北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

天塩川カヌーと資料館の二日目

2005-08-13 23:15:50 | Weblog
 道北は手塩中川町でキャンプの二日目。今日の目玉は天塩川でのカヌーです。ひっくり返らなきゃ良いのですが…。
 
■キャンプ二日目のカヌー の1本です。

【キャンプ二日目のカヌー】
 今日も天気は快晴。どうやら今回のキャンプ期間は天気には恵まれたようで、ありがたい限りである。

 さて二日目の目玉はなんといっても天塩川でのカヌーであります。

 ナポートパークの名前の要素の一つはカヌーポートでもあるということで、ここのキャンプ場ではカヌー体験サービスをしているのである。

 サービスとしては、上流までトラックでカヌーとお客さんを運び、キャンプ場のすぐ近くに設けたカヌーの降り場まで下ってきてもらうという、ただそれだけのことだが、自然河川相手なので経験のない素人にとってはちょっとどきどきする体験である。

 家族四人と言うことで、私と妻のペアと娘二人のペアに別れて二艇のカヌーを借りることにした。

 コースは体験コースから30kmにわたるような長丁場までが用意されているのだが、今回は天塩川下りの一番短い8kmコースをお願いし、トラックで上流の佐久という集落まで連れて行ってもらう。

 職員の齋藤さんからのアドバイスは簡単なもので、「カヌーはオールで漕ぐ反対の方向に曲がりますからね」というのが一つ目で、二つ目は「流れが急なところに来たら、船をまっすぐ流れに向けて乗り切ってください。横になったままでそういうところに突入してひっくり返る人がたまにいます」というもの。

 そして三つ目が「もしひっくり返っても、オールとボートだけは離さずに、捕まえたまま歩いて岸へたどり着いてなんとか下ってきてください」というもの。

 うーむ、どうせごちゃごちゃと細かいことを言われても覚えていられるのは三つくらいまでだからこのくらいで良いのだろうけれど、ちょっと不安な出発。

 幸いカナディアンカヌーなのでそれほどバランスに気を遣うこともなく、数分もするとなんとなくコツが分かってくるものだ。

 カヌーは、前に乗る人が漕ぎ手で後ろに乗る方が舵取りなのだとか。なるほど確かに後ろにいる方が船の向いている方向を把握しやすいということもあるのだろう。

 川は湖と違って、黙っていても下流に流れがあるのでゆっくりと下って行くので楽ちんだ。たまにある急流もご愛敬で、農業用の堰があるわけではないからただただ自然河川の面白さを堪能出来るというものだ。

 娘たちがちゃんと船をコントロール出来るかどうかが心配だったのだが、どうしてどうして、親の心配をよそにケラケラと笑いながら楽しんでいる。これなら安心だ。

 途中で一カ所だけ、水が下流ではなく右岸方向に流れているところがあって、判断を誤って船が後ろ向きに流れに突入して青くなるシーンもあったけれどこれもまた印象的なハプニングの部類。

 天気が良くて水量も安定していたこともあるだろうけれど、とても楽しい思い出になった。

 8kmのカヌー旅で所要時間は約1時間と少し。このワンランク上のコースは25kmの旅となるので、もう少し練習をしてから挑戦をすることにしよう。

 こういう風に離れて行動するときはアマチュア無線が便利。最近はすぐに携帯電話に走るけれど、一度流してしまった局免許を取りたくなってしまった。
 
    *   *   *   * 

 管理所の斉藤さんにカヌーの利用状況について訊いてみると、「そうですね、でもあまりカヌーに乗ってくれる人もそんなにはいませんねえ」という少し寂しいお答え。

 確かに見ていると、周りは一泊だけして朝にはもう撤収して次の場所へ出発してしまう人が多いようだ。
 移動しながらの宿泊施設としてのキャンプ場利用もあるだろうけれど、一宿一飯の恩義を感じて、一夜の縁のある故郷と思う気持ちがあるとまたこの地が違って見えるものだ。

 もう少しこの町を楽しむゆとりが欲しいと思うのだけれど、どうかな。

    *   *   *   * 

 温泉を浴びて一休みしてから、午後はドライブで天塩町へと向かった。天塩町は幼い頃に妻が住んだことのある町で、懐かしさはあるものの、様相は一変していて、どこになにがあったかもよく分からないようだった。

 ここで天塩川歴史資料館へ時間ぎりぎりに飛び込んで展示を見せてもらいました。

 松浦武四郎が天塩川を遡って探検して以来のこの町だが、当時の先人たちの苦労や開拓の志を見るにつけ、百年後の子孫である我々は先人の苦労や思いをどれだけ受け継いでいるのだろうか、という至らなさに汗顔の思いがする。

 資料館の展示のプレートの一つにはこうあった。「夢にまで見た新天地は、うっそうたる樹海の中にあった。笹を刈り、掘立(ママ)小屋をつくり、はじめての夜をむかえた。移住者は、夏は開墾、冬は山稼ぎにと、明日の郷土づくりに血と汗を流しつづけた。自然へのおそれ、病気や災害の不安、たちがたい郷愁を臭覚の喜びによってのりこえた。鎮守社の祭りは、開拓に倒れたものの霊を慰め、さらなる豊穣を祈る場でもあった」と。

 こうして幸せを求めて開拓をしてきたはずの地域の人口が減少している。

 人口規模が全てではないけれど、少ない仲間が身体を寄せ合って生き、そして作り上げた我が故郷を子孫たる我々はどうやって守れるのだろうか。

 旅をしたら地域の資料館へ立ち寄ることをお薦めします。そこには地域の歴史と誇りが詰まっているはずです。 
 
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