駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『ザ・ウェルキン』

2022年07月10日 | 観劇記/タイトルさ行
 シアターコクーン、2022年7月8日18時半。

 1759年、英国の東部サフォークの田舎町。「75年に一度天空に舞い戻ってくる」と言われる大彗星を人々が待ちわびる中、ひとりの少女サリー(大原櫻子)が殺人罪で絞首刑を宣告される。土地の有力者の娘アリス・ワックス(神津優花)殺害の科により、共犯の男はすでに処刑されていた。しかしサリーは妊娠を主張していた。妊娠している罪人は死刑だけは免れることができるのだ。その真偽を判定するため、妊娠経験のある12人の女たちが陪審員として集められた。躊躇しながらも参加した助産婦のリジーことエリザベス(吉田羊)は、サリーになんとか正当な扱いを受けさせようと心を砕くが…
 作/ルーシー・カークウッド、演出/加藤拓也、翻訳/徐賀世子。2020年1月ロンドン初演、当初半年の上演予定だったがコロナのため2か月で公演中止となった演目の本邦初演。全2幕。

 カークウッド作品は『チャイメリカ』『チルドレン』と観ていて、加藤拓也演出は『今日もわからないうちに』『友達』を観ています。女優陣も、最近『ジュリアス・シーザー』で観た、『ミネオラ・ツインズ』で観た、『ほんとうのハウンド警部』で観た、『ザ・ドクター』で観た、『貧乏物語』で観た、『ドン・ジュアン』で観た…という錚々たるメンツでした。
 陪審員と犯人と子役(被害者とリジーの娘の二役をさせるとはなんという…)の14人が女優で、サリーの夫フレデリックとドクター・ウィリスの二役(この二役もどうかと…怖いわカークウッド。役者は田村健太郎)をやる役者と陪審員を監視するモスター・クームス(土屋佑壱)のふたりだけが男優、という布陣の舞台で(判事の声は段田安則)、なかなかないですよね。でもこういう作品はもっとあってしかるべきだなと思いました。いいことか悪いことかはともかくとして女ばかりの事態というものはあるのだし、でもそれがあまり物語にされていないのはあきらかに悪いことだろうとは思うからです。特に本邦は観客、読者、視聴者に女性の方が多いようであるだけに、なおさらです。
 しかし、この物語自体は、さすがカークウッドで胸くその悪いものなのでした。だが仕方がない、事実ほぼこんなようなことが山と起きていたのでしょうし、なんなら今もなお起きているからです。こうした事例が完全に過去になり、今は完全に根絶され、未来にも二度と決して起きない、と確信できるようになるまでは、上演され続けるべき作品だと思いました。残念ながらその道はかなり遠いものであることでしょう。
 1幕終わりが、暗転もありましたがその後に幕が下りるものだったので、2幕のラストも暗転のあと幕を下ろし、そして幕を上げてラインナップのカーテンコールとすればいいのにな、と思いました。幕に彗星の画像を映してもいいかなとも思いました。なんにせよ、いくら暗い中でも伏していた役者がゴソゴソ立ち上がるのとかがうっすら見えるのは興醒めでしょう。でも明るくなってもまだラストのポーズをしていて、そこからむくりと立ち上がりお辞儀し出すのはもっと興醒めなので、それはまだマシでした。
 ともあれ、物語は直前の暗転で最後の肝心のところを見せずに終わりますが、しかしそれはわずかな慈悲であってその後に何が起きるかは観ていれば全員が理解するものです。そしてリジーはその後ずっとその罪悪感に苛まれて生きていくことになる、という想像も容易くつきます。なんともしんどい、せつない、ひどい、救いのないお話です。しかしこれが事実であり現実なのでしょう。この二択に選択の余地はほぼないし、たとえもう一方を選択しても同じ地獄があるだけです。
 それにもまして悲しいのは、結局のところリジーとサリーの間になんらかの情愛みたいなものは生まれなかった、という厳然たる事実です。サリーは生きている間中その人生がひどいものすぎてつらすぎて、たかが最後の数時間ちょっと一緒にいただけでは何も芽生えなかったし、何も変わらなかったのです。そもそも彼女には聞く耳がなかった、聞く気がまったくありませんでした。そういう人間に育ってしまっていて、それはもう変えられなかったのです。彼女が最後にリジーに頼り甘えたのも、単に彼女を利用しているにすぎず、サリーはあくまで自分のためだけに生き、そして死んだのでした。もちろんそれはあたりまえのことではあるのだけれど。誰でも自分の生を生きるしかないのだから。
 ただ、普通は、家族とか、友人とか、隣人とかと関わり合い助け合って生きていくもので、でもサリーにはそれが天空の雲の間から現れた、理想の夢想の男の形になってしまったので、そしてそれは現実にはただの非道な悪党だったので、それでこんな犯罪が起きてしまったのだけれど、それをサリーにはどうすることもできなかった、というだけのことなのでした。
 そしてリジーも、娘のケイティ(神津優花の二役)を愛し慈しみ大事に育てている一方で、サリーには全然愛情を抱けなかったのだ…というのはまったく自然なことのように思えます。でもだからこそ、彼女はサリーの命を救おうとしたのです。少なくともサリーが妊娠していると言うならそれを証明してあげようとした、ハナから彼女を嘘つき呼ばわりすることなく、彼女が言うことを信じ証してあげよう、尊重され大事にされ正当な扱いを受けるよう動いたのです。単なる命乞いではなく、そういう法律があるからです。そしてそれが誰であってもリジーはそうした、自分が取り上げた命ならなおさら、ただそれだけなのです。自分が産んだ子供だから、という特別扱いは、逆に、ない。でもそれは、他人の意地悪な目からすると、残念ながらやや理解しがたいことなのでした。
 私は観ていて、リジーは聡明なキャラという設定なんだろうけれど、しかしこんなにまでってのはリアリティとしてはどうなのかしらん、とか思って観ていたので、真相がわかって一瞬ああそういうことかと納得しかけましたが、でもその分ムキになっているようなところはあれどやはりリジーは本質的には情より法を取るような固い考え方の人間とされているのだな、と思いました。そういう人ってわりといるけれど、そしてそれは悪いことではないんだけれど、でもやっぱり周りからはちょっと浮いてしまってヘンに扱われがちですよね…
 そして最後の最後に、リジーの法へのこのある種の献身はアリスの母、レディ・ワックス(明星真由美の二役)によってひっくり返されてしまうのでした。厳密には彼女に買収されたミスター・クームスの暴力によって。権力や金銭が正義を覆してしまうことなど、ずっとずっとあったことなのでした。そしてもっと言えば、とどめはリジーが刺すことになる…
 本当にひどい話です。女たちが揃ってても、連帯したりシスターフッドが生まれたり、というような単純な物語には全然ならない。女たちにもそれぞれ境遇や事情や考え方や出自や現況が違って、一枚岩になど全然ならない。性格も違うし、偏見も多いにある。対男性に対してすら一枚岩にならない。リジーにすら、この時代の男性偏重や女性蔑視に囚われてしまっている部分がある。そういう時代だったのだから当然です。そして今もそれはほとんどあまり変わっていないのだという恐ろしい現実…そういうことをまざまざと見せつける舞台だったのでした。
 色味のない衣装(衣装/前田文子)や装置(美術/伊藤雅子)の中でほぼ淡々と展開される裁判劇というか会話劇で、みんながみんなきちんとキャラ立ちしているわけではないのですが、とにかくまとまってはいない、一枚岩になんかならない、ということがよくわかる、とてもスリリングでおもしろい作品でした。役者もみんな達者ですがすがしかったです。
 ユーモラスなところもあるし、ひどすぎて笑っちゃうようなところもある。多産も流産や死産も更年期も鉗子や掻爬による内診も、みんな現代でもそのまんまのような、恐ろしいところも多々ありました。かと思えば煙突に飛び込んでくるカラスのような、いやこれまた昔はそうないことではなかったんだろうけれど、神話のような象徴的なエピソードをぶっ込んでもくる、多角的な作品だなと思いました。タイトルは天空、蒼穹といった意味の雅語、古語だそうです。
 理解を深めてくれるプログラムの寄稿三点がバラエテイに富みかついずれも秀逸でした。

