
さて、発達障害については、いろいろと思いこみや偏見があります。これが問題解決を難しくしていることはあきらかです。
ではこの発達障害に関する誤解と偏見について、これから進学を控えた子どもを持っていると仮定して、以下の考え方に対して○×を自信を持って答えられるでしょうか。まずはこれから試してみましょう。
①発達障害は一生治らないし、治療方法はない
②発達障害児も普通の教育を受ける方が幸福であり、また発達にも良い影響がある
③通常学級から特殊学級(特別支援教室)に変わることはできるが、その逆はない
④養護学校(特別支援学校)に一度入れば、通常学校には戻れない
⑤発達障害児が不登校になった時は一般の不登校と同じに扱い、登校刺激はしない方がよい
⑥養護学校卒業というキャリアは、就労に際しては著しく不利に働く
⑦通常の高校や大学に進学ができれば成人後の社会生活はより良好になる
次に、幼児期の発達障害の子どもさんのご両親からしばしば伺う意見についてです。親御さんのある種の思いこみです。
1) 発達障害は病気だから、医療機関に行かないと治療はできない
2) 病院に行き、言語療法、作業療法などを受けることは発達を非常に促進する
3) なるべく早く集団に入れて普通の子どもに接する方が良く発達する
4) 偏食で死ぬ人はいないから偏食は特に矯正をしなくて良い
5) 幼児期からの子どもの自主性を重んじることが子どもの発達をより促進する
いかがでしょう?あまり考えたことがない問題かも知れませんが、つい「そのとおりだろう」と思うような問いもありそうです。しかし著者の杉山先生の考えは、すべて誤りか、あるいは条件付きでのみ正しい見解であって、一般的にはとても正しいとは言えないのだとおっしゃいます。
そして知能であればIQテストなどにより数直線上の数値として結果が出るために、優劣の比較となりやすいのですが、発達障害を全般的に眺めれば、それはレーダーチャートのようにいくつもの項目ごとにできることとできないことが凸凹に現れてきます。
この全体を見た上で、矯正の優先順位をつけて対応をする必要がありますが、日本の30人学級で先生一人というのは、発達障害の子どもさんがいると対応に限界が出てきます。まだまだ日本の教育現場も発展途上のようです。
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特に最近は、子ども虐待と発達障害の複雑な関係が見られるといいます。杉山先生が外来で診断した子ども虐待の中にはかなり高い確率で発達障害の子どもが見られ、それも知能が余り低くはない経度の発達障害が虐待の高い危険因子となっているようだ、というのです。
親からの愛着形成に支障が生じると、愛着障害となり対人行動が不安定になるのですが、それがまた虐待の呼び水となりかねなく、常にニワトリと卵の論争になりかけるのだとか。
杉山先生はこうした場合、積極的に親(母親が多い)の側への並行治療も行うのだそうですが、親の側も自分の不全感を感じていることが多いようで、かなり良い成果を出しているといいます。
しかし実際には虐待による発達障害とADHDを見分けるのはかなり難しいようでやはり専門家による診断が大事なのですね。
最後に、歴史学者である市井三郎さんの言葉が紹介されています。
『歴史の進歩とは、自らに責任のない問題で苦痛を受ける割合が減ることによって実現される』
そして先生は「発達障害とは、明らかに自らの責任で子どもたちが受けたものではない。それをきちんとサポートすることこそ、歴史の進歩である」と結ばれています。
こういう知識と考え方をもっと当たり前にしたいものです。ぜひご一読をお勧めします。
