我が家の筋向いに建っているTさんのお家の解体が始まりました。
Tさんは昭和30年代にリンゴ畑だったこのあたりが住宅地に代わったときからここに住んでいたのですが、この7月に施設に移られてこの家は主なき家になっていたのです。
【以前の姿】
18年前に私がこの土地に家を建てて引っ越してきたときからいろいろと世話を焼いてくださり良くしてくださいました。
息子さんと娘さんは近くに住んでいますが、数年前に奥様を亡くされて広い家にお一人住まい。
朝早くからマメに地先の道路の雪かきもされる方でしたが、数年前から「私も雪かきの責任が果たせなくなったらもう施設に入りますよ」と笑っていましたが、今年の6月のある日、立ち話をしていた時に「小松さんにはお話しておきますが、業者さんとも話をつけて家を売って施設に入ることにしました」と耳打ちをしてきました。
「もう私も84になりましたから」「私の両親はもう90ですが、二人で一軒家にいますよ」
「いやいや、家が広いのもあるんですが掃除やらなにやらが大変でね。ちょうど良い施設も見つかったので決めました」
Tさんは他の地区の施設もいくつか検討したようですが、「全く知らない土地に行くよりは、少しは知った自分の家の近くが良いと思いました。神社が近くて公園の緑も見えて環境は良いんですよ」と言っていました。
Tさんの家の敷地は昭和時代の流行りで、土地の半分は庭にされていて木々が植えられ私も四季変わる風景を楽しませてもらいました。
そんなTさんの家に解体屋さんがやって来たのは今週。
始めは庭の木々がなくなり、いよいよ昨日からは家の本体にもバックホウが入り、とうとう家は無くなってしまいました。
「業者に売った後の家や土地はどうなるんですか?」
「それはもう業者の手に渡った後なのでわかりません」
私の家の両隣にあった家の100坪の土地はどちらも2軒ずつの家になったので、ここもコンパクトな家が2軒建つことになるでしょうか。
住宅地の新陳代謝と言えばそれまでで、人口減少の世の中で元の家主がいなくなっても土地が再利用されるのは健全なことですが、土地が細切れになって行って余裕やゆとりが少なくなっていくように感じるのは残念です。
ただこれは他人事ではなく、私にはまだ両親と妻の両親も持ち家で存命中なので、こうした話は明日は我が身。
世の中は常ならぬのです。