北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

ドジな子供がいなくなる?

2015-11-29 23:25:25 | Weblog

 私は小学校三年生までを稚内で過ごしました。考えてみると今からおよそ50年前のことですが、今でも断片的ながら当時のことを思い出すことがよくあります。

 稚内市内で何度か家を変わったのですが、稚内を離れる直前に住んでいたのは、今の宿舎から見える小高い丘の上にあった平屋で二戸が一棟になっている、いわゆる「二戸イチ」と呼ばれる官舎でした。

 あれは冬の出来事だったと思うのですが、当時の家に使われていたガラスは脆いもので、よく割れました。

 野球をやってホームランが家のガラスを割ってカミナリオヤジに叱られるというのはサザエさんかドラえもんのワンシーンくらいにしか登場しませんが、当時のガラスはちょっとしたことでよく割れました。

 その日は私が学校から帰ってきて、遊びに行こうとドアを強く閉めたところその衝撃でドアのガラスが割れてしまいました。

(しまった!)と思いましたが後の祭りです。

 父はほとんど怒ることのない人ですが、そのときも「やれやれ」という感じでガラス屋さんに連絡をしてガラスをはめてもらいました。

 実はガラスを割った記憶はあるのですが、ガラスを直しているところの記憶はありません。そこは記憶が抜け落ちています。

 ところが割ったガラスが直ったと思い、喜んで再び遊びに行こうとしてドアを閉めたところ、なんとまたそのはめたばかりのガラスが割れてしまったのでした。

 子供心に(えーーーっ?)と衝撃が走りました。ドア越しに家の中を見ると父がなんとも当惑した表情で半分笑いながらこちらを見ています。

 ほんの一、二秒のことだったのでしょうが、私はいたたまれなくなってその場から逃げ去ってしまいました。すべてがストップモーションのようにゆっくり見えたのだけは覚えています。

 しかし記憶にあるのはそこまでで、その後どうやって家に帰りどういう話をしたのかは全く覚えていません。ただ、直したばかりのガラスをすぐに割ってしまってなんともばつが悪かった、という記憶だけが映画のワンカットのように頭に残っているだけです。

 幼い時の記憶なんて皆そんなものかもしれませんが、思い出すと恥ずかしくなって忘れてしまいたいワンシーンだけがどうしても記憶から消えないのです。

 今日の現代家屋ではドアにはゆっくり閉じる様なドアクローザーがつけられていますし、そもそも脆くて割れるほど大きなガラスが入っていません。

 進んだ科学技術は、子供がドジって叱られるような機会も防いでいるのでしょうか。喜ばしいようなちょっと寂しいような、ノスタルじじいな気分です。

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