリンピックでも、"イヌシュク"というイヌイットの石像をモチーフにしたシンボルマークが使用されましたが、ニコラス教授は「そのデザインは本来イヌイットに所有権があるはずではないか」と述べられ、(なるほどなあ)と強く思った記憶がありました。

 それから10年を経て、令和元年からアイヌ文様の地財化の話が始まったとのことで、期待したい取り組みです。

 
 デザインの知財管理は地元に(一社)阿寒アイヌコンサルンを設立して、そちらがやられているそうで、すでにいくつか引き合いもあって、良く知られた「まりも羊羹」のパッケージや包み紙にもこの事業で管理されたデザインのアイヌ文様が施されていました。

 こういう形で、商品が一個売れるとそれに連動してデザイナーや管理団体に収入が入る仕組みです。

 この文様が入った商品をぜひお買い求めください。

 民族の伝統に根差したデザインの価値は、民族に属するべきという考えはいかがですか。

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傷つけない観測気球のあげ方 ~ 今日から道東出張です

2024-03-13 23:33:22 | Weblog

 

 今日から二泊三日で帯広を皮切りに道東方面での挨拶回りをします。

 最終日の金曜日は午後にも立ち寄るところがあることから、ギリギリまで釧路市内にいて、釧路空港から飛行機で札幌へ帰ってくる行程にしました。

 そのため、帯広まではJRで移動して帯広からはレンタカーを借りて動き回り、最後は釧路空港でレンタカーを乗り捨てて飛行機に乗ろうというものです。

 ここのところ移動は会社の車か、飛行機+レンタカーが多かったので、出張でJRを使ったのは久しぶりでした。

 自分で運転しない分、列車での移動は疲れることがないし乗り心地も良く、天気よくて十勝晴れだったことで車窓の風景も良く良い旅になりました。

 しかし都市間バスに比べると、料金の差に加えてwifiがつかえないというのはかなりの減点要素のように思います。

 春のダイヤ改正が目前ですが、サービスの向上要求が尽きることはありません。

 さらなる旅環境の改善を目指してほしいものです。


      ◆


 ある後輩の職場を訪ねてみたところ、「新年度に高卒の子たちが3人入ってくるんです」と嬉しそうにしていました。

「一度に新人が3人とはまた多いように思いますね。なにか新規採用者の訓練場所に指定されているとか?」と訊くと、「いえいえ、地元の高校を卒業した子が3人いて、最初から慣れない他の土地に赴任させない方が良いのじゃないか、という判断だと思います」とのこと。

 確かに、初めて社会人になって身の回りの環境ががらりと変わることに加えて、住み慣れた土地を離れて土地勘のないところに行くというのも不安を増大させるかもしれず、まずは少しでもマイナスな要素を抑制して職場に慣れてもらいたいという狙いが伺えます。

 しかし後輩は、「僕なんか昭和の採用で、転勤命令があるとそれには逆らえないし、逆にその先に見たことのないような出会いやラッキーもあるんじゃないか、と思うので転勤にあまり拒否感なんてなかったんですけどね」と、面と向かって言うと今や"不適切"かもしれない発言。

 しかもそれが私のような関係のない外部の人間であれば単なる意見で済むものが、一たび上司の発言だったりするとパワハラと捉えられかねない危険があります。

 しかしそういうときのとっておきの言い方があります。

 それは、「僕は必ずしもそう思わないんだけど(←ここ大事)、これこれこういうことを言う人がいたよ」という言い方です。

 これは私の人生の師匠である掛川市元市長の故榛村純一さんがよく使っていた言い方で、私も(うまいなあ)と思った言い方です。

 例えば「転勤で思わぬ出会いがあってラッキーだった、という人がいたんだよ、僕は必ずしもそう思わないけど」と言えば、「それって転勤を勧めるんですか?」という問いに、「いやいや、そう言っている人がいたって話さ」と弁護が可能です。

 それでいてもしも「はあ、そういう見方もありますかね」という反応ならば、ガチガチの拒否でもないな、と分かるわけで、そんな観測気球になるというわけです。

 第三者の発言を引用することで観測気球を上げて反応を見る、これができるようになると、対面でのパワハラ発言をせずに済むようになることでしょう。

 対話を上手く進めるには実はテクニックがあるという話。

 いずれにしても、若者を育て上げるのが難しい時代になりました。

 現役の皆さんには頑張ってほしいものです。

 

