駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

竹宮恵子『変奏曲』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名た行
 朝日ソノラマサンコミックス全3巻

 音楽評論家のホルバート・メチェックが語る、夭折した天才ピアニスト、ハンネス・ヴォルフガング・リヒターと、その親友にして最大のライヴァル、ヴァイオリニストで指揮者のエドアルド・ソルティーとの魂の軌跡。

 心が通い合ったもの同士がすばらしい音楽を紡ぎ出す、というのにあこがれています。
 ニーノに手を出す(!)あたり、結局ボブってただの美少年趣味なのね、という感じでちょっと興ざめしました。年食っておじさんになったエドはいい感じなのになあ。
 アレンとニーノで続編があるとのことだけど、あんまり興味ありません。
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永井豪『デビルマン』

2010年02月25日 | 愛蔵コミック・コラム/著者名な行
 講談社漫画文庫全5巻

 高校生の不動明は、親友の飛鳥了から、焼身自殺した考古学者の父・飛鳥博士の「恐怖の遺産」を受け取るよう言われる。博士は地球の先住人類デーモン、いわゆる悪魔を研究していたのだ。デーモンはよみがえりつつある。デーモンと戦って人間を守るためには、明がデーモンと合体し、なおかつ人間の心を失わない「デビルマン」になるより道はない…

 アニメの主題歌は歌えます。でも内容はまったく覚えていませんでした。
 原作漫画もこれまで読んだことがありませんでした。
 整った絵や物語を好みとする私は、この作家を、その絵柄の激しさから、もっとキレて崩壊した作品世界を持つ人だと勝手に誤解してきたのです。友人からコミックスを借りて感動し、開眼し、すぐさま書店に走って買ってしまったのでした。

 この文庫版は、連載当時の作品に『新デビルマン』を加え、加筆された特別編成版だそうです。巻末に著者のコメントや各界著名人の解説が付いています。そこですべてが語られているようなものですが、ひとつだけ。

 やはりこの作品での圧巻は、「ヒロインを殺し、人類を滅ぼし、主人公を屠る。その壮絶な展開の果て」(高千穂遥の解説より)のラストシーンの美しさでしょう。
 私も初めて読んだとき、これには本当に驚き、胸打たれました。海の向こうに輝く翼ある者たちは、デーモンでしょうか、再び地球にやってきた神々でしょうか。サタンは自らの愚かさを知りました。二度と同じ過ちは犯さないでしょう。地球はこの先汚されることなく、神と悪魔に愛されていくのでしょう。でも、その未来に、人類はいないのです。すごい物語を描いたものです。

 作者はこの物語を「反戦をテーマにした作品と考えている」(「デビルマン黙示録」より)そうですが、このラストシーンではそうは思えないのではないでしょうか。
「いかなる戦争にも正義などないし、いかなる殺し合いにも正当性などない」とも書いていますが、この物語は、明が「きさまらこそ悪魔だ!」と叫んだように、人間こそが悪であり、人間には正義などなく、人間が地球上に生き延びる正当性もない、としているように思えます。
 サタンの計画にはめられたのだとはいえ、人間はその悪の心から、ほとんど自滅したようなものなのですから。その無常感は、下手をすれば、「人間なんてダメだ。滅んでしまった方がいいんだ」と取られてしまって、反戦を訴えるどころか逆効果なのでは、と思ってしまったのです。もちろん、人間の中には明のような、美樹を愛し、了を信じて戦った美しい者もいるのだ、というのが物語の大前提ではあるのですが。だからこそサタンは明を愛したのですが。人間にはそんなふうに、神に愛される部分もまたあるのです。

 とすれば、ラストシーンの翼ある者とは、明以外の生き残ったデビルマンたちであるのかもしれません。明は死んでしまったけれど、人類はデビルマンというニュータイプ(『機動戦士ガンダム』より)になってのみ、この先の未来を生きていくことができるのだ、ということを、この物語は語っているのかもしれません。(2001.5.12)
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ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

2010年02月24日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 サントリーホール、2008年7月4日ソワレ。

