近代史家で作家の渡辺京二さんの訃報に接しました。
個人的に存じているわけではありませんが、彼の名著「逝きし世の面影」には衝撃を禁じ得ませんでした。
当時この本を読んだ後のレビューブログを改めて見ると、こう書かれていました。
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そもそもが、知人から紹介されて「橋本元総理も読んで感動したという話ですよ」ということで買い求める気になったものです。
冒頭の一節は「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、ひとつの文明の滅亡から始まる」とあります。
この本のテーマは、かつて日本がうち捨てて完全に過去の物としてしまった近世の日本の世情がどういう風に素晴らしい物だったのかということを、数多ある外国人の日本見聞録のエピソードと論評から拾いまくり、その分析を通じて改めて『我々が失った日本文明とは何だったのか』という問いに答えを与えることなのです。
「日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振るった精算の上に建設されたことは、あらためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその精算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて充分に自覚されているとはいえない」
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明治までの日本はそれほどユニークで、当時外国から日本を訪れた多くの外国人が自国と比較したうえでこの時代を、暖かく笑顔にあふれた文明の国である、と評しているのです。
今日歴史を学ぶ我々は、江戸時代から明治時代への変貌を時系列で学び、それは明治維新によって改革されたのだ、と教えられていますが、著者の渡辺氏は「それは一つの文明が滅亡したのだ」と捉えます。
現代の我々はそれほど明治前の日本を知っているわけではなく、現代日本を考えるうえでも改めてこの本のご一読をお勧めします。
【渡辺京二著「逝きし世の面影」に日本を観る】2006年5月10日付ブログ
https://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/49d172877012c7baede4f0dc0736f866
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そしてどうしても紹介しておきたい渡辺氏のもう一冊の本が「黒船前夜」です。
当時これを読んだときの私のレビューブログにはこう書かれています。
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著者は日本そのものの外交史を概括して、「日本は十六世紀半ばから十七世紀半ばにいたるおよそ100年間、ヨーロッパ文明との最初の接触を経験した。これをヨーロッパとのファースト・コンタクトと呼ぶとすると、鎖国という中断を経てやがてセカンド・コンタクトへ至るのは時の必然」だと言います。
そして「開国というセカンド・コンタクトを省みるとき、もっぱら一八五三年のペリー来航に焦点が合わされるのは再考を要しよう。それはひとつの画期ではあっても、セカンド・コンタクトそのものの開始を告げるわけではなく、それを求めるならば時ははるかに早い安永・天明年間、場所は北方の蝦夷地に求められねばならない」と言い切ります。
そして、北方問題を一言でいうと、それは「アイヌを自分側に取り込もうとする日・露民族主義同士の相克にほかならなかった」と看破。
北海道にはこんな歴史があった、という驚きとともにかつて誰も教えてくれなかったわが郷土の歴史の物語がここにあります。
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北海道には歴史がない、とよく言われますが、そうではなくてペリーが来航する50年以上も前に、大国ロシアを相手にした江戸幕府と松前藩、そして蝦夷地周辺を探検して歩いた多くの探検家たちの物語がここにあります。
札幌市円山にある北海道神宮には境内の中に北海道の開拓に力を尽くした37人の人たちを神として祀る「開拓神社」があります。
「黒船前夜」が描く時代に蝦夷地を舞台に活躍した、松田伝十郎、伊能忠敬、高田屋嘉兵衛、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵などがこの神社には祀られています。
【渡辺京二著「黒船前夜」を読む ~ 開国の舞台は蝦夷地だった】2011年8月30日付ブログ
https://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/ba5a2cecdd23b5115e6175b5238e88a0
故人のご冥福をお祈りいたします。
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