今は車を稚内に持ってきていません。そこで市内を観て回るのに、ガソリンステーションが経営する安いレンタカーを借りてみました。
今日は当日の申し込みでも幸い空きがありました。しかし観光シーズンになると予約しなければ無理なときも多いよう。予定は早めに立てなくては。
レンタカーを借りるとまずは西へ進んで日本海側へ出ました。ここから海岸線を見るだけでもなかなか見られない雄大さです。
今日は利尻富士が雲に隠れていましたが、次回は夕日の頃に見たいですね。
ちょうど利尻富士を正面に見るところに、稚内温泉「童夢」があります。日曜日のお昼だというのに随分混んでいます。稚内市民の高齢者は利用料が100円だというのですからお年寄りの利用が多いはずです。
お湯は少し塩の味がして肌がツルツルになり、大いにリラックスできました。島を除くと本土では最北の温泉です。
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【北辺警護とコーヒーの関係】
ノシャップ岬を巡って今度は一路宗谷岬方面へとひた走ります。
途中の宗谷公園には海の神様である厳島神社があったり、北辺警護に当たりながら志半ばにここで無念の死を遂げた津軽と会津藩士の墓が並べられています。
面白いのは、この地で野菜不足による水腫病で多くの越冬死者を出したことの反省で、後に予防薬として和蘭(オランダ)コーヒーが配給されたという記述が残されています。
今日この藩士の墓の傍には、津軽藩の後裔である弘前市の雄姿たちの手によってコーヒー豆の形をした碑が作られました。北辺警護がコーヒーに繋がるとは実に面白い。
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旧の宗谷村に今は稚内市役所宗谷支所がありますが、ここに『稚内発祥の地』という碑がありました。
津軽や会津藩士の墓が残されているように、かつては今の稚内よりも東の宗谷岬周辺の方が重要でした。
明治12(1879)年に戸長役場が置かれたとき、宗谷は宗谷村、泊内村、猿払村、稚内村、声問村、抜海村の中心地で、戸長役場と共に宗谷・枝幸・利尻・礼文郡の宗谷外三郡役所も置かれるほどの中心地だったのです。
それが後に船舶が大型化され、港が稚内に移ったことで中心地としての役割は次第に稚内に移り、昭和30年に旧宗谷村が稚内市と合併して今日に至っています。
この碑があるところは、かつて長い間宗谷戸長役場と共に宗谷外三郡役所が置かれていた場所だそうで、まさにこの地域発祥の地と言えるでしょう。
私、こういう歴史って大好きです。面白いじゃありませんか。
今日はたくさんめぐりすぎたのでこの辺りで。これからも少しずつ小出しにして行きまする。