 演目はウエーバーのオペラ『オベロン』序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』(ピアノは中村紘子)、交響曲第7番。指揮はラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス。アンコールはブラームスのハンガリー舞曲第5番とヒメネス『ルイス・アロンソの結婚式』から間奏曲。
 『オベロン』は勉強していけなかったのですが、まずは『皇帝』は楽しめました。それにしてもピアニストの手というものはどうしてああ大きいのでしょう…それだけで圧倒されます。中村さんのピアノは、くわしいことはよくわかりませんが、おおらかというか大雑把というか激しいというかで、でも非常によく曲に合っていたと思うし、素敵でした。
 そして『のだめ』でご存じ、ベト7は圧巻です。これでもか、というきらびやかなクライマックスがもうたまりません。ステージを観ているとソリストの音なんかもとてもよくわかって、それも良かったです。やはりオケは聴くのと観るのとではちがう!
 アンコールのブラームスもよかったなあ。ブラームスもきちんと聴きたいです。
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劇団四季『ウィキッド』

2010年02月24日 | 観劇記/タイトルあ行
 四季劇場海、2008年7月3日マチネ。

 オズの国にあるシズ大学に、緑色の肌をしたエルファバ(この日は濱田めぐみ)が入学してくる。彼女はマンチキン国総督の娘だが、父親は足の不自由な妹娘ネッサローズ(山本貴永)ばかりを可愛がっている。同級生たちも彼女の肌の色をからかい、特に美しく人気者のグリンダ(沼尾みゆき)とは会った瞬間からお互いに嫌悪感を感じて衝突する。だが魔法を習いたくて入学してきたグリンダをよそに、学長のマダム・モリブル(森以鶴美)はエルファバこそ本物の才能を持つ子だと認め、いずれはオズの魔法使い(飯野おさみ)に会わせようと言う…作詞・作曲/スティーヴン・シュワルツ、脚本/ウィニー・ホルツマン、原作/グレゴリー・マグワイア、演出/ジョー・マンテロ、日本語版歌詞・台本/劇団四季文芸部、日本語版演出助手/横山清崇。

 いやあ、久々に四季の底力を見ました。
 ほぼファースト・クレジットのキャストだからということもあるかもしれませんが、歌が上手いのなんのって。
 楽曲的にはかなり難しい歌が多かったと思うのですが、それこそ高音から低音までまったく危なげなく歌いこなし、かつ歌詞もきちんと聞き取れる。
 もちろん「海」はわりに小さい劇場だから、ということもあるのでしょうが、いやとにかくただ聴いているだけで気持ちいい歌、というのは久しぶりでした。やはりよその劇団の歌唱力の低さは知れるなあ。たいしたものです。

 さてでは物語ですが、ロングランしているし宣伝もしているし先に観た知人から「泣いた」と聞かされもしていたので、とても期待していたのですが…

 第一幕がおもしろかった、でも第ニ幕というかその後の展開がねえ…という感じ?

 エルファバというキャラクターは、人種差別というか、それがダイレクトすぎる表現ならマイノリティ差別と言ってもいいですが、要するにそういう「標準や平均やマジョリティからはみ出したもの」を象徴しているわけですが…そしてこの物語は、それが「悪役」に祭り上げられて行く悲哀や理不尽さを描いているわけですが…それにしては、ということでもないのかもしれませんが、グリンダがキュートすぎました。私は彼女に夢中になりすぎて、物語の筋が正しく追えなかったのでしょうか!(オリジナル・ブロードウェイ版のCDを買いましたが、グリンダの歌は圧倒的に四季版の方がいい! セリフはどうだったんだろう?)
 だってグリンダって別に悪役じゃないんですよ。これがステロタイプの意地悪お嬢様だったらまたちがったのかもしれません。でも彼女は凡人、と呼んで悪ければ秀才の象徴であって、そういうものがエルファバ=天才に敗れる物語のように、私には思えてしまったのでした。
 あまりきちんと表現されていませんでしたが、私はグリンダは本当に本当に魔法の力を欲していたんだと思うんですよね。容姿に恵まれた女の子の常として、彼女はそれを上手に利用して上手く世渡りしてきて、なんでもそつなくこなしてきた。なんでも水準以上にできた。だけどもしかしたら魔法の力はないのかもしれないと心のどこかで恐れつつ、そんな疑惑に目をつぶって、はしゃいで、明るく楽しく入学してきたのでしょう。
 なのにエルファバが、気味悪い色の肌をした冴えない女の子が、強力な力を持っているらしい…そう知ったときのグリンダのショックといったら!
 だからこそグリンダは、エルファバがグリンダにマダム・モリブルから魔法の杖をもらってきてくれたことがとてもとてもうれしかったのでしょう。それは本当に欲しいものだったから。だからエルファバのことも心底見直し、友情が生まれた。
 けれどやっぱりグリンダにできることは限られていて、本当に才のあるのはエルファバなのです。そしてそういう天才は、世の中に上手くはまりきれずに、去って行く。彼らたちも傷ついているかもしれませんが、それでも次元のちがう世界へ行ってしまうのです。自分たち、凡人を置いて…本物はとく去るのみ。
 でも自分たちは残り、世の中だってあり続けます。だから多少の嘘はつきつつも、世の中を回して行くために、働くしかないじゃないですか。
 …私には、そんな物語に見えてしまいました。

