北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

この幅が良い

2005-11-18 23:34:57 | Weblog
 今日は二カ所でお話をする日です。それはそれで結構体力がいるのですが。

 今日は
■スローライフと報徳のまちづくり の1本です。

【スローライフと報徳のまちづくり】
 今日は講話が二つ。どちらも同じテーマでやれるのでまあ効率がよい。

 テーマはスローライフと報徳のまちづくりである。

 どちらも掛川でのまちづくりの経験からだが、このどちらも生涯学習というキーワードを除いては考えられない。

 「生涯学習」は非常に文部科学省的に聞こえがちだが、それは掛川で言い出した生涯学習を文部科学省が法律や組織の名称として使ってしまったからである。

 掛川で榛村市長が言い出したときの生涯学習は、過疎が進む中山間の村々を憂いて、それまでの都会へ行って出世する事だけを無上の価値として捕らえる「向都離村」の思想から、故郷へ帰ることを選択した自分に誇りを持て、というものである。

 そのためには自分の住んでいる地域をよく知らなくてはならない。地理も歴史も文化も、そして地域の仲間と共に暮らす社会を。

 そこに必要な事が生涯学習だ。いつも社会に向かって関わっていこうとする意志が必要なのだ。それがまちづくりのエネルギーに繋がって行く。

    *   *   *   * 

 スローライフは、物事を効率的に早く進めることが善という価値観から、逆に「ゆっくりでも良いもの、ゆっくりだからこそ良いもの、ゆっくりでなくてはならないもの」の価値を再確認する運動だ。

 多分一人一人の中に各人各様の「ゆっくりで良いもの」がイメージされていることだろう。それを「急ぐ」という価値観に負けずに自分自身の価値観として持ち続けることが大事なんだよ、という運動論である。

 世間の価値観に惑わされない自分になるために、生涯学習で自立した自分になる事が必要なのだ。

    *   *   *   * 

 そして報徳。江戸末期に二宮尊徳が飢饉に苦しむ農村救済に用いたやり方のエッセンスが報徳の思想である。

 至誠・勤労・分度・推譲という四つの徳目と、それらの実践の中に豊かさに到達する真理がある。

 残念な事は、二宮尊徳が行った作業は目の前の現実を冷徹に把握して、それに関わる人たちの荒れた心を開拓して、そのうえで荒れ果てた田畑から作物を収穫し飢饉に耐える町作りをするという実践であったのに対して、今日の報徳が道徳的な説教になりさがっていることである。

 万人に効く、報徳の仕法をこれからのまちづくりに活かす方策はないものかと思う。

 今日の午後はニューカントリー推進協議会という、農村自治体を道や開発局などの関係機関が連携して振興をしようという枠組みから要請があったものだ。

 このニューカントリー推進協議会の現在の会長は、長沼町の板谷町長さんである。この板谷町長も実は財団法人北海道報徳社の役をやってくださっている。

 まだまだ報徳の火を消す事は出来ない。

    *   *   *   * 

 午後2時からのニューカントリー推進協議会での講演を終えた後は旭川でこれまた女性たちの集いで同じタイトルで講話をする。一日に同じタイトルで講話をするとは珍しい。

 約1時間の講話でまちづくりについてお話をしたが、どこまで理解していただけたかは不明。しかし地道に語りかけるところからしか、物事は始まらないと信じるしかない。

    *   *   *   * 

 旭川には中学高校の同級生がいるので、折角だから仕事の後は飲もう、ということになっていて、4人が集まってボジョレー・ヌーボーで乾杯。

 友が集まると昔のくだらない話に逆戻り。さっきまでの報徳話はなんだったんだー!!

 …まあ人間には度量の幅が必要という事だ、ブホ

 
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