馬術と言うと、囲われた場所で技術を競うと思われがちですが、そんな先入観を覆すのが「エンデュランス馬術」です。
エンデュランス馬術とは、一口で言うと馬のマラソンのようなもので、野山の中に設定されたコースを一日で80kmから、長いものでは160kmも走ります。
昨日は「第11回釧路湿原エンデュランス馬術大会」という大会が鶴居村のどさんこ牧場を拠点に開催されました。
この大会ではコースとして、80kmと60kmの二つのコースが用意され、そのほかに最長40kmのトレーニングライドなどのメニューがあります。
80kmを走るコースには、全国各地から30名の参加者が訪れましたが、そのほとんどは本州から遠征されてきた方ばかり。馬は道東各地の馬牧場で育てられているものを借りての参戦です。
このエンデュランス、「馬のマラソンのようなもの」とは言いながらただ早ければ良いというわけではありません。
他の馬術競技と大きく異なるのは、馬体の健康具合が悪ければ制限時間以内にゴールにたどり着いても失権(失格のこと)になり、完走が認められないということです。
ゴール付近で待ち構えていると、到着目前の馬体が見え始めても一向に急いでゴールに向かう様子がありません。
なんだかゆったりと歩いてくるのを見るのは、一秒を争うレースを見慣れた目には不思議に見えます。
「あれで心拍数を整えているんですよ。もう制限時間以内にゴールインできるのは大丈夫なので馬体の調整をしながらゴールします」
ボランティアスタッフがそう説明してくれます。
※ ※ ※ ※ ※
ゴールした瞬間は周りから拍手がおきますが、騎手とクルーはそこからもうひと頑張りが必要。
出場する馬は、走行前や大体40kmのチェック区間到着ごとに20分以内に獣医師団により馬の健康チェックを受けなくてはなりません。
そのため騎手も一緒になって到着した馬には水をじゃぶじゃぶかけて馬体を冷やし、一生懸命に馬の呼吸を整え心拍数を押さえるケアをします。
馬体の検査項目としては、心拍数(64拍/分以下)、呼吸数、体温、血の巡り、怪我の有無、歩き方にふらつきがないか、などがルールによって決められていて、このルールに基づいて馬体がチェックされ、これにパスして初めて完走が認められるのです。
単なる速さの追求だけではなく、人馬一体となった走りの質を問うところは、西洋の馬文化思想の一つの形のように思います。
※ ※ ※ ※ ※
「日本ではなかなかエンデュランスは競技人口が増えませんね。人口減少もありますが、文化も市場も育っていませんから」とは日本馬術連盟からこられたAさんの弁。
「文化や市場が育っているというのはどういうことですか?」
「馬の文化をなくしてはいけない、と思えば行政ももう少し支援するのでしょうけれど、単なるイベントとして支援してくれる自治体はあっても、それを『失ってはいけない文化』にまではなっていません」
「なるほど。では市場というのは」
「世界的なエンデュランス大会に出るのはアラブの王族など、お金には困らない層がほとんどで、馬も完全にエンデュランス用に鍛えあげられたものが大会に臨みます。そういう人たちの間では、優勝した馬を育成した人はその腕を買われて、高額で引き抜かれてそれで十分な生活ができるだけの市場があるのです。しかし日本では馬ではなかなか食べてゆくことはおぼつきませんよね(笑)」
※ ※ ※ ※ ※
会場となった鶴居村のどさんこ牧場の周囲を見渡すと、北海道のイメージとも異なるような異国のような独特の雰囲気があります。
こんな風景の中で、今や機械に取って代わられていった馬が走り、それを楽しむ文化がある、なんて道東らしいイメージです。
もともと釧路の大楽毛は日露戦争の頃は軍馬の一大産地として有名だったという歴史もありますし、もっと馬を連想するような同等のイメージ作りがあっても良いかもしれません。
大会参加者の皆さん、協力してくださった獣医師団の皆さん、そして無償で支えてくれたボランティアスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
来年またお会いいたしましょう。
【来年もお会いいたしましょう】
エンデュランス馬術とは、一口で言うと馬のマラソンのようなもので、野山の中に設定されたコースを一日で80kmから、長いものでは160kmも走ります。
昨日は「第11回釧路湿原エンデュランス馬術大会」という大会が鶴居村のどさんこ牧場を拠点に開催されました。
この大会ではコースとして、80kmと60kmの二つのコースが用意され、そのほかに最長40kmのトレーニングライドなどのメニューがあります。
80kmを走るコースには、全国各地から30名の参加者が訪れましたが、そのほとんどは本州から遠征されてきた方ばかり。馬は道東各地の馬牧場で育てられているものを借りての参戦です。
このエンデュランス、「馬のマラソンのようなもの」とは言いながらただ早ければ良いというわけではありません。
他の馬術競技と大きく異なるのは、馬体の健康具合が悪ければ制限時間以内にゴールにたどり着いても失権(失格のこと)になり、完走が認められないということです。
ゴール付近で待ち構えていると、到着目前の馬体が見え始めても一向に急いでゴールに向かう様子がありません。
なんだかゆったりと歩いてくるのを見るのは、一秒を争うレースを見慣れた目には不思議に見えます。
「あれで心拍数を整えているんですよ。もう制限時間以内にゴールインできるのは大丈夫なので馬体の調整をしながらゴールします」
ボランティアスタッフがそう説明してくれます。
※ ※ ※ ※ ※
ゴールした瞬間は周りから拍手がおきますが、騎手とクルーはそこからもうひと頑張りが必要。
出場する馬は、走行前や大体40kmのチェック区間到着ごとに20分以内に獣医師団により馬の健康チェックを受けなくてはなりません。
そのため騎手も一緒になって到着した馬には水をじゃぶじゃぶかけて馬体を冷やし、一生懸命に馬の呼吸を整え心拍数を押さえるケアをします。
馬体の検査項目としては、心拍数(64拍/分以下)、呼吸数、体温、血の巡り、怪我の有無、歩き方にふらつきがないか、などがルールによって決められていて、このルールに基づいて馬体がチェックされ、これにパスして初めて完走が認められるのです。
単なる速さの追求だけではなく、人馬一体となった走りの質を問うところは、西洋の馬文化思想の一つの形のように思います。
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「日本ではなかなかエンデュランスは競技人口が増えませんね。人口減少もありますが、文化も市場も育っていませんから」とは日本馬術連盟からこられたAさんの弁。
「文化や市場が育っているというのはどういうことですか?」
「馬の文化をなくしてはいけない、と思えば行政ももう少し支援するのでしょうけれど、単なるイベントとして支援してくれる自治体はあっても、それを『失ってはいけない文化』にまではなっていません」
「なるほど。では市場というのは」
「世界的なエンデュランス大会に出るのはアラブの王族など、お金には困らない層がほとんどで、馬も完全にエンデュランス用に鍛えあげられたものが大会に臨みます。そういう人たちの間では、優勝した馬を育成した人はその腕を買われて、高額で引き抜かれてそれで十分な生活ができるだけの市場があるのです。しかし日本では馬ではなかなか食べてゆくことはおぼつきませんよね(笑)」
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会場となった鶴居村のどさんこ牧場の周囲を見渡すと、北海道のイメージとも異なるような異国のような独特の雰囲気があります。
こんな風景の中で、今や機械に取って代わられていった馬が走り、それを楽しむ文化がある、なんて道東らしいイメージです。
もともと釧路の大楽毛は日露戦争の頃は軍馬の一大産地として有名だったという歴史もありますし、もっと馬を連想するような同等のイメージ作りがあっても良いかもしれません。
大会参加者の皆さん、協力してくださった獣医師団の皆さん、そして無償で支えてくれたボランティアスタッフの皆さん、お疲れ様でした。
来年またお会いいたしましょう。
【来年もお会いいたしましょう】
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