 グリンダを、われわれマイノリティ差別をしがちな衆愚も思わず嫌ってしまいそうな、自己嫌悪に陥らせるようなヒールにすればよかった、ということなのかなあ…でもなあ…うーん…
 グリンダとエルファバの「女の子友情もの」の側面も素敵だっただけに、私には他に解釈のしようがありませんでした。

 でもこの解釈だとこのストーリーは当たり前というか現実的に流れをなぞっているだけで、理想や悲哀を描いたものとも捉えられず、感動しにくいんですよね。
 私が『オズ』の原作をうろ覚えにしか知らないので、第一幕のラストで悪役に仕立て上げられてしまい自身もそれを承知したエルファバが、第ニ幕でもあくまでその道を突き進んでいる感じに納得できないというか、「他にやりようないの?」という視点がない感じとかがどうにも幻滅するというか、が問題なのかもしれません。
 ううーむ…
 でも歌唱には本当にしびれたのですよ…
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西本智実「新世界」ツアー2008withモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団

2010年02月24日 | 観劇記/クラシック・コンサート
 サントリーホール、2008年6月24日ソワレ。

 西本氏は大人気の女性指揮者で、TVCMなんかでもおなじみですよね。ファンクラブに入っていたこともあったそうな知人に、イロイロとレクチャーしていただきつつ、拝聴してきました。
 曲目はドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』、ロドリーゴ『アランフェス協奏曲』(ギターは村治奏一)、ドヴォルザーク『新世界より』、アンコールは村治氏が『アルハンブラの想い出』、オケが『アルルの女』より「ファランドール」と、大変メジャーなラインナップで、素人の私でもとても楽しめました。

 というか、生オケってやっぱり楽しいです!

 生音がいいのはもちろんですが、見ていてとても楽しい。
 たとえば、西本氏の燕尾服姿の美しさにまず驚愕。ホワイトタイに黒燕尾というのは西洋における男性の第一礼装なんだと思うのですが、それを着こなす東洋の女性って素敵です!
 しかも宝塚歌劇の男役の燕尾とちがって、ちゃんとウエストがしぼってある。女性らしいシルエットになっているのです。なんて色っぽい…

 でも指揮は凛々しかった、雄々しかった、激しかった。
「オレの聴きたい音をよこせ!」
 という魂の叫びが聞こえましたよ。これは女性ファンが多いのもわかるなあ。

 あとは、ティンパニーの男性が、オールバックで後ろ髪がちょっと長くてダンディで、出番がないときは腕組みして待機しているのが妙にかっこよかったりとか。
 コントラバスの方は、スツールに腰掛けているのですが、右脚は床に着けて左脚はスツールのスタンドにかけて楽器を支えていて、その姿勢がまたかっこよかったりとか。
 コンマスさんが椅子の背もたれにまったく身体を預けず、背中まっすぐのままバイオリン弾いているのがまたまたかっこよかったりとか。
 女性奏者のブラックドレスや黒のパンツスーツがとりどりに美しくて素敵だったりとか。
 どこ見てるんだとつっこまれそうですが、どこ見てても楽しいのです。立派なエンタメだと思いました。
 客席も非常に盛り上がり、スタオベも出ました。酔いしれましたです…
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