 それにしても今回は座席がひどかった。前から2列目の最下手だったのですが、前列と床に段差も傾斜もなく、千鳥にもなっていないので前列の人の頭で舞台が全然見えませんでした。しかも女優たちが舞台前方によく来ては床に座り込んだり寝転がったりして体勢を低くするので、ますます何も見えないのでした。私はそもそも前で端より遠くてもセンター派なのだけれど、選べない以上、もっとどの席からでも視界を良くしていただきたいです。今回ならあの2列はつぶして、売ってはいけない席でした。
 一体に日本の劇場はもっと舞台を低く、客席を高くするべきではないでしょうか。役者は全身で演技をしているんだから、足下が見えないというのはあまり良くないと思います。でもちょっと役者が奥に行くと前方席からはもう役者の顔しか見えないとか、よくありすぎです。そもそも最前列を低く作りすぎているし、床に傾斜がなさすぎる、段差がなさすぎるハコが多すぎます。180㎝の男性を座らせて検証するのではなく(それで椅子を大きくするとか前の列との距離を広げるとかは大歓迎ですが)、160㎝の女性の視界で検討してもらいたいし、演出家はどこかの席から見切れる場所で役者に芝居をさせるものではありません。それか席料金をもっと細かく分けてくれ。同じ値段で視界に差がありすぎるのは問題です。強く抗議したいと思います。








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