北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

宮本常一「塩の道」を読む

2005-06-19 23:07:19 | Weblog
 今日も以来原稿に頭を悩ませる日々。むーん。

  
 さて今日は、
■宮本常一「塩の道」を読む の1本です。

【宮本常一「塩の道」を読む】
 宮本常一(明治40年~昭和56年)は、柳田国男と並び称せられる日本民俗学の大家である。

 日本人の生きる姿を現場に求め、ひたすら村から村へと歩き、戦災による資料喪失という苦難を乗り越えながら、日本文化というものを見つめ続けてきた著作の数々は日本人として是非とも読んでおきたいものである。

 そんな著作の中から、格好の手引き書的な文庫が出されたのが、講談社学術文庫677番 宮本常一著「塩の道」(お値段は800円)である。

 この文庫の中では①塩の道、②日本人と食べ物、③暮らしの形と美、という三点に関する小論が掲載されているが、どれもほんの少し前の日本にまではあった日本文化の底流を流れるものを示してくれていて、実に示唆に富んでいる。

 例えば私がいた掛川市では「日本で一番長い塩の道会議」として地域連携会議を催して塩の道の歴史にスポットを当てたのだが、この著作の中でさらにその深い部分を思い知らされた。

 例えば山の奥の人たちが塩を手に入れるためには、最初は山から木を切り出してそれを川を伝って海まで流し、その木で塩を焼いて上流まで持って行っていた。やがて「それなら海の人に焼いてもらえばよい」ということになり、海辺の人たちが山の人の分も焼いてあげるようになる、そして最後には、木を薪として売りさばいてそのお金で塩を買うようになるという話が伝わっているという。

 自家生産から委託生産、そして交換に移るという歴史が塩の歴史から見えてくるのだ。

 また、塩は馬ではなく牛の背に乗せて運ぶのが常だったという。それは昔の日本の馬は体も小さくてよたよたしていたのが、牛であれば脚力が強く細い道でも歩いてくれる、それに馬のように小屋を必要とせず野宿に耐える、さらには道の草を食ってくれてそれであまり餌の心配もせずに済んだのだそうである。

 江戸時代の馬は口籠(くつご)と言って、口を覆ってあまり周囲のものを食べないようにしてつれて歩くのが普通だったのだそうである。

 また野宿の際に小便を山の中にすることも気をつけなくてはならなかったという。それは小便に含まれる塩を野生動物も欲していたと言うことで、小便は溜まるようなところしてはいけなかったのだそうだ。

 そしてこういう物を運ぶ牛を陸船(おかぶね)と言い、これらは太い街道ではなく、道草の食えるような細い道を歩いていると言うことも分かってくるのだそうだ。

 いかにその場の物を上手に利用しながら旅をし、交易をしてきたかという工夫の歴史が伺えるのが塩の道である。

 道路技術者の方も現代の道路だけでなく、歴史の道の教養として読んでおいた方が良い一冊です。   

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おやじの会という地域活動 | トップ | 山本七平著「日本人の人生観... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
SionoMiTiNTiN (Unk)
2020-07-10 18:50:54
悪くないっすね
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事