駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『マイ・フェア・レディ』

2013年05月26日 | 観劇記/タイトルま行
 日生劇場、2013年5月20日ソワレ、23日ソワレ。

 コベント・ガーデンのロイヤル・オペラハウス。終演後に劇場から出てきた紳士淑女はわれ先にとタクシーを呼び止めようとしている。そんな人々にスミレの花を売り歩いているのはイライザ・ドゥーリトル(霧矢大夢、真飛聖のダブルキャスト)。その言葉はロンドンの下町言葉・コックニー訛りがひどく、聞けたものではない。だがその一部始終を物陰で手帳に書き取っている男がいた。言語学者のヘンリー・ヒギンズ教授(寺脇康文)だった…
 脚本・作詞/アラン・ジェイ・ライナー、音楽/フレデリック・ロウ、翻訳・訳詞・演出/G2。1956年ブロードウェイ初演、1963年日本初演。日本人が日本語で上演した初めてのブロードウェイ・ミュージカルで、初演から50周年の「reborn」。原作は1913年初演のバーナード・ショウの戯曲『ピグマリオン』。

 オードリー・ヘプバーンの映画はもちろん観ていて、大地真央主演でも観ているとは思うのだけれど、2001年からの観劇記録に残っていないので、それ以前に観たのか観た気になっているだけなのか…
 ともあれ、有名なミュージカルですし、G2演出で刷新されるというし、ヒロインは宝塚OGのダブルキャストだしで、いそいそと出かけました。

 しかし歌はふたりとも驚くくらいつらかった。まあまとぶんに関しては覚悟していなくもなかったし(失礼)、だからこそ先に観たりもしたわけですが、まさかあのなんでも歌えたきりやんがこうも苦戦するとはねえ…!
 キーの問題なのかソプラノが大変なのかはたまたミュージカル歌唱というものが難しいのか…
 しかし音量を上げてうまく聞かせると言うかせめて朗々と聞こえるようにすることはできると思うので、マイクや音響の技術が宝塚ほどではないのかもしれませんね。残念。
 ザッツ・ミュージカルで素晴らしかったのはフレディ役の平方元基で、「君が住む街」をそれはそれはうっとり歌い上げてくれてこちらもうっとり聞けて、その浮世離れしたお花畑感が役のキャラクターとあいまってベスト・マッチでした。
 それから初ミュージカルとは思えない、ドゥーリトル親父役の松尾貴史! 「運がよけりゃ」も「教会へは遅れずに」も、楽近くには手拍子が入るんじゃないかなあ? アンサンブルが歌い踊る楽しく盛り上がるミュージカル・ナンバーだということもありますが、とにかく上手いわ達者だわで素晴らしい。
 それからすると、たとえば「だったらいいな」はもっとみんなが歌って踊って盛り上げてくれてもいいナンバーではないかしらん…中途半端で残念でした。このくらいしか踊らせないのならもう少し短くてもいいよね…
 寺脇さんも本当はもう少し歌えるといいとは思うのだけれど、この偏屈な変人をいかにもに、かつ憎めない愛嬌も漂わせて演じてくれていたので、歌の物足りなさには目をつぶるかな、という感じでしょうか。
 ピッカリング大佐の田山涼成も芝居の間はいいし素敵なんだけれど、そもそも声があまり良くないよね…舞台役者としてはなかなかに難点だといつも思うのですよ、残念ながら…
 ピアス夫人の寿ひずるもOGですが、体型といい存在感といい素晴らしかったなあ。こういう役はこうでなくてはいけません。
 そしてヒギンズ夫人の江波杏子も素敵でした。ヒギンズがいい歳してあんな男になっちゃってるのはそもそもはこの人の育て方の問題もあるはずだろうと思いつつも、イライザに対し「あの娘のファンになっちゃったわ」とか言えちゃう貴婦人、というところが素晴らしい。ゴージャスなお衣装の着こなしがまた素敵でした。

