歌舞伎座、2024年12月6日18時20分、24日18時20分(第三部)。
『舞鶴雪月花』は作/萩原雪夫、作曲/十四世杵屋六左衛門、振付/二世藤間勘祖(六世藤間勘十郎)。1964年歌舞伎座初演の、ひとりの演者が場面ごとに次々と扮装を変えて何役も踊り分ける変化舞踊。雪月花のとおり、春、秋、冬を舞台にした三段構成。
初演は桜の精である娘、松虫、雪達磨を十七世中村勘三郎が勤め、松虫の子は十八世勘三郎(当時勘九郎)だったそうです。それを今回は勘九郎さんが演じて、松虫の子は次男の長三郎くんが勤めるという趣向。外題の舞鶴とは十七世勘三郎の俳名だそうです。エモ!
例によって踊りのことは皆目わからない私ですが、勘九郎さんの女形、というか娘役が珍しいことはわかります。最初こそ「デカ!」と思ってしまったものでしたが、はじらいつつもしとやかに楽しげに、匂うように踊る姿の可愛らしさは堪能できました。早替わりもすごかったですしね、どういうこと!?
場面転換も絶妙で、着替えに時間がかかるはずなのにまあ上手くつなぐんだコレが! 月明かりの薄野、親を探す松虫の子、そのはかなさいとけなさ…卑怯! 長三郎くんはしっかり踊っていました。
そして雪達磨…! 私は義太夫が今ひとつわからないので、炭屋の娘に岡惚れしていて心が燃えて朝日も昇るし溶け出しちゃう雪達磨…ってのは筋書を読んで知ったのですが、溶けて崩れ出す体に雪をかき集めては足して、立て直し…という仕草がユーモラスでやがて悲しき、でせつなくほろりとさせられました。これが一番好きだったかな。鮮やかで見応えある舞踊でした。
『天守物語』は作/泉鏡花、演出/坂東玉三郎、今井豊茂。1917年に発表された戯曲で、作家自身が上演を強く望んだ作品だったそうですが、生前は舞台化されず、1951年に新派で初演。55年に歌舞伎で初演、富姫は六世中村歌右衛門。以後たびたび上演される人気作。
播州姫路にある白鷺城の天守閣の最上階には、美しい異形の者たちが住み暮らしている。今日もこの世界の主である天守夫人富姫(坂東玉三郎)のために、侍女の撫子(中村歌女之丞)たちが白露を餌にして秋草を釣るのを、奥女中の薄(上村吉弥)が見守っている。にわかに雷雨が激しくなる中、美しく気高い富姫が帰ってきて…
今回は図書之助/市川團子、亀姫/中村七之助、朱の盤坊/市川男女蔵、舌長姥/市川門之助、近江之丞桃六/中村獅童。
去年、七さまの富姫に玉さまの亀姫で観たときの感想はこちら、そもそも大空さん富姫で初めてこの作品に触れたときの感想はこちら。
去年、長らく富姫を演じてきた玉さまが七さまにその座を譲って自分は妹姫役に回る、というので話題になったんですよね。それで私も観に行ったのでした。お歳のこともあって演じるお役、演目を絞っていっているようで、後進も育てつつ…ということなんだろうなあ、とその姿勢に感じ入ったのでした。で、それでもう『天守物語』からは引退か、と思っていたら、『ヤマトタケル』がよかったので團子ちゃんを図書之助に迎えて今一度…となった、というのです。そりゃもう行かいでか、で初日相手すぐくらいに出かけて、超よかったので楽間際を再度追加したのでした。こんなことしたの、初めてです。いずれも2等席、最初は一階後方から、次は二階席から観ました。
満月の緞帳を上手く使って、『ダフニスとクロエ』の「夜明け」をBGに、劇場内が暗くなり幽玄の世界へ…そこからはもう、不思議な異界の物語に魅せられていくのでした。鏡花のゆかしい日本語の台詞が本当に美しく、でも戯曲でも読みたくなりますね。
富姫も亀姫も、もともとは人間の女性でお姫様で、でも不幸な死に方をして異形の者となったような存在…なんでしょうか? 生首がお土産だわ、この歳で手鞠に興じようと言うわ、美しいだけにそら恐ろしいわけですが、それがまた素晴らしいわけで、去年も寄り添う姉妹のツーショ舞台写真を買いましたが、姉妹が入れ替わった今年もやっぱり買いましたよね…! あんな可愛い「お勝手」、あります!?
