goo blog サービス終了のお知らせ 

北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

全体は部分の集合ではない

2010-05-20 23:20:21 | Weblog
 月曜日に「腰を痛めました」という記事を書いたところ、いろいろな方からの電話やメールでの冒頭の挨拶が「大丈夫ですか?」とか「腰は軽く見ない方がよいですよ」といった労りの言葉でした。すみません、心配をおかけしました。

 おかげさまでまだ多少痛みは残っているものの、少しずつ快方に向かっております。片足立ちではけなかった靴下もはけるようになりました。
 
 うちの奥さんがゴミを出しに行った時に、筋向かいの家に住むご主人がなんだかひょこひょこと腰が悪そうに歩いていたんだそう。

 「どうかしましたか?」と訊いてみると、なんとこのご主人も腰を痛めたのですが、医者に行かずに整体に行ったとのこと。

 ところがその結果、なお痛くなってしまったとのことで、そんな話を聞いて(生兵法はいけないな)と思ったのでした。

    ※    ※    ※    ※

 腰という部分が痛いように思いますが、人間の体は部分の集まりではなくてあくまでも全体で一人の人間を構成しています。

 痛いからと言って切り捨てて腰のない生活が出来るわけがありません。そして例え足の小指の先のように体の中でも一番遠い部位だとしても、それが痛ければ全身が気になって仕方がないはずです。

 我々の社会も地域や部分的な人の集合ではないはず。困っていたり苦しんでいる人たちを切り捨ててしまうことで社会が健全になるわけではありません。

 末端の過疎の土地でも、山のてっぺんでも、病人やお年寄りまでもが社会を構成している一つ一つの部分であって、それらが全体として健全な姿をするように、一人一人がいろいろなことに関心を持って、自分ができることなすべきことを実践して行かなくてはいけません。
 私はそれが生涯学習の実践だと習いました。


 腰は肉月(月)に「要」と書くくらいですから、体の部位の中でも要となるところ。

 早く直して健康に戻りたい~。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする