北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

責任ってなに?

2006-06-27 23:55:47 | Weblog
 連日今週末開催の日中韓観光大臣会議の準備に追われております。しかし何しろ相手のある話なのと、あくまでも主務がう自分たちではないのでなんとも歯がゆい思いをしながらの準備になっています。むーん。

【責任】
 夜になってから、ある作業をどこがやるかで東京と北海道の間でもめ始めました。

 本来は東京のあるラインが行うべき作業なのですが、時間がないことや前回の似た作業を本来とは異なるラインで動かしてしまったために、「前例を踏襲してやれないか」という強い要請があったものです。

 本来のラインに戻すべきと言う意見と、前例で行けという意見がぶつかって、中に入った担当者が困惑してしまい、情報が錯綜、一体誰がどう行動すべきなのかが宙に浮いてしまった状態が続きました。

 本来やらなくてはならない立場を背負ったものが責任を持って行う、というマインドは特に霞ヶ関では良くも悪くも、絶対的な常識のはず。

 しかしそれも時と場合によるということでしょうか。

 中央省庁の縦割りはしばしば行政の硬直化と併せて論じられて、自分の担当以外のことはしない、という消極的な態度と見られて評判が悪いものです。

 しかしその裏側には、どんなに忙しくても自分がやらなくてはならないことは絶対にするという強い責任意識があるのです。誰がやっても同じようになるような仕事というのは、結局だれが責任を持つのかが曖昧なまま結果オーライになる仕事なのです。

 中央省庁では「多分○○だと思います」という回答は通じず、しっかりと事実を徹底的に確認した上で「○○です!」と言い切れなければいけないのです。これが責任というもの。

 責任ある立場にいるものが責任を果たさずにいると、結局仕事というのは上手く行かない者です。

 その立場にいながら責任が果たせないと言うのならば、その立場を返上して退場するしかない。それが仕事をするということでしょう。

 中央省庁に限らず、社会の中で生きることや子育て、自己を律することなど、責任を負うべきことがらは多いはずです。それを曖昧にすることが優しい社会だとは思えません。

 責任ってどういうことだと思いますか?
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