北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

老化とは「物事を吸収できなくなること」と覚えたり

2017-04-29 23:44:53 | Weblog

 連休初日。

 冬タイヤを自分で夏タイヤに取り換えて、ふと、前回のオイル交換からの距離が5千キロを超えているの気が付きました。

 家の近くに大きなカーショップがあるので、(朝一番だったら滑り込めるかな)と思い、10時の開店直前にお店の前に行ってみましたが、すでにタイヤ交換の申し込みと思しき客が20人くらい並んでいて、一気に気持ちが折れました。

 気持ちを切り替えて、家の片付けなどをしてから、釣り道具や仕掛けを買いに行きました。

 釣り道具って、入門編だったら3千円くらいで買えるのに、少し高度な釣りをしたいと思うと一気に値段が上がります。

 頭が混乱しながらも、お店の方になぜその道具が良いのか、ということを聞きながら品定めをして、ゴールデンウィークの釣り対策ができました。

 ところが、道内各地の友人から入ってくる釣り情報は、「ホッケがいない…」「ホッケはどこへ行った?」とか「バラシが多い」など、どうにも芳しくありません。

 おまけに「誰か一緒に行きませんか」とネットで声をかけても反応なし(笑)。皆さん忙しいんですね。


          ◆ 


 最近、自分の親くらいの80代半ばのお年寄りの方と話していて、その方から出る話題が全部過去のものなんだ、ということに気が付きました。

 こちらが、旅行へ行ってこんなものを見た、とか、映画へ行って面白かった、というような話をしても、「それは僕の時代は○○ということだったよ」という過去のことを教えてくれる話題にしかならないのです。

 こちらとしては、あれだけ若いときは活躍されたのだから、その経験と実績を踏まえて、私の話題に切り込んでほしいと思うのですが、そういう期待はむなしく、昔の成功談とか辛かった愚痴などばかりになるのです。

 歳を取るという事は、どうやら『新しい事柄が体の中に入っていかなくなる、吸収されなくなる』ということなのかなあ、と気付き始めました。

 食べるものも然り。美味しくて栄養のあるものを食べても、肉体は維持するのがやっとで、新たに筋肉になったり体が大きくなることもない。

 スマホなど、新しい文明の利器が登場するとその操作には過去の記憶やスキルが役に立たない。そして新しい使い方は、取扱説明書も読まないし、教えてもらってもそのノウハウが体に吸収されて染み込んでいかないので、嫌になってやらなくなってしまう。

 もしもこれが嫌だというのなら、自分の関心をできるだけ外に広げて、新しい時代にできるだけ頑張って実践的行動としてついて行く、という「生涯学習的生き方」をどれだけできるか挑戦し続けるしかないのではないでしょうか。

 サミュエル・ウルマンの有名な「青春(YOUTH)」という詩の中で、彼はこう言っています。

   人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる 
   人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる
   希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる   


 過去に生きずに未来に生きるべきなのだと。

 さて、言うは易く行うは難し、かな。

 

コメント
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