駒子の備忘録

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『おとこたち』

2023年03月15日 | 観劇記/タイトルあ行
 PARCO劇場、2023年3月14日18時半。

 大学卒業後に就職した会社を辞めて、新たな会社に勤める山田(ユースケ・サンタマリア)。子役として芸能活動開始、戦隊もので人気者になった俳優の津川(藤井隆)。大学も就職もストレートに突破し、製薬会社で営業職を務める鈴木(吉原光夫)。早く結婚するも、アルバイト先の若い女性(大原櫻子)と不倫している森田(橋本さとし)。4人の「おとこたち」の22歳から85歳までの人生に起こるさまざまな出来事、愛、不倫、老い、病、死、暴力などが描かれる、散々だけれども笑ってしまうような壮絶な人生の物語。
 脚本・演出/岩井秀人、音楽/前野健太。2014年に劇団ハイバイで初演、16年には再演された公演をオリジナル・ミュージカル化して上演。全二幕。

 ユースケが大好きで、キャストは知っている人ばかりだったし(女優のもうお一方、川上友里だけお初だったかも)、ハイバイの名前は知っていたけど観たことがなかったので、チケットを取りました。今見ると「平日指定早割」なるものでややお安かった模様。でも席を選んで買えたし、よかったです。
 でも…なんか、ダメでした。というかnot for meでした。よくできているとは思うしおもしろいとも思ったんだけれど、好きじゃなかった。私には関係ない話なのでそっちでやってよ、という気がしたのです。ほら、私はバリボーチームなワケだからさ。イヤこっちが勝手に観に来ているのにその言い種はないだろう、って感じなんですけれどね。すみません。でもこれが男たちの物語だというなら、最近だとそれこそ『ブラッシュアップライフ』という女たちの物語がちょうど対になるようにあったんだなあ、などとあとから考えました。まああれはテレビドラマでしたし、確か原案・脚本はバカリズムなので男性の手によるものなのですが。
 でもあちらは、女性四人が老人ホームでキャッキャして終わり、その後鳩に転生?するところまで描かれたじゃないですか。この作品も、老人ホームで終わるし途中に「リンリン輪廻」なる楽曲もあったわけですが、この差はどうよ…と思ったんですよね。そしてこちらはホモソーシャルですらなかったような…それこそが性差だよ、と言われたらまさしくそうなんでしょうが、ならホントそっちで勝手にやってよ、という気が私はしてしまったのでした。
 私はシスジェンダーヘテロセクシャル女性としてわりと男が好きなつもりでいたんですけれど、世の多くの女性同様に好きな男しか好きじゃなくて男全般はうっすら嫌い、というのは確かにありますね。そしてこの作品は、この四人の男性キャラクターたちを、名前もなんとなく振られている程度の無個性な、記号的な存在として描いているので、ただ好きな、知っている役者が演じているというだけでは好きにはなれない、魅力的にも感じられないように作られているので、つまり彼らをうっすら嫌いなまま話が進むのです。で、当然ながら、男性特有のしょうもなさや情けなさ、ふがいなさ、愚かなマッチョぶりや処女信仰やモテたがりや浮気や無責任やが、ミュージカルなのにごく淡々と描かれていく。愛とか革命とか世界平和とかを歌い上げちゃう系のグランド・ミュージカルとわざと逆を行く意図が、ここにはあるんだと思います。そして歌は皮肉にもみんなむちゃむちゃ上手い。だからその企画意図はとても鮮明で当たっていてよくできていて、しかしなのでこんなにも男の男による男のための作品なら男だけが観ればよかったね、観に来てごめんね、と私は思ってしまったのでした。
 自己憐憫に浸っていたとは思わないし、批評的な視線もあったとは思うんですけれど、でも結局女性からしたら「…で?」ってなりませんかねコレ? 何度も人生をやり直し、でも世界を救うとかよりは友達の事故死を防ぎたい、みたいな方向に話が転がり、やり直すための徳を積むために結果的にごくわずかではあるものの世直しをして、最終的には老いてしゃべりがややスローになりつつも元気で闊達で誰欠けることなく四人で笑って終わった(そして転生しても並んで電線に止まって楽しげだった)『ブラッシュ~』と、あまりに真逆じゃないですか。しかも『ブラッシュ~』は、女の人生のドラマときたら誰かの恋人になり妻になり母親になり物語のために殺されるようなものばかりだったところに、やっとやっと現れた、地元の仲良しで人生を終えられる画期的な作品だったのです。そういう新しさがありました。翻って男の日常ものって、十年一日どころか百年一日、イヤ千年も前から同じことがずーっと語られていないか?と思っちゃうのです。そして男たちはそこからどこへも行かない…いいご身分だよねえ、と思っちゃうのです。
