北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

猪瀬直樹著「ゼロ成長の富国論」を読む

2005-11-19 18:25:31 | Weblog
 夕べは旭川に住んでいる長女のところへ一泊。まあそれなりにやっているようです。

 札幌へ帰ってみると朝からあられが降りまくっています。一気に外は雪景色です

 今日は
■猪瀬直樹著「ゼロ成長の富国論」を読む の1本です。

【猪瀬直樹著「ゼロ成長の富国論」を読む】
 知人のK君から「作家の猪瀬直樹氏と鳥取県の片山知事の対談で、猪瀬氏が二宮尊徳に関する自著の宣伝をしていましたよ」というメールが来た。

 なんですとー? 猪瀬直樹もついに二宮尊徳に注目をしたのか、と思って、早速本屋さんへ行ってその本を探す。本のタイトルは「ゼロ成長の富国論」というのだそう。

 新しい本かと思ったら、文芸出版社から出ていて出版は2005年4月30日。お値段は「1400円+税」。札幌駅にある大きな本屋さんへ行ったのだが、棚には出ていない。店員さんに尋ねたところ在庫があったので早速買い求めた。

 本の帯には、「財政赤字、人口減少、労働意欲減退 二宮金次郎はこの三つに苦しむ社会を救い、希望の未来を指し示した」とある。

 序章、終章を除いて全体は七章からなっていて、「人口減少社会に挑戦した男」に始まり、積小為大、福利の魔力、偉大なる発明「分度」と続く。

 面白い着目点は、二宮金次郎の背負う薪は付加価値の高い換金商品だった、という視点である。江戸時代の家計費に占める燃料代は14.2%というデータと、現代の光熱費率が6.6%である事を比較して、金次郎が背負子に背負う柴や薪が儲け話になる事に彼は気づいた、というのである。

 金次郎は25歳の時に薪山を0.625両(二分二朱)で譲り受け、これから出る薪でを自分で運んで売りさばく事で三年で三両を稼ぎ、元手の五倍にした話を紹介している。
 本文には「少年金次郎の銅像から浮かび上がってくるのは親孝行の徳目だけではない事が分かる」とある。このころから金次郎の中には経済という視点があった事を示すエピソードだろう。

    *   *   *   * 

 この本の中では、桜町(現在の栃木県二宮町)での彼の仕法による村の立て直し手法が、彼を用いてくれた小田原藩そのものの財政改革にはなかなか用いられず、それがやはり守旧派による抵抗であったということも紹介されている。

 道路公団改革の最前線で、道路族を抵抗勢力と断じて言論活動を展開した著者にとっては、相当に感じるものもあったのだろう。

 全体としてはさすがに作家らしく、相当に尊徳の生涯について勉強されていて、人間尊徳や彼を取り巻く時代などを上手に説明している本である。

 最後の結論は、建設関係の余剰雇用は農業へ振り向けるべきだ、というもので、それはそれで一理あることだ。特にこれからさらに厳しさを増す北海道に生きる我々にとっては、「報徳の視点だから」だけでなく、農業に関する提案を今日の社会状況を救う一つの提案として真剣に考えてみたい。

 そうすれば、わが北海道こそが、著者の視点が果たされる唯一の可能性のある大地ではないか、とも思えるのである。

 報徳を面白いと思う者ならば、一読して損はない本である。

 「金次郎の改革を『近代の超克』のヒントとして受け止めたい。もともと単なる道徳でもなく、単なる信用組合でもなく、単なる荒地開発ではなかった。報徳仕法はそれらすべてを統合した攻めの富国論だった。農業でありながら工業の要素と商業の要素を一体として生きたのである(終章より)」

 さて、次に金次郎に着目するのは誰かなあ。

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