北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

そうだ!念力だ!

2017-04-01 23:01:58 | Weblog

 

 先日職場の女性人たちと話をしていて、「なぜ太っているという自覚があるのにダイエットができないか、どうしたらダイエットが成功するか」ということが話題になりました。

 私は「世の中は因果応報なのだから、結果として太ったという事には原因があるはず。それは消費するエネルギーより多く食べるからに違いないでしょ」と言い、「だからダイエット成功のためにはただ一つ、『食・べ・る・な』ってことでしょ?」と理路整然と論を展開しました。

 ところが女性陣は、「そういうことを理屈で説明されると、返す言葉がないんだけどなんだかムカつきますね(笑)」と笑います。

 理性で理屈は分かっても、それを感情が許せないと言ったところでしょうか。

 結局、「それじゃダメなんだ、あるべき姿に近づけないと」という思いの強さじゃないかなあ、ということになりましたが、どうやったら思いが強くなるのでしょうか。


          ◆ 


 今日は春の陽気に誘われて、冬の間ワックスをかけずにいた車(平成17年製セレナ)をせっせと磨いていました。

 するとお向かいのもう80歳を超えたTさんが近寄ってきて、「小松さんはいつでも車をきれいにしていますねえ」と声をかけてくれました。

「まあ、幸い水道を外に作ったのですぐに洗ってやれますから。自分の車って、できればきれいであるべきだ、と思っているので、時間があればできるだけ水をかけるだけでもしてあげたいんです」

 やはり自分の車はきれいにしていた方が気持ちが良い、と思うからですが、汚れている車はできるだけ洗うようにしています。 

 そう言いながら、(そうか、やっぱり『かくあるべき』と思えば、それが力になって念じる方向に動かざるをえなくなるんだよなあ)と思った次第。

          ◆ 

 私の好きな俳句に、明治から大正の俳人の村上鬼城の、「念力のゆるめば死ぬる大暑かな」という句があります。

 「念力の」という表現のインパクトがすごいのですが、暑さに耐えるのも念力ならば、「かくありたい」と願う念の力も念力。

 この念力こそが、短い自分の一生を彩る力なんじゃないでしょうか。

 「かくありたい」と思ったならば、そうありましょう。

コメント
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