しかし一幕ものではありますが、この亀姫様来訪のくだりと図書之助が天守に上がってきてからのくだりは、ちょうど前後半で全然違うお話のようで、でもシームレスにつながって舞台は進むので、それがおもしろい舞台ですよね。花道のスッポンが階段になっていて、そこから図書之助のぼんぼりの灯りが見えてきたときの緊迫感たるや…! ところで私が観た二回では無事でしたが、ここで「澤瀉屋!」と大向こうをかけた馬鹿がいた回があったそうですね。心底残念です…! 大向こうにはしかるべきタイミング、なんなら演目があるのであって、この作品にはそもそも不似合いなのではないでしょうか。スターの出ハケへの拍手すら空気を壊すように感じられるときもあるというのに…海より深く反省していただきたいですね。
さてしかし、團子ちゃんの図書之助はそれはそれはもう素敵だったのでした。「時分の花」と言われているのも見ましたし、ある程度若い役者さんがやれば誰でもそれなりにハマるお役なのかもしれませんが、では逆に三十になっても四十になってもこの青く凜々しく爽やかな青年役をやってもらいたいな、と思いました。そしてそれとは別に、今回の図書之助もきちんと計算された演技でその凜々しさ、爽やかさを演じているのであって、ただ爽やかな青年が素で出ているわけではない、というのはちゃんと観て取れました。その演技が、芝居がよかったのです。
何より声がよかった…! 深く、低く、しかし青く、焦ったり戸惑ったり怒気をはらんだり恋心が募ったり、という心情を如実に反映して揺れ、色を変える声音。役者は声だよ!と痛感しました。
殿に命じられて仕方なく、あるいは鷹を逃がした責任感もあって、でも半ばやけくそのようにも天守に上がってきてからの、富姫の姿を認めてからの戸惑い、恐れ、憧れめいた敬慕。なおいいのが灯りを失っての再度の訪問の言い訳で、これまた半ばは単なる正論、理屈なんだけれど、要するに再度見たい会いたいから戻ってきたんだってのも絶対あって、そのあたりからもう富姫ならずともキュンキュンで帰したくなくなるわけです。というかこんな青くて清くて真面目一本な人は、下界ではそりゃ生きづらかろう、と素直に思えるわけです。彼は天守の世界に出会うべくして出会ったのでしょう…
ところで獅子(岸本康太、吉井勇太)が素敵でした。てか松竹はこのぬいぐるみを販売してほしい…! 獅子頭の目が傷つけられると、中に隠れていた富姫と図書之助の目も光を失う…というのは、なんでやねん、でありながらもさもありなんとも思える、不思議な展開です。そこへ現れた名工が獅子頭の目を直し、ふたりも再び互いの顔を見られるようになる…恋の成就、下界の戦の怒声を遠くに聞きつつ、夜が明けてすべて世はこともなし…実によくできた、美しい物語なのでした。好き!
團子ちゃんも憧れの祖父、二世猿翁も演じているこのお役を、こんなに若い時分にできて、得がたい経験になったことでしょう。思えば濃い一年でしたね、私も素人ながらさらにいろいろ観るようになって、より楽しかった一年でした。まだまだ古典には歯が立ちませんが、徐々に勉強していきたいです。良き歌舞伎納めとなりました、幸せでした…!
『舞鶴雪月花』は作/萩原雪夫、作曲/十四世杵屋六左衛門、振付/二世藤間勘祖(六世藤間勘十郎)。1964年歌舞伎座初演の、ひとりの演者が場面ごとに次々と扮装を変えて何役も踊り分ける変化舞踊。雪月花のとおり、春、秋、冬を舞台にした三段構成。
初演は桜の精である娘、松虫、雪達磨を十七世中村勘三郎が勤め、松虫の子は十八世勘三郎(当時勘九郎)だったそうです。それを今回は勘九郎さんが演じて、松虫の子は次男の長三郎くんが勤めるという趣向。外題の舞鶴とは十七世勘三郎の俳名だそうです。エモ!
例によって踊りのことは皆目わからない私ですが、勘九郎さんの女形、というか娘役が珍しいことはわかります。最初こそ「デカ!」と思ってしまったものでしたが、はじらいつつもしとやかに楽しげに、匂うように踊る姿の可愛らしさは堪能できました。早替わりもすごかったですしね、どういうこと!?
