わが友人に、「スマホは嫌いだ、ガラケーで十分だ」と言い張って、いまだにスマホデビューしていない人がいます。
彼には中学生になる息子がいて、「もうそろそろスマホを買ってよ」とねだってくるのですが、それに対しても「そんなものを持たせたら勉強に集中できなくなるから不必要だ」と堅固な意思で、その要求を撥ねつけています。
私はいつも「それでいいの?新しい技術にはある程度ついていかないと、そのうちついていけなくなるよ」と意見をするのですが、聞いてはくれません。
ところが先日あったときに、「ところで、スマホの画面が大きいパッド系のツールがあるよね。あれをパソコン的に使えば、家のパソコンと同じようなことを外に持ち出せるのかな」と聞いてきます。
「全く同じとは言えないけれど、かなり近いことはできるよね。ただ外で通信を行おうと思うと、スマホと同じようなデータ通信の契約をしないといけないけどね」
「うーーーん、その辺がわからない」
「な?それ!『スマホを持ったほうがいいんじゃないか?』と言い続けていたのは、ただスマホをいじっていろいろな情報を得たり動画を見たりすることができるということだけじゃないんだよ。そもそもどういう契約をして、データ通信がどうやってできるか、ということまで含んだ全体が、新しい時代のシステム技術だってことよ。
いい加減意地を張って、やらない理屈を探していないで、新しいシステムの勉強をし始めたらどうだい?」
「ふーん、まあ考えるよ」
さて、彼はパッドを買って、データ通信契約をすることになるでしょうか。
私は掛川で「生涯学習」ということを学びましたが、その一番の神髄は「好奇心を持って、新しいことについて行け」ということだったように思います。
気持ちが、「もうここでいいや」と思った時から、前に進むエネルギーは出にくくなってしまいます。そして遅れてゆけば遅れるほど、ついてゆくことが億劫になる。
この「億劫になる」ということを恐れなくてはいけません。
億劫にならずに新しいことについてゆくのは大変だけど、始めるなら早いほうが良いと思うよ。
ところでパッドをパソコン的に使おうと思うと、"ブルートゥース"のキーボードくらい持っていたほうが良いと思うけど、それもわかるかな?
ふー、時代についてゆくのは大変だ。