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あの日から13年、社会はあのときよりも備えがあって安全なのか

2024-03-11 23:40:05 | Weblog

 

 あの日から13年目の「3.11」を迎えました。

 13年前は釧路市役所で市長らと打ち合わせをしている最中の大地震でした。

 すぐにテレビをつけましたがそこに映る現実とは思えない映像の数々。

 そしてそれがやがてわが町にも到達するという現実を踏まえて、やらなくてはいけないこと、やれること、やれないことなどが頭の中をぐるぐる回った時間でした。

 人生の中で、見たものや感じたことを日付まではっきり覚えている日はそれほど多くありませんが、今までで一番記憶に残る瞬間でした。

 結果的に2メートルの津波だった釧路市ですが、もしもあれが当初の警報通り6m以上の大津波だったら人生は大きく変わっていたのだろうな、と思います。

 災害には事前想定があって、それに基づいて避難や訓練が行われますが、災害は常に想定を超えてくるものです。

 想定とは異なる角度で我が身に降りかかってくるものです。

 あの日から13年が経ちました。

 日本はあのときよりももっと安全な国になったでしょうか。

 自分の暮らしているまちは、あの時よりも安全な町になったでしょうか。

 自分自身の心構えはしっかりしたものになっているでしょうか。

      ◆

 無駄を省いて効率化を求めかつかつ、ぎりぎりに用意しておくのではなく、こと災害対応だけは無駄を覚悟で、余裕をもった備えにしましょう。

 いざというときのために、平時にできることをやっておきましょう。

 やった方が良いことはできるだけすぐに手を付けてやってしまいましょう。

 
 災害に備える心構えを普段から持っていれば、日常の暮らしの中により強く秩序が現れて来そうです。

 
 

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積小為大とは量的到達だけではありません ~ 雪かきですら新たなことに気づくもの

2024-03-10 23:08:48 | Weblog


      【今朝は約20センチの積雪でした】

 

 まあまあまあまあ、昨夜から札幌はいいだけ雪が降りました。

 札幌で21センチの雪とは、この季節にしては大雪の部類です。

 先週はじめに町内の運搬排雪が入ってくれたので、道路わきに積んでいた雪がかなり片付きました。

 そのときは「あとはこれが解けるのを待つだけ」と思っていたのですが、どっこい、今年の冬将軍はなかなか撤退してくれません。

 先週もずっと最高気温がせいぜい0℃~1℃で最低気温がマイナス7~8℃という日が続いていて積んである雪もなかなか解けませんでした。

 そこへ来て今朝のこの雪。

 札幌では積雪量(解けたり降ったりして今何センチの雪があるか)が95センチになり、この冬で一番の積雪量になったとか。

 まあまだ3月であれば、あと2~3回はこれくらいの雪が降るものですが、さすがの札幌市民も愚痴の一つも言いたくなるのは分かります。

 
 私の場合、お向かいの家の壁をお借りしてそこに寄せて積んでいるのですが、いろいろ試行錯誤を重ねているうちに、今朝になって今までよりもさらに効率的な除雪方法に気がつきました。

 システマチックで効率的で、これは次の除雪の時に試してみたいくらいの工夫です。

 どんなことでもさらに工夫ができる余地ってあるものですね。


     【ほらきれいに整いました】

 
      ◆


 ちょうど今日は報徳の冊子を読んでいて、大日本報徳社の鷲山恭彦社長の講演録を読んでいたのですが、そのなかに「積小為大」という一項目がありました。

 一般に「積小為大」というと、米一粒が百粒になり、あるいはヒットを積み重ねて2千本安打になるなど、コツコツ続けることで大きな量に手が届く、と量的な話に思われがちです。

 しかし鷲山社長は、家人の佐々木幸綱さんのお話を引き合いに出して、「和歌に熟達するにはまず500首くらい和歌を苦心して作ってみる。そうすると和歌の仕組みが分かってくる。1000首作ると次第に思ったことがスムーズな和歌になるようになる。それ以上作っていくと、思いがけない名歌が生まれると言っておられました」と述べておられます。

 ここで言いたいことは、「量の蓄積が新しい質を生み出してゆく」ということです。

 立ち止まることなく、その一歩を踏み出すことが日々の成長につながるということで、高みに達したものだけが気づき分かることがあるのでしょう。

 文句や不平を言う暇があったら、目の前の苦しみもそれを楽しみながら行ってみて、自分自身の心根の変化、力量の変化、体力の変化に繋げてはいかがでしょうか。

 たかが雪かきですら、新しい気づきがあるのですから。

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全員参加、皆が担い手になるために

2024-03-08 21:34:39 | Weblog

 

 数日前のある新聞に、「四国のある町では職員全員が防災担当を兼務している」とありました。

 調べてみると高知県黒潮町のことで、ここでは南海トラフの巨大地震が発生すると最大高34メートルの津波が到来するとされました。

 そのためここ黒潮町では、町内61地区の内40地区が浸水すると想定され、その対策は平時における一部職員で賄えるものではないことから、"絶対に来るであろう災害"に対する備えとして約200人の職員全員を防災担当を兼務させているのだそう。

 そして職員地域担当制を導入して、全61集落での防災ワークショップを開催し、避難場所や避難道の見直し、点検を行っているとのこと。

 住民と役場が普段から連携することで、いざ災害の時に何をすべきかを自分事としてとらえてくれるよう町民の意識も高まることでしょう。


 町とすれば、自分たちの意思で職員に対して業務で求めることはできるでしょう。

 そうすると、来るかもしれない"地域の危機"に対して職員に"多能工"であることを求めて人材育成を行い、いざというときにその危機に職員全員のチーム力で応えるということはできそうです。

 それなら災害対応のための建設機械の運転資格やハンター養成なども、自治体の全額負担で行って、いざというときの備えにすると良いように思います。

 もちろんそうした緊急の実際の出動にはしっかりとした保障や手当の用意なども必要でしょうが、担い手になる人材が地域のなかにいないとなれば、自治体が自らの職員を平時から鍛え上げてリスキリングして、能力を高めておくということは非常に有用なことだと思います。


    ◆


 ただ、それでも職員となると人材の範囲が限られます。

 やはり住民自ら率先してより高度なスキルや知識、技能、資格を修得することで地域の課題を自ら支えられるような住民像を描き、住民からの参道と協力を得ることが大切です。

 そういうときに首長さんや行政の力量が試されることでしょう。

 地域の近未来の課題をどのようなことだととらえるか。

 それにどのような対応策があるのか。

 行政と住民の役割はなにか。

 そうしたことを住民が自分事としてとらえるためには、議会や広報誌やホームページで書き表すだけではなく、現地へ赴いて住民に対面で向かい合ってひざ詰めで説いて説いて説き聞かせるしかありません。

 それをひたすら繰り返す努力が必要です。

 そして行政には信頼が必要です。

 自分だけが良い思いをして負担を他に押し付けているように思われるようでは、住民からの協力は望めません。

 そこに誠実さが感じられるような不断の努力が必要です。

 そういう意味で今国会を騒がせている裏金問題は罪が重いわけで、信頼を得る土台がぐらついているようにしか思えないのです。

 さて、国レベルはおいておいて、地方行政レベルでは、地元の首長と役場のふるまいによって信頼がえられていることが大切になってきます。

 そこで大いに参考になるのが「報徳」と「生涯学習」になるのだと思います。

 報徳を勉強すれば、二宮尊徳が単身で疲弊し乱れた人心をどう立て直したかがよくわかり、どうすればよいかのお手本がそこにあります。

 また掛川が実践していた「生涯学習運動」では、ひたすら住民に「あなたはどうあるべきだと思うか」ということを問い、それを自ら問えるような住民で会ってほしいという市長の思いを痛切に感じました。

 一人ひとりが自ら自分のあるべき姿を問うて、その達成に向かってくれればどんな課題も克服できないことはないのではないでしょうか。

 北海道で開拓に入った先人たちは、守ってくれる社会制度など何もない中で、絶望的に広大な森林を前にして一本一本木を伐り根を掘り起こし、土地を畑や田んぼに替えてきたからこそ今がある。

 なぜ様々な保証や制度という財産がある現代人が未来に立ち向かえないというのか。

 明るい未来を頭に描けないというのか。

 開拓時代を想像するだけで、現代人には特に道産子なら勇気と元気が湧いてきそうなものです。


      ◆

 
 今日、漫画の世界で読者に勇気と元気を与えてくれた鳥山明さんの訃報が流れました。

 数多くの鳥山さんの漫画にも勇気づけられましたね。ご冥福をお祈りします。

 

