数日前のある新聞に、「四国のある町では職員全員が防災担当を兼務している」とありました。
調べてみると高知県黒潮町のことで、ここでは南海トラフの巨大地震が発生すると最大高34メートルの津波が到来するとされました。
そのためここ黒潮町では、町内61地区の内40地区が浸水すると想定され、その対策は平時における一部職員で賄えるものではないことから、"絶対に来るであろう災害"に対する備えとして約200人の職員全員を防災担当を兼務させているのだそう。
そして職員地域担当制を導入して、全61集落での防災ワークショップを開催し、避難場所や避難道の見直し、点検を行っているとのこと。
住民と役場が普段から連携することで、いざ災害の時に何をすべきかを自分事としてとらえてくれるよう町民の意識も高まることでしょう。
町とすれば、自分たちの意思で職員に対して業務で求めることはできるでしょう。
そうすると、来るかもしれない"地域の危機"に対して職員に"多能工"であることを求めて人材育成を行い、いざというときにその危機に職員全員のチーム力で応えるということはできそうです。
それなら災害対応のための建設機械の運転資格やハンター養成なども、自治体の全額負担で行って、いざというときの備えにすると良いように思います。
もちろんそうした緊急の実際の出動にはしっかりとした保障や手当の用意なども必要でしょうが、担い手になる人材が地域のなかにいないとなれば、自治体が自らの職員を平時から鍛え上げてリスキリングして、能力を高めておくということは非常に有用なことだと思います。
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ただ、それでも職員となると人材の範囲が限られます。
やはり住民自ら率先してより高度なスキルや知識、技能、資格を修得することで地域の課題を自ら支えられるような住民像を描き、住民からの参道と協力を得ることが大切です。
そういうときに首長さんや行政の力量が試されることでしょう。
地域の近未来の課題をどのようなことだととらえるか。
それにどのような対応策があるのか。
行政と住民の役割はなにか。
そうしたことを住民が自分事としてとらえるためには、議会や広報誌やホームページで書き表すだけではなく、現地へ赴いて住民に対面で向かい合ってひざ詰めで説いて説いて説き聞かせるしかありません。
それをひたすら繰り返す努力が必要です。
そして行政には信頼が必要です。
自分だけが良い思いをして負担を他に押し付けているように思われるようでは、住民からの協力は望めません。
そこに誠実さが感じられるような不断の努力が必要です。
そういう意味で今国会を騒がせている裏金問題は罪が重いわけで、信頼を得る土台がぐらついているようにしか思えないのです。
さて、国レベルはおいておいて、地方行政レベルでは、地元の首長と役場のふるまいによって信頼がえられていることが大切になってきます。
そこで大いに参考になるのが「報徳」と「生涯学習」になるのだと思います。
報徳を勉強すれば、二宮尊徳が単身で疲弊し乱れた人心をどう立て直したかがよくわかり、どうすればよいかのお手本がそこにあります。
また掛川が実践していた「生涯学習運動」では、ひたすら住民に「あなたはどうあるべきだと思うか」ということを問い、それを自ら問えるような住民で会ってほしいという市長の思いを痛切に感じました。
一人ひとりが自ら自分のあるべき姿を問うて、その達成に向かってくれればどんな課題も克服できないことはないのではないでしょうか。
北海道で開拓に入った先人たちは、守ってくれる社会制度など何もない中で、絶望的に広大な森林を前にして一本一本木を伐り根を掘り起こし、土地を畑や田んぼに替えてきたからこそ今がある。
なぜ様々な保証や制度という財産がある現代人が未来に立ち向かえないというのか。
明るい未来を頭に描けないというのか。
開拓時代を想像するだけで、現代人には特に道産子なら勇気と元気が湧いてきそうなものです。
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今日、漫画の世界で読者に勇気と元気を与えてくれた鳥山明さんの訃報が流れました。
数多くの鳥山さんの漫画にも勇気づけられましたね。ご冥福をお祈りします。