 男たちは、正対しない、直視しない、向き合わない、常に目を逸らして逃げています。恋人から、妻から、子供から、親から、友達から、夢から、理想から、仕事から、世界から、自分から、目を逸らし続けている。でもそんなことはこの世が男社会だからこそ可能なモラトリアムなんです。女はどんなに綺麗でも頭が良くても、いやだからこそ、目を逸らして生きていくことなんてできない。生殺与奪を男に握られているからです。だから男を出し抜き、おだて、たぶらかし、そそのかし、気を逸らせ、コントロールして生きていくしかない。純子も花子も良子もそうでした。この「~子」としか名前が与えられていない女性キャラクターたちももちろん記号的です。だから別に好きにはならない。でも彼女たちは不倫相手の妻と向き合い、子供と向き合い、夫と向き合ってなんとかして生き抜いている。そこには共感できるのでした。だって私も女だから、そう生きているから。彼女たちが素に戻れるのは夢の中で子供に戻って家族を呼ぶときと、女性同士でママさんバレーボールチーム活動をするときだけなのでした。すごーくわかるよ、そこに男がいないことが…(男である父親に「お父さん」と呼びかけてはいますが、まあ種がないと生まれられないからそれは仕方ないよね…)
 こんなに意地悪なキモチになってしまったのは、ひとつにはユースケの前説が嫌いだったというのもあります。私はあそこには第四の壁があってほしいタイプで、どんな形でも客席いじりがあまり好きじゃないし、トークがおもしろくなくて笑えないのにお義理のように笑いたくないのです。しかも台本なんかないんだと思うんですけど、つまり大休憩に思いついたことをそのまましゃべっていたんだと思うんですけれど、その日は初のマチソワ公演日で、マチネはすごく盛り上がって、なので疲れたしソワレはもうやりたくない、みたいなネタで、私はとても嫌な気持になりましたが、周りはもちろんウケて笑っているわけです。こういうネタで笑いが取れちゃうし、それが許されている空間、空気に私はもうムカつきました。前説があること自体は企画意図としてわかる気もしたんですけれど、その意図がそもそも嫌い、というところからスタートして観てしまったというのは、あるかな。
 あとは一幕が冗長な気がしました。二幕の方が圧倒的におもしろく感じたけれど、でもそれは物語が収斂にかかっていたからかもしれません。壮年期までの順当な様子なんて、そらつまらないに決まっているのでした。
 でも役者はみんな歌も含めてとても達者でした。もちろんそうでないと成立しない舞台でしょう。それには感心しました。ただ、客席はやっぱり女性が多かったし特に二幕はよくウケて笑いが起きていて、私は心底怖いとげんなりしました。そうやって笑う笑いじゃなくない…? いやまあいいんですけれどね、この作品を観てああおもしろかった、って幸せな気持ちで劇場を出るというなら、それはそれで。そういう狙いの作品じゃない気が私はしていますが、といって私の感じ方が正しいと言いたいわけでもないので、別にいいです。セットもおもしろく(美術/秋山光洋)、よく考えられていたと思いました。
 そうそう、大音量が数分続く場面がある旨のアナウンスが事前にあったのがとても良いと思いました。実際にはごく上品なものでしたが(ゲーセン場面のことですよね?)。喫煙場面なんかについてもよくアナウンスがあるものですが、暴力とか流血とか点滅するような光量とか、センシティブなものは事前に警告して観客にせめて心の準備をしてもらう、というのはとても良い配慮だと思います。
 そもそもはグランド・ミュージカルのアンチテーゼとして作った作品ではないと思うけれど、ささやかな日常を大事にする作品なら、こうした繊細な配慮もあるべきですよね。そこは一貫していて良いと思いました。大阪、福岡まで、どうぞご安全に。








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