 さて、で、ヒロインです。
 というかダブルキャストって本当におもしろいですね。個性が出るし、作品が別物に見えました。
 私からすると、一幕はきりやんが良くて、二幕はまとぶんが素晴らしく見えました。きりやんはまっすぐでまとぶんは女っぽいからです。
 思うに、まとぶんイライザの一幕は、べらんめえ口調だろうがなんだろうがやっぱりとても愛らしくて、こんなお嬢さんが今まで誰にも手をつけられなかったなんてありえないな、って、あとから、きりやん版を観てからですが思っちゃったんですよね。
 イライザは花は売っても体を売ったことはない、女を武器に生きるなんてできない娘さんです。でも、本人はそうでも周りの男子がほっとかない女子っているじゃない。いい意味でも悪い意味でも。だからまとぶんイライザはもっと早くに悪い男に引っかかってダメにされているか、もっと早くにいい男に見初められてとっくにこの界隈を出ているかしそうだな、と思えたのですね。
 でもきりやんにはそういう色香がない(笑)。子供っぽいわけではなくて、ただ性を感じさせない、いわゆる「青少年」とか少女をも含む言葉としての「少年」とか「児童」とかが持つ、純粋さ、凛々しさ、まっすぐ差が前面に出ているように私には見えました。
 そして真面目で意外に不器用で、たがらひとりで働いて苦労しているのがいかにもで納得できるのです。そして、ひょんなことから知り合った教授の家に、一大決心して顔も手も洗ってなけなしの貯金をかき集めて乗り込むのが自然です。向学心や自立心に溢れているイライザなのです。比べるとまとぶんイライザが甘えたさんに見える、というのはさすがに言い過ぎなのですが、そんな差を感じました。

 しかしそうなると、二幕で話がラブコメモードというか痴話喧嘩モードというか男女のすれ違いと葛藤と軋轢のドラマになると、まとぶんイライザの方が俄然輝くわけです。
 舞踏会で貴婦人らしくふるまってまんまと人々を騙しおおせたイライザでしたが、ヒギンズもピッカリングも自分たちの勝利を祝い喜ぶばかりで、イライザのことは無視します。教えたのは自分たちでも、成し遂げたのは彼女なのに。よくやったとか君はすごいとか、ほめることもねぎらう言葉もまったくない。
 それでイライザはキレます。そしてまとぶんイライザの怒りは、対等な人間として扱われないことの怒りと、女として愛されないことの怒りとが完全にないまぜになっています。イライザはヒギンズを愛しているのです。だからこそ怒っているのです。

 ここで実は、私にはその流れがどちらのバージョンでもよく見えなかったことを告白しておきます。
 ブログ感想めぐりをしていたときにある記事ではじめて知ったのですが、いわゆる「スペインの雨」を今回は「日向のひなげし」としているのですが、イライザの訛りは江戸弁のようになっていて、「ひ」を「し」と発音してしまうということになっており、でも「しなたのしなげし」だったのが初めて「日向のひなげし」と言えたとき、喜んだイライザとヒギンズは思わずダンスを踊ります。
 ちなみにここのホールドが男女逆なのは、ソシアルダンスを習い始めて半年の私以外にも気になった方はおられるのではないでしょうか…
 それはともかく、ここでイライザはヒギンズに恋に落ちた、とされているそうなのです。そういう演技をしていたそうなのです。私は気づかなかったけれど。
 そしてだからこそのいわゆる「踊り明かそう」、今回は「じっとしていられない」という曲名になっていましたが、I Could Have Danced All Nightなんだそうなのです。
 彼となら一晩中だって踊り続けられそう、彼と踊りたい、恋しちゃったんだもん…そういう歌なんだそうですね、これって。そして今回の訳詞には残念ながらそういうニュアンスがなかったことを、その記事は残念だと書いていたのでした。
 でも私はそういうことは不勉強にして知らなかったので、普通に流して観てしまいました。逆に言うと、いつイライザがヒギンズに恋に落ちたのかを明確に意識することはありませんでした。ただその恋心は徐々に生まれ育っていたのだろうし、それでなくとも正装して舞踏会に行くなんて女子的には大イベントなわけで、慇懃にエスコートしてもらえて舞い上がったろうし、ダンスも社交もそつなくやり遂げて充実感に満ち溢れていただろうし、最後のダメ押しの一言を待っていたのに、どんなささやかな言葉でも嬉しかったのに、目を向けてもくれない…というときの怒りはそりゃ想像に難くなかったのでした。

