北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

災害で強くなるマチ~同潤会アパート

2013-09-01 23:21:36 | Weblog

 90年前の今日、1923年9月1日に関東大震災が発生しました。

 この地震はマグニチュード7.9という大地震で、発生したのが午前11時58分という昼時だったため、火を使っている家庭が多く、建物の倒壊と同時に広範囲に火災が発生し、大変な被害をもたらしました。

 特に巷間語られる大惨事となったのが、本所被服廠跡地での避難民の大量の犠牲でした。

 この土地は、被服廠という、元々陸軍で服を作る部所があったところだったのですが、この大地震の前年に他の地区に移転したために、その跡地を東京市が公園として造成するために空き地になっていたのでした。

 大地震で火災が発生したために、地域の住民たちが避難場所としてこの空き地を目指して大量に逃げ込んできたのでした。

 ところが逃げ込んでくる際に持ち出した家財道具に火が移り、おまけに周囲から火が襲って局所的な上昇気流である竜巻のような"火災旋風"が発生し、被害を拡大させました。

 その強さは、直径30センチの木を引き裂くほどだったと言い、わずか20分ほどの間に3万8千人もの人たちが焼死したのでした。

 
 こうした大被害が木造の家屋が稠密に建てられている当時の東京のまちづくりに起因していたということを理解した行政では、後藤新平をリーダーに帝都復興院をつくり、復興に乗り出しました。

 その柱は延焼を防止する防火帯となるような幅員の広い道路の建設や、建物のコンクリート化による不燃化、そして公園などのオープンスペースの確保でした。

 なかでも東京市公園課の井下清は、海外を視察して鉄筋コンクリートによる不燃化された小学校建設とともに小公園を併設させた震災復興公園を造りました。

 その発想は今日の都市防災の考え方の根幹に通じる先進的なものでしたが、その後特別区制度ができて公園管理が特別区に移った後には、やがてそうした小学校と公園を組み合わせた復興公園は姿を消してゆきました。

 
 同時に住居の不燃化でも、関東大震災の義捐金をもとに設立された同潤会という財団法人は、燃えない鉄筋コンクリートによるアパートを供給し、「同潤会アパート」ととして、時代をリードする住宅提案をしたのでした。

 この同潤会も一つ、また一つと姿を消してゆく中、東京の青山にあった同潤会アパートは、表参道ヒルズの再開発計画が起きた際に、ギャラリーとして残されることとなり現在に至っています。


 【表参道ヒルズと同潤会アパート】

 今やかつての形をほとんど留めない同潤会アパートですが、実は八王子市にあるUR都市再生機構の集合住宅歴史館には移築復元されたものが残っています。

 ここには同潤会アパート以外にも興味深い集合住宅の展示があるので、興味のある方にはお勧めです。

 さて、災害から学んで新しいまちづくり、住宅づくりを進めてきたわが国ですが、やはり一番大切なのは一人一人の防災意識ではないでしょうか。

 この機会に改めて、家族同士の連絡方法の確認や防災グッズの点検などを進めてみてはいかがでしょう。
 

【青山の表参道ヒルズ】 2007年9月29日付本ブログ http://bit.ly/130NuTk

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