場面転換も絶妙で、着替えに時間がかかるはずなのにまあ上手くつなぐんだコレが! 月明かりの薄野、親を探す松虫の子、そのはかなさいとけなさ…卑怯! 長三郎くんはしっかり踊っていました。
そして雪達磨…! 私は義太夫が今ひとつわからないので、炭屋の娘に岡惚れしていて心が燃えて朝日も昇るし溶け出しちゃう雪達磨…ってのは筋書を読んで知ったのですが、溶けて崩れ出す体に雪をかき集めては足して、立て直し…という仕草がユーモラスでやがて悲しき、でせつなくほろりとさせられました。これが一番好きだったかな。鮮やかで見応えある舞踊でした。
『天守物語』は作/泉鏡花、演出/坂東玉三郎、今井豊茂。1917年に発表された戯曲で、作家自身が上演を強く望んだ作品だったそうですが、生前は舞台化されず、1951年に新派で初演。55年に歌舞伎で初演、富姫は六世中村歌右衛門。以後たびたび上演される人気作。
播州姫路にある白鷺城の天守閣の最上階には、美しい異形の者たちが住み暮らしている。今日もこの世界の主である天守夫人富姫(坂東玉三郎)のために、侍女の撫子(中村歌女之丞)たちが白露を餌にして秋草を釣るのを、奥女中の薄(上村吉弥)が見守っている。にわかに雷雨が激しくなる中、美しく気高い富姫が帰ってきて…
今回は図書之助/市川團子、亀姫/中村七之助、朱の盤坊/市川男女蔵、舌長姥/市川門之助、近江之丞桃六/中村獅童。
去年、七さまの富姫に玉さまの亀姫で観たときの感想はこちら、そもそも大空さん富姫で初めてこの作品に触れたときの感想はこちら。
去年、長らく富姫を演じてきた玉さまが七さまにその座を譲って自分は妹姫役に回る、というので話題になったんですよね。それで私も観に行ったのでした。お歳のこともあって演じるお役、演目を絞っていっているようで、後進も育てつつ…ということなんだろうなあ、とその姿勢に感じ入ったのでした。で、それでもう『天守物語』からは引退か、と思っていたら、『ヤマトタケル』がよかったので團子ちゃんを図書之助に迎えて今一度…となった、というのです。そりゃもう行かいでか、で初日相手すぐくらいに出かけて、超よかったので楽間際を再度追加したのでした。こんなことしたの、初めてです。いずれも2等席、最初は一階後方から、次は二階席から観ました。
満月の緞帳を上手く使って、『ダフニスとクロエ』の「夜明け」をBGに、劇場内が暗くなり幽玄の世界へ…そこからはもう、不思議な異界の物語に魅せられていくのでした。鏡花のゆかしい日本語の台詞が本当に美しく、でも戯曲でも読みたくなりますね。
富姫も亀姫も、もともとは人間の女性でお姫様で、でも不幸な死に方をして異形の者となったような存在…なんでしょうか? 生首がお土産だわ、この歳で手鞠に興じようと言うわ、美しいだけにそら恐ろしいわけですが、それがまた素晴らしいわけで、去年も寄り添う姉妹のツーショ舞台写真を買いましたが、姉妹が入れ替わった今年もやっぱり買いましたよね…! あんな可愛い「お勝手」、あります!?
しかし一幕ものではありますが、この亀姫様来訪のくだりと図書之助が天守に上がってきてからのくだりは、ちょうど前後半で全然違うお話のようで、でもシームレスにつながって舞台は進むので、それがおもしろい舞台ですよね。花道のスッポンが階段になっていて、そこから図書之助のぼんぼりの灯りが見えてきたときの緊迫感たるや…! ところで私が観た二回では無事でしたが、ここで「澤瀉屋!」と大向こうをかけた馬鹿がいた回があったそうですね。心底残念です…! 大向こうにはしかるべきタイミング、なんなら演目があるのであって、この作品にはそもそも不似合いなのではないでしょうか。スターの出ハケへの拍手すら空気を壊すように感じられるときもあるというのに…海より深く反省していただきたいですね。
さてしかし、團子ちゃんの図書之助はそれはそれはもう素敵だったのでした。「時分の花」と言われているのも見ましたし、ある程度若い役者さんがやれば誰でもそれなりにハマるお役なのかもしれませんが、では逆に三十になっても四十になってもこの青く凜々しく爽やかな青年役をやってもらいたいな、と思いました。そしてそれとは別に、今回の図書之助もきちんと計算された演技でその凜々しさ、爽やかさを演じているのであって、ただ爽やかな青年が素で出ているわけではない、というのはちゃんと観て取れました。その演技が、芝居がよかったのです。
何より声がよかった…! 深く、低く、しかし青く、焦ったり戸惑ったり怒気をはらんだり恋心が募ったり、という心情を如実に反映して揺れ、色を変える声音。役者は声だよ!と痛感しました。
殿に命じられて仕方なく、あるいは鷹を逃がした責任感もあって、でも半ばやけくそのようにも天守に上がってきてからの、富姫の姿を認めてからの戸惑い、恐れ、憧れめいた敬慕。なおいいのが灯りを失っての再度の訪問の言い訳で、これまた半ばは単なる正論、理屈なんだけれど、要するに再度見たい会いたいから戻ってきたんだってのも絶対あって、そのあたりからもう富姫ならずともキュンキュンで帰したくなくなるわけです。というかこんな青くて清くて真面目一本な人は、下界ではそりゃ生きづらかろう、と素直に思えるわけです。彼は天守の世界に出会うべくして出会ったのでしょう…
ところで獅子(岸本康太、吉井勇太)が素敵でした。てか松竹はこのぬいぐるみを販売してほしい…! 獅子頭の目が傷つけられると、中に隠れていた富姫と図書之助の目も光を失う…というのは、なんでやねん、でありながらもさもありなんとも思える、不思議な展開です。そこへ現れた名工が獅子頭の目を直し、ふたりも再び互いの顔を見られるようになる…恋の成就、下界の戦の怒声を遠くに聞きつつ、夜が明けてすべて世はこともなし…実によくできた、美しい物語なのでした。好き!
團子ちゃんも憧れの祖父、二世猿翁も演じているこのお役を、こんなに若い時分にできて、得がたい経験になったことでしょう。思えば濃い一年でしたね、私も素人ながらさらにいろいろ観るようになって、より楽しかった一年でした。まだまだ古典には歯が立ちませんが、徐々に勉強していきたいです。良き歌舞伎納めとなりました、幸せでした…!
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