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全員参加、皆が担い手になるために

2024-03-08 21:33:32 | Weblog

 

 数日前のある新聞に、「四国のある町では職員全員が防災担当を兼務している」とありました。

 調べてみると高知県黒潮町のことで、ここでは南海トラフの巨大地震が発生すると最大高34メートルの津波が到来するとされました。

 そのためここ黒潮町では、町内61地区の内40地区が浸水すると想定され、その対策は平時における一部職員で賄えるものではないことから、"絶対に来るであろう災害"に対する備えとして約200人の職員全員を防災担当を兼務させているのだそう。

 そして職員地域担当制を導入して、全61集落での防災ワークショップを開催し、避難場所や避難道の見直し、点検を行っているとのこと。

 住民と役場が普段から連携することで、いざ災害の時に何をすべきかを自分事としてとらえてくれるよう町民の意識も高まることでしょう。


 町とすれば、自分たちの意思で職員に対して業務で求めることはできるでしょう。

 そうすると、来るかもしれない"地域の危機"に対して職員に"多能工"であることを求めて人材育成を行い、いざというときにその危機に職員全員のチーム力で応えるということはできそうです。

 それなら災害対応のための建設機械の運転資格やハンター養成なども、自治体の全額負担で行って、いざというときの備えにすると良いように思います。

 もちろんそうした緊急の実際の出動にはしっかりとした保障や手当の用意なども必要でしょうが、担い手になる人材が地域のなかにいないとなれば、自治体が自らの職員を平時から鍛え上げてリスキリングして、能力を高めておくということは非常に有用なことだと思います。


    ◆


 ただ、それでも職員となると人材の範囲が限られます。

 やはり住民自ら率先してより高度なスキルや知識、技能、資格を修得することで地域の課題を自ら支えられるような住民像を描き、住民からの参道と協力を得ることが大切です。

 そういうときに首長さんや行政の力量が試されることでしょう。

 地域の近未来の課題をどのようなことだととらえるか。

 それにどのような対応策があるのか。

 行政と住民の役割はなにか。

 そうしたことを住民が自分事としてとらえるためには、議会や広報誌やホームページで書き表すだけではなく、現地へ赴いて住民に対面で向かい合ってひざ詰めで説いて説いて説き聞かせるしかありません。

 それをひたすら繰り返す努力が必要です。

 そして行政には信頼が必要です。

 自分だけが良い思いをして負担を他に押し付けているように思われるようでは、住民からの協力は望めません。

 そこに誠実さが感じられるような不断の努力が必要です。

 そういう意味で今国会を騒がせている裏金問題は罪が重いわけで、信頼を得る土台がぐらついているようにしか思えないのです。

 さて、国レベルはおいておいて、地方行政レベルでは、地元の首長と役場のふるまいによって信頼がえられていることが大切になってきます。

 そこで大いに参考になるのが「報徳」と「生涯学習」になるのだと思います。

 報徳を勉強すれば、二宮尊徳が単身で疲弊し乱れた人心をどう立て直したかがよくわかり、どうすればよいかのお手本がそこにあります。

 また掛川が実践していた「生涯学習運動」では、ひたすら住民に「あなたはどうあるべきだと思うか」ということを問い、それを自ら問えるような住民で会ってほしいという市長の思いを痛切に感じました。

 一人ひとりが自ら自分のあるべき姿を問うて、その達成に向かってくれればどんな課題も克服できないことはないのではないでしょうか。

 北海道で開拓に入った先人たちは、守ってくれる社会制度など何もない中で、絶望的に広大な森林を前にして一本一本木を伐り根を掘り起こし、土地を畑や田んぼに替えてきたからこそ今がある。

 なぜ様々な保証や制度という財産がある現代人が未来に立ち向かえないというのか。

 明るい未来を頭に描けないというのか。

 開拓時代を想像するだけで、現代人には特に道産子なら勇気と元気が湧いてきそうなものです。


      ◆

 
 今日、漫画の世界で読者に勇気と元気を与えてくれた鳥山明さんの訃報が流れました。

 数多くの鳥山さんの漫画にも勇気づけられましたね。ご冥福をお祈りします。

 

ることから、意識・知識そしてスキルの向上を図ろうという考えは立派なことだと思います。

 

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映画「落下の解剖学」を観てきました

2024-03-04 22:27:37 | Weblog

 

