北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

景観の勉強

2005-11-15 23:51:39 | Weblog
 清子内親王のご成婚が無事なって、心からお慶びを申し上げたいものです。今日はおめでたい一日です。

 さて今日は
■内親王のご成婚
■景観の勉強 の1本です。

【景観の勉強】
 今日は清子内親王のご成婚の一日です。

 掛川にいたときは、国体があって障害者スポーツ大会があったりと皇室には大変ご縁があった。

 国体では天皇陛下ご夫妻を駅でお見送りする列に加えていただけたし、障害者スポーツ大会では皇太子殿下、雅子妃殿下が視覚障害者のキックソフトをご覧になられたときにお見送りをさせていただいた。

 さらに、清子内親王が掛川をお訪ねいただいた際に、新幹線でお見送りをする栄誉をいただいたことがあったのだ。あたりまえだが上品なお姿に感銘を受けたのでありました。

    *   *   *   * 

 神事を行う際には、神様が依り代に降りてこられる降神と、再び天に昇って行かれる昇神の際には神官さんが「ご低頭願います」と言って、礼拝者一同が目線を下げるということがある。

 そうしておいて神官はサイレンのように「ううううぅぅぅぅ~」と声を発するのだが、これは警蹕(けいひつ)と言う。

 警蹕とは、貴人の通行などのときに、声を立てて人々をかしこまらせ、先払いをすることや、またその声の事を言うのだが、古来より日本には貴人が通るときにはその姿を見るべきではないというマインドがあるのである。

 天皇陛下などはお優しくて国民に気さくにお声をかけていらっしゃるが、本来ならばお姿を見る事はおそれおおい事だ、と思っていればよいのだろう。

 清子内親王の幸せそうなお姿を見て、多くの国民も幸せになった事だろう。

 心からお慶びを申し上げます。


【景観の勉強】
 道庁の知人から「景観行政の勉強をしているのですが、来てみませんか」と声がかかり、参加した。

 勉強会の部屋には15人ほどがぎゅうぎゅうにつまりながら、最近の道内の景観行政を巡る話題や成果について発表をしたり、ディスカッションをしていた。

 本来行政は、市町村を単位とする自治体行政の範囲なのだが、北海道でも景観に関する条例を作ろうという動きがあって、「どういう意味があるのですか?」と尋ねると、「例えば遠くの山を見るときには、もう自分の町を越えたところに障害物が出来たりする事もありますよね。そうなると景観も広域行政としての必要があるでしょう」とのこと。

 なるほど、自治体行政と広域行政の役割分担というわけだ。

 景観法もできたものの、まだまだ自治体には景観法を使って美しい景観を守り育てる事で、自分のまちが幸せになるという気持ちが弱いところが多い。なにより、首長などのトップになかなかそこまでのことを理解してもらうのが難しいようだ。

 「景観はお金になる」ということがはっきりすると良いのだが、美瑛の例を持ち出すまでもなく、景色の良いところで商売をしている人はいるが、風景を守っている農家には直接お金が流れるシステムがあるとは言い難い。

 景観と商売と地域の振興が一体になるようなシステムが必要だ。

    *   *   *   * 

 今日の勉強で面白かったのは、港の風景診断を行う手法を模索するために、市民を相手に事前にチェックポイントを説明したり、現地で診断をしたり、診断を持ち寄ってのディスカッションを行うと言ったワークショップの様子を説明してくれた下りであった。

 説明を聞く前は港の風景になど興味のなかった市民たちが、導かれるままにやる気になって風景の善し悪しに気づいて行く、ということは大変面白かった。

 レポートでは風景診断の方法らしきものまで説明してくれたのだが、説明者の言う事には「どれが美しい風景で、どれが美しくない風景かが分かるようにはなったのですが、そこから先に、美しくないものを改善するという手法が見つからないのです」とのこと。

 話を聞いていて、風景・景観の問題は医学で言う「難病に近いのかな」と思った。それは、どこが悪いか、どういう症状が出たら何という病名だ、というように、診断によって悪いところや病名は分かるのだが、肝心の治療方法がまだ確立していないという点で似たものを感じるのである。

 公共事業にあっても、まだまだ景観のためにお金をかけることに国民の合意を感じておらず、コスト縮減の名の下にとにかく安く機能が果たされる事だけが要求されているようだ。

 景観は国民の意識レベルの問題だ。景観にお金をかけることは今を生きる我々の問題だけではなくて、子孫に美しい財産を残せるかどうかだ、ということにまで思いが至れば、今美しい景観のためにやるべきことはまだまだたくさんあるように思われる。

 お金にならない財産がお金では買えないものになるのはいつの日か。
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