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北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

良い演説とはなにか

2011-12-02 23:45:43 | Weblog
 三段切り替えの自転車は、変速器が寒さのせいでミドルから変わらなくなりました。これはもう来年の春までだめでしょうか(笑)。


 さて、12月議会の二日目。各市議の皆さんはそれぞれ自分の問題意識から質問を作ってこられますが、重大なテーマでは質問が他の議員とかぶったり同じ質問になったりします。

 質問の順番が先であれば良いですが、後になればなるほど不利です。しかも質問は答弁をスムースにするために事前に通告をするのがルール。

 重なりが強くてまったく同じような質問が先に出てしまったら、最悪でも質問を取り下げることはできますが、他の質問項目で持ち時間を再配分しなくてはならないので結構大変そうです。

 質問する側も簡単ではないのです。





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 私が質問や答弁をする人で注目する点は、ひとえに演説をすることへの姿勢です。

 声がしっかりと腹から出ているのかどうか。原稿を読むことに汲々とせず、伝えたいことを伝えようとしているか。そして何より、言葉に魂から発せられる気合が込められているかどうか、です。

 声の問題は、議場にはもちろんマイクがあって小さな声も拾ってくれるのですが、やはり腹からしっかりと声を出すように意識している人とそこに考えが及んでいない人では押し出しが違います。

 これは私が話をするときも問われることですが、まずは声をしっかりと出して単語は語尾までしっかりと気を抜かずに声に出さなくてはいけません。

 マイクがあろうがなかろうが、いくら良いことを言っていても聞こえなくては何の意味もないのですから、声をしっかりとだすということは演説の基本中の基本なのです。


 次に、原稿読みに気を取られずに、伝えようという意識をしっかりと持っているかどうか。自分は原稿を読みたいのか思いを伝えたいのか、と問われれば当然「思いを伝えたい」というはずです。

 そのために人前で話すということは実は相当にエネルギーも使うし、疲労もします、頭もフル回転している状態ですから精神力も求められます。

 そこには魂から発せられる気合が必要です。

 気合というのは、ただ単に声の強弱や抑揚というような声を出すスキルとも違って、結果としてその場を支配してしまう強い念の力のこと。 

 それは純粋に「これが伝えられたら死んでも良い、しかし伝わらなかったなら死ねない」というような強い思いであることでしょう。さらにその気合が打算や損得を考えるようなものではない、純粋な魂から発せられるものであれば聴衆の心を動かさずにはいられません。


 だから本当に思いを伝えようと思ったならば、自分の中にきれいな魂を育てることが肝要になるのです。

 こんなことを言うと天に唾するようなものですが、自戒を込めてそれを求めてゆきたいもの。


   今生は魂(たま)の修行の時間なり
 
 

コメント (1)
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