駒子の備忘録

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イアン・マキューアン『未成年』(新潮社)

2016年06月06日 | 乱読記/書名ま行
 法廷で様々な家族の問題に接する一方で、自らの夫婦関係にも悩む女性裁判官のもとに、信仰から輸血を拒む少年の審理が持ち込まれる。聡明で思慮深く、しかし成年には数か月足りない少年。宗教と方の狭間で言葉を重ねるふたりの間には、やがて特別な絆が生まれるが…

 いろいろと考えさせられながら、じっくりと読みました。
 私は、ヒロインの裁判での判断は正しかったと思います。自分でもそうしたと思う。確かにこの世には命より大事なものはあると思うし、人の生命と意志とどちらが尊重されるべきなのか、というのはとても大きい命題だと思います。でもとりあえず相手は少年でした。たとえあと数か月で成人、だとしても今はまだ未成年であり、今はまだ両親の庇護の元、ある種の一方的な宗教教育しか受けていない。彼の可能性を一番に尊重して、彼自身から彼の命を、未来を救うべく、彼女は彼の意志に反して病院に輸血を命じ彼の命を救いました。
 とりあえず今生きながらえることができれば、将来、また死ぬこともできます。変な言い方ですが。人は誰しもいつか死ぬものではありますが。でも今死んでしまったら、もうそれで何もかも終わりなのです。死後の世界がどうとか来世がどうとか神の栄光がどうとかは、それこそ信心の問題であってそこまでは誰も責任が持てません。
 とりあえず今は、生命を優先するよう命令を下す。そしてそのあとのことには、関与しない。それが彼女の職業では当然の生き方なのでした。それはすごく納得できました。
 だからその後の顛末も、ラストも、納得なんですが、でもちょっとあっさりして見えてしまったかな…
 たとえばこれって、むしろ映画とかにした方がいいのかもしれません。彼女が受けた衝撃を、後悔とか怒りとか羞恥とかその他いろいろ湧き起こったに違いない感情を、いちいち言葉を連ねて書いても実はけっこう嘘くさくなってしまって、だから小説では意外と言葉少なになり、結果あっさり感じられてしまったのかもしれませんが、本当はあっさりなんかしているわけがないのです。人ひとりの命のことなのですから。
 彼女にはなんの責任もないし、だからむしろ理不尽な気すらしたでしょう。一方で彼の側にもいろいろと思うところはあったはずで、でも小説だと視点人物がヒロインにあるから彼の想いは彼のへたくそな詩から類推することしかできない。このあたりも、映像だともっとヴィヴィッドに表現できたろうなと思うのですよね。
 結果としては同じだったと思うのだけれど。これで正解だったと思うのだけれど。彼女は彼の望むようには応えられないのだし、それで彼が拗ねて人生を投げ出してしまったのだとしてもそれこそ成人になった今それは彼自身の問題で彼だけが責任を負うべきものなのですから。でもそういうことが、映画だとこちらにもっと伝わるのかなとも思いました。
 でも彼女がショックを受け怒り泣き落ち込んだことは十分伝わりましたし、わがことのように考えられました。それと彼女が夫と和解するかどうかは本当は別の問題のようにも思えますが、でも人生とはそうやって絡み合いもつれ合いながら進んでいくものなのでしょう。
 とりあえず彼女には情熱を傾ける仕事がありました。それが夫との間に亀裂を入れたのだとしても。そこがもしかしたら、真の意味での成年と未成年の差なのかもしれません。年齢ではなく。彼は成人したとはいえあたりまえですが学生のままで仕事を持たず未だ若く愚かで、情熱を捧げられる対象を持たず(詩をもっと書ければよかったのかもしれません)、だから人生に敗れてしまったのでしょう。もちろん病の再発ということはあったにせよ。
 悲しいことですが、仕方がないことだとも思うし、そういう非情さ、無情さを描くのもまたいい小説の視点のひとつかな、と私は思うのでした。


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