 で、イライザはキレて、ヒギンズは当惑するわけですが、私はまとぶんイライザの女っぽさに完全にシンクロしてしまって、ヒギンズの、というか男の馬鹿さ加減に本当に怒りあきれ絶望し、ヒギンズが「あたまから離れない」とか歌っちゃっても「ナニ言っちゃってんの」って感じでした。イライザが絶望的に言う「会話にならないわ!」という悲鳴のような台詞が本当に胸に迫りました。古今女は男に何度こういう思いをさせられてきたことでしょう!
 だからいいよそんな男のところに戻ることないんだよイライザ、と言ってやりたいんだけれど、でもまとぶんイライザは女だから、やっぱり戻っちゃうんだよね、ああ男も馬鹿だけど女も愚かだわ、でもだからこそお似合いでもあるわけだしそうやって地球は回ってきたんだしね…とちょっとほろ苦くラストを観たのでした。私もなんだかんだ言ってただのヘテロなので。

 でもきりやんイライザにはそういう女っぽさがないように私には見えました。彼女は純粋にひとりの人間として怒っていて、きちんと尊重されないことを不満に思って、それで出て行ったのでした。
 だから「私に見せて」とか全然上滑りして感じられたんですよね。フレディを誘惑したり彼に甘えたりする感じが全然出ていない。まとぶんイライザのときはあんなにコケティッシュでスリリングで、でも嫌じゃないセクシーな歌に聞こえたのに!
 そして下町に戻ってドラム缶のストーブに当たる場面、『ミーマイ』のビルでいうところの「無差別級なんだ」の場面です。上流階級は受け入れてくれない、元の下町の仲間は遠巻きにする。まとぶんイライザはその孤独に泣きそうに見えましたし、きりやんイライザは静かに怒り、再び立ち上がる勇気をかき集めているように見えました。
 そんな強くてまっすぐで凛々しいきりやんイライザだからこそ、もしかしたら男の、というか他人の手なんかもう必要としていないようにも見えて、だから私は今度はヒギンズの男心にシンクロしてしまいました。
 馬鹿で愚かで了見が狭くてプライドばかり高くて、でも一度気づいてしまったらもうその喪失感が耐え難くて、寂しくてせつなくて、でももうママはいい子いい子なんてしてくれない。どうしようもない。
 せっかく彼女が帰ってきてくれても、「好きだ」とか「愛してる」とか「君が必要なんだ」とか、ストレートでダイレクトな言葉なんかやっぱり言えない。やっと言うのがアレですよ、あれが精一杯の譲歩、彼なりの「I love you」なのです。

 まとぶん回は下手席観劇だったので、ちょっと悲しそうにも見える笑顔でヒギンズに近づいていくイライザの顔がよく見えました。
 きりやん回は上手席だったので、近づいてくるイライザを最後の最後に帽子の淵の影から目を上げて見るヒギンズの顔がよく見えました。
 そういうこともあいまって、結局は割れ鍋に綴じ蓋というか所詮は男と女というか、すべて世はこともなし、と拍手するしかない、でもやっぱりほろりとさせられて気持ちのいい、ラストシーンだと思えたのでした。

 最後に。今回は装置(美術/古川雅之)が素晴らしい。場面転換がスピーディーで美しい。あの白と黒のストライプのドレスを始めとするお衣装デザインも素晴らしい。
 舞台をわりとタイトに使っているのもよかったです。あとコンダクター(指揮/田邊賀一)のグレーの燕尾服が素敵でした(^^)。




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2 コメント

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ピグマリオン (ETCマンツーマン英会話)
2013-11-12 15:41:56
ピグマリオンを調べていて此方に辿りつきました。日本ではじめて翻訳版が上演されることを知ったのがきっかけです。

寺脇康文さんが演じたヘンリー・ヒギンズ教授。とてもよかったとのこと。見てみたかったです。
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コメントありがとうございました (駒子より)
2013-11-20 18:25:50
『ピグマリオン』、来週観劇予定です!
感想上げますのでまたいらしてくださいね~。

●駒子●
返信する

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