北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

セラピードッグの物語

2013-11-21 23:16:46 | Weblog

 

 病気や入院などで苦しんでいる人を癒すセラピードッグという存在をご存知ですか?

 動物が人の心をいやす効果があることはなんとなくわかりますが、動物の側にもきちんとしたトレーニングがあるのだとか。

 私たちよりも寿命の短い動物が、生きている間に私たちを癒してくれるなんて、なんだか切なくなりますね。

 「致知」の12月号に、そんなセラピードッグにまつわる記事がありましたのでご紹介します。


  --【以下引用】---------------------


 高度な訓練を受け、医療や介護の現場で病に苦しむ人々に寄り添い、サポートする「セラピードッグ」。その日本第一号となった愛犬チロリが、私の胸の中で息を引き取ったのはもう七年も前のことになります。

 私はチロリをはじめとして、日本の動物愛護のあり方を問い直す取り組みに二十数年携わってきました。そのきっかけは、約三十年前にまで遡ります。

 私の本職は、アメリカを拠点に活動するブルースシンガーですが、1977年、ニューヨークの高齢者施設で活動するセラピードッグの姿に感銘を受け、その育成に携わり始めたのでした。

 しかし、その頃に参加したある動物愛護団体の会で私はこう言われたのです。
「日本には"犬猫のアウシュビッツ"がある。いくら経済大国と呼ばれようと、我々は日本人を認めない」

 バブル景気の絶頂期にあった1980年代の日本、そして隆盛を迎えるペット産業。しかしその裏では飼い主に捨てられた年間百万匹もの動物たちが殺処分されていたのです。

 その命を守る法律も未整備でした。動物たちは、いわば廃棄物のように扱われていたのです。

「あなたは有名なブルースシンガーだろう。なぜ祖国の不正を糺すために戦わないんだ」

 一介の歌手に何ができるのだろうと思いましたが、1977年から始まる日本公演の際、私は意を決し、殺処分を行う動物愛護センターを訪ねました。

 そこで見た光景はまさに地獄でした。犬や猫たちが次々とガス室に送られ、のたうち回っている彼らを容赦なく焼却炉に放り込んでいく…。

 その衝撃の中、脳裏に甦ってきたのは幼年時代に私の命を救ってくれた愛犬の姿でした。

    ◆     

 私は昭和26年、東京日本橋の下町に生まれますが、幼い頃はうまく言葉を発することのできない吃音障碍(きつおんしょうがい)のため、母親を"お母さん"とも呼べず、友人もできない孤独な日々を送っていました。

 祖父はそんな私に、「おまえ、人間とうまくやれないなら、せめて犬と楽しくやりな」と犬と暮らすことを許してくれたのです。

 どんなに辛くとも、家では愛犬が待ってくれている。突っかかる声で名前を呼べば嬉しそうに顔中を舐めてくれる。愛犬が唯一の友となり、私は生き抜くことができたのです。

 しかし愛犬との幸福な生活は十二歳の時、突如終わりを告げます。父親が事業に失敗し、一家離散してしまうのです。親戚に引き取られることになった私に祖父はこう言いました。
「おまえが持って行けるのは洋服と下着だけだ。犬はいい人にもらってもらうから心配するなよ」

 私はその言葉を信じ、夜逃げのように家を出て行くのですが、その後両親にも愛犬にも二度と会うことはありませんでした。

「あの貧しい時代、犬をもらってくれる人などいただろうか。私の愛犬たちも間違いなくこのガス室に入れられたのだろう」

 悔悟の念と申し訳なさで涙が止まりませんでした。私なこの時、日本の動物愛護のために尽くそうと決意したのでした。

 そしてアメリカからセラピードッグを連れてくるなど、活動を本格化させていた平成四年夏、私はチロリと出会いました。

 散歩で通りかかった千葉県松戸市の廃墟になった病院の敷地で、チロリは地元の子供たちに育てられていました。

 しかし私が講演で留守にした隙に野犬狩りに会い、ガス室に送られます。

 そして殺処分寸前のところを、私が救い出したのです。この後ろ足の不自由な片耳の垂れた雑種を、私は日本初のセラピードッグとして訓練しました。

 私といれば生きられると思ったのでしょうか、チロリは物凄い力を発揮し、通常二年半かかるカリキュラムをわずか半年でクリアしました。

 その後十五年、私はチロリとともに政治家に会い、各施設を回りながら、一つひとつ取り組みを進めていったのです。


     ◆     


 ある介護施設を訪ねた時のことです。脳障碍で体が動かず、苦痛なっ表情で車椅子に座っている女性がいました。チロリは女性にそっと近づき手を舐め、アイコンタクトを施し始めました。

 そして数日後、奇跡は起こりました。女性が「チロちゃん、いい子…」と言葉を発し、チロリの頭を撫でたのです。動物の強い愛情が人の心を癒やし、生きる力を与えた瞬間でした。

 こうした多くの実践と成果を得て、日本の動物愛護も変わり始めました。

 平成十七年、念願叶い動物愛護法が改正され、現在では殺処分もピーク時の五分の一にまで減少。当初は「犬に何ができるんだ」と言われたセラピードッグたちも、いまでは全国で毎年一万二千人以上もの人々を助けています。

 私のところにいるセラピードッグは全て捨て犬です。人間によって捨てられ、殺処分場に送られた犬たちが、逆にセラピードッグとなって人間たちを救っていく。

 心ある人ならば、この動物たちとの無償の愛と無垢な魂から何かを感じてくれるに違いありません。

 小さな命を守れない国に人を救うことはできないと私は思います。どんな命でも生まれてくる時には必ず誰かに祝福されている。

 命あるものは等しく幸せになる権利がある。これはチロリから私が学んだ教訓です。

 これからもチロリたちの魂を継ぎ、この世に生きるすべてのものの命の尊厳を、多くの人に伝えていければと願っています。

(おおき・とおる=ブルースシンガー、国際セラピードッグ協会代表)

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 私は子供の時と学生の時に犬を飼ったことがありますが、死なれたときの悲しみが辛くて、もう飼えないなあと思っています。

 飼うという責任が果たせそうにありません。

 動物とも出会いがあれば別れがあるんですね。

 それを覚悟して出会いという幸せを味わうという生き方はあるかもしれません。

 いろいろと考えさせられました。

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