 週末日曜日に、映画「落下の解剖学」を観てきました。

 娘と孫が家を離れたので休日がぽっかりした感じです。

 今回観た映画は、カンヌ映画祭でオリジナル脚本賞を受賞したフランス映画です。


【映画のあらすじ】
 主人公はドイツ人の女性の小説家で、フランス人の男性と結婚して男性の故郷である高原の山荘に暮らしています。

 二人には事故で視力を損なった弱視の息子が一人います。

 ある日、その息子が犬と一緒に散歩をし家に帰ってきたところで山荘の前に父である男性が倒れているのを見つけます。

 叫び声上げると家の中から母親が驚いた様子で飛び出してきました。

 男性は死んでしまったのですが、どうやらそれは山荘の高いところから落ちたことで死んだよう。

 しかしでは死の原因は、母親による他殺なのか事故なのかはたまた自殺なのか。

 中盤から後は、母親の友人で母親に好意を寄せている弁護士が登場し、かたやで死の背景となった家族の様子を次々に暴く検察官とが対峙する法廷でのやり取りが続きます。

 新たな事実と証言が出てくるたびに、「悲しそうにしている母親が実は悪いやつだったのか?」「幸せそうな家庭にも不和の種があったのではないか?」「死んでしまった男性も実は嫌な奴だった?」「実は何も見えていない少年が真実を隠しているのか?」と、ドキドキする展開が続きます。


      ◆


 法廷ミステリーという仕立てで、言葉と言葉の対決が続く中で自分自身が誰の味方をすればよいかがぐらぐら揺らぎます。

 サプライズで出てくる録音音声が出されると見方がかわり、少年の突拍子もない行動にはどんな意味があるのか。

 結末は書きませんが、「え~?」「う~む」とコロコロと自分の寄って立つ根拠がぐらつく観客の様子を制作者側が楽しんでいるようです。

 最後に一つ、犬の演技がすごかった。これほんと。

 あなたにとっての真実はどこにあるでしょうか。

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3年ぶりの、夫婦二人きりの生活

2024-03-02 22:38:08 | Weblog

 

 娘と孫が我が家を離れてから初めての週末。

 今日はこの春に東京の大学に進学した甥っ子にお祝いを渡すために実家で弟たちと合流し、久しぶりに弟たちの家族と話をしました。

「まずは大学は東京に行ってみる」という甥は、一人暮らしは初めてす。

 周りは少し脅かしたりやっぱりなだめて安心させたりでまあ笑いました。

 甥っ子にはキャンパスライフと都会暮らしを大いに楽しみつつ、これからの時代を支える礎を大学で築いてくれるよう期待しています。


     ◆


 弟と別れて実家を後にして、午後には妻と二人で買い物に出ました。

 娘と孫とが同居していたのは3年。

 今までは買い物へ行くにも娘と孫と一緒に行くことが多く、4人で買い物をすることが当たり前だったので、妻と二人の買い物生活は久しぶりのことです。

 本来はこれが普通なのですが、予期せず娘と孫が一緒にいて離れて行ったことで、改めて、(基本は夫婦二人きりなんだなあ)と実感しました。

 どこか結婚したばかりで新居で暮らし始めたときのことを思い出すような感じです。

 何かを話すのでも娘を介すことがなく、孫に話しかけるわけでもなく、どんなことでも直接二人で相談をしなくてはなりません。

 二人きりの暮らしってこんな感じだったかな、ということを改めて感じています。


     ◆


 そもそも家を建てたときは娘二人もまだ中学生だったのですが、家を建てたときから私の単身赴任が始まり、この家では妻と娘二人の三人の暮らしからスタートしたのでした。

 私が単身赴任から戻っても、一時は家にいてもまた単身赴任で外に出てしまうことが繰り返され、そのうち娘も一人、二人と家を離れて行ったので、いつの間にか妻との二人暮らしになってしまったような感じでした。

 それが同居していた娘と孫が離れて行ったことで、はっきりと妻との二人暮らしを意識した形になりました。

 おずおずと家の整理をしたりしながら新しい本来の暮らしに慣れて行こうと思います。


 食器棚に入れてあった、結婚式の引き出物として作った保存容器を取り出しました。

 私と妻の似顔絵を描いたものでもらった方は迷惑だったかもしれませんが(笑)、これが私たち夫婦のスタートの記念でした。

 これを見て気持ちを新たにしようと思います。

  

 

 

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