北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「正しい万歳の仕方」にまつわる真実

2016-02-28 21:59:51 | Weblog

 

 先日ある飲み会の締めの時間になって、使命された方が、「よし、万歳三唱で締めますが、せっかくの機会なのでここで万の正しいやり方を教えます」と言いました。

 曰く、「そもそも万歳の正しいやり方は、明治12年4月1日布告の太政官布達第168号で定められております。これによると、『
音頭を取る者は、気力充実・態度厳正を心掛けること。唱和の際には、全員心を一つにして声高らかに行うこと』とされております。
 つぎに万歳のやり方ですが、まずは直立不動で、両手の指を真っ直ぐ下に伸ばし体の側面にしっかりつけておく。次に、万歳の発生と共に両腕を垂直に上げ、その際には両掌を内側に向ける。決して前の方に向けてはいけません」

(ははあ、なるほど!なんか聞いたことがあるなあ。掌を前に向けるのは『降参』とか『お手上げ』という意味になると言っていたぞ)

「それでは万歳三唱をいたします!バンザーイ!」
「バンザーイ!」「バンザーイ!」

 正式な万歳のやり方を教えられて、とっても締まりのある会合となりました。日本人で良かった。


       ◆ 


 そもそも「太政官布告」と言われると、我々公園屋にとっては忘れてはならないものが一つあります。それは明治6(1873)年1月15日の「明治6年太政官布告第16号」で、下記のように触れが出されました。

 曰く、「東京、京都、大阪をはじめ、人口が多く昔から景勝の地とされ(東京の浅草寺、上野寛永寺、京都八坂神社、清水寺、嵐山など)課税を免除されていたようなところは、今後公園とすることと定めるので、府県においてこれはと思うところがあれば図面を添えて大蔵省へ伺いでよ」というもの。

 この太政官布達こそ、これまで大名庭園だったり寺社仏閣の所有で人々が楽しんでいた公共性のある一団の土地を公園とする、と定めたもので、この流れはその後昭和31年の都市公園法の成立によって今日に至ります。


 話を戻します。こういう経緯があるので、私は「太政官布達である」と言われるとちょっと背筋が伸びるのです。


 そこで家に帰ってきてから「万歳三唱令って、正式にはどういう条文なのかなあ」と興味を持ってネットで調べてみると…、お、wikipediaにありました。

「どれどれ…、万歳三唱令っと…」

 するとwikiにあったのは、衝撃的な一文でした。

「…日本の万歳三唱の作法を定めた太政官布告と称する、1990年代に出回った偽文書である。明治12年(1879年)4月1日施行の太政官布告第168号という趣旨の表記がされており一見本物のように見えるが、そのような布告は実在しない」

 げげ!なんとそんな太政官布達は存在しないのだと!

 いかにも本物らしく仕立て上げられているので、これは騙されます。

 wikiによると、これを本物と信じた国会議員が「総理の万歳の仕方は正式なものとは違うのではないか」と国会で質問をしたという記録もあるくらいなんだとか。はあ…。

 
 調べてみると、そもそも日本で初めて「万歳」が祝賀の発生として用いられたのは、明治22年の大日本帝国憲法発布のときのパレードだったとも知りました。

 正しいやり方を定めたということはないとのことですが、おめでたい万歳をするときは心を込めて発生いたしましょう。

 「お手上げ」にだけはならないように。

 

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