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駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

宝塚歌劇星組『ANTHEM』

2025年01月26日 | 観劇記/タイトルあ行
 日本武道館、2025年1月20日19時。

 星組トップスターとして圧巻のパフォーマンスで宝塚歌劇を牽引してきた礼真琴が、アーティストたちの夢の舞台として数々の歴史的名ライブが行われてきた日本武道館で開催するコンサート。
 総合演出・ステージ制作/大田高彰(インターグルーヴプロダクションズ)、構成・演出/竹田悠一郎、作曲・編曲/太田健、玉麻尚一、Teje、編曲/手島恭子、振付/若央りさ、AYAKO、大村俊介、KAORIalive。100分。

 ちえちゃんのコンサート以来の武道館だった気がしますが、ありがたくもご縁をいただいて出かけてきました。てかアリーナ席、てか凸の形に出たエプロンステージに近い、右手前方ブロックにちえねね始め星バウチームがごっそり現れ、振り返れば隣のブロックの後方にあみちゃんやだいやなど花月下級生チームがごっそりいるという、とんでもないお席での観劇となりました…まあアリーナはフラットだし千鳥にもなっていないので、観にくいと言えば観にくかったのですが、前半のJーPOPコーナーはスタンディングでしたし、座ってからも基本的にはやや見上げる形でステージや映像を見ていたので、首はやや痛くなりましたが視界は良かったです。良すぎて結局目がうろうろしたり、スターがあちこち散って歌い踊るのでこちらもあちこち観ちゃって疲れる、という贅沢な悩みはありましたが…複数回観られればもう少しおちついて味わえたのでしょうが、それこそ贅沢な望みでしたよね。チケット、全然なかったですもんね…でもこっちゃんは「埋まらなかったらどうしよう」みたいなことを心配していたと言うんだから、トップスターというのも気苦労なものです。
 ご卒業後はドームクラスでコンサートをしたらいいのではないかしらん? 梅芸さん、押さえてあります??(笑)最近のスターさんは卒業後一発目はまず梅芸主催でコンサート、というのが定番の流れですが、梅芸のメインホールと国際フォーラム程度じゃファンは入りきらないと思いますよ。せっかくこれだけの大きなハコで映える素敵な構成、演出を手がけるスタッフとご縁が出来たのですから、これからも生かしていくといいと思うんですよね。
 そう、本当に構成と演出が良くて、宝塚のコンサートもやっとここまでお洒落になったか、という感慨が大きかったですよね…謎コントがなかったのもいいし。いわゆるジャニーズマンションとかの使い方といい映像といい、変なストレスがなくてとても良かったです。
 オリジナルの主題歌二曲に続いての前半は本当に振りきって最近のJ-POPにしたようなので、こっちゃんのカバーアルバムは一応ちゃんと買って聴いたのですがもちろん私の耳には素通り…プログラムには曲名の記載しかなかったので記録のためにもツイッターで拾った情報を以下書いておきますが、この日の日替わりコーナーはナオト・インティライミの「タカラモノ」だったそうでした。続けてHIPPYの「君に捧げる応援歌」、Da-iCE(なんなんだこの表記は、なんて読むんだ)の「CITRUS」、Goose houseの「オトノナルホウヘ→」、トロッコに乗ってサイン入りボールを投げながらAdo「私は最強」、緑黄色社会「花になって」、King Gnu「Stardom」、10-FEET「第ゼロ感」、いきものがかり「ブルーバード」、95期3人でドリカムの「何度でも」、こっちゃんとありちゃんでコブクロの「流星」、そしてリトグリの「ECHO」だったそうです。他に、プログラムに記載がなかったけれどWANIMAの「やってみよう」があったそうです。ワケわかってなくてすみません…
 そのあとは宝塚コーナー、というかこっちゃんトップ時代の作品コーナーになって、男役さんがこっちゃんのお役のお衣装を着てこっちゃんとデュエットし、娘役さんはショーのプロローグのお衣装を着て華やかに踊る…というコンセプトが秀逸すぎました。なのでここもいちいちプログラムに記載して欲しかったな…男役さんは新公主演した子、とか子役をやっていた子、とかいろいろいわれがあるようで、私はわかるものもそうでないものもありましたが、なかなかにエモでした。相手にメロディを歌わせて、ガンガンハモるこっちゃんがまたよかった! ショーのお衣装もやはりすぐわかるものが多くて、懐かしくて楽しかったです。ジャガビ十兵衛先生王家眩耀RRRロクモめぐ会い赤黒ロミジュリにディミトリ、1789記憶BIG FISH…最後後は退団公演の『阿修羅城の瞳』に向けて進んでいく…というような感じで、ここに『VIOLETOPIA』の「孤独」を持ってきたんだったかな? ニクいですね…!
 そのあとがヴィランズ・コーナーだったかな? 『オーム・シャンティ・オーム』の「バラ色の人生」、『エル・アルコン』の「宿命」、私が生で観られなかった全ツ『モンテ・クリスト伯』の「私から憎しみを奪うな」(娘役ポジションでこっちゃんにまとわりついてうっとり踊る天飛くん、卑怯!)、都優奈サマの圧巻の「お前のほしいもの」(『BIG FISH』より。ちょ、著作権は大丈夫なの??)を挟んで『ディミトリ』の「仕える王は私が選ぶ」をもちろんありちゃんで、からの『スカピン』(さあいつどの組で再演します?)の「マダム・ギロチン」、『エリザベート』の「最後のダンス」に再度スカピンの「栄光の日々」を全員で…鳥肌ものでしたね。「This is me」はここにあったんでしたっけ…?
 そこからはオーソドックスな宝塚ふうのブルーの変わり燕尾のお衣装になって、回替わりで「君の願いが世界を輝かす」と「Soranji」、そして「あなたがいることで」。『龍星』の「星を継ぐ者」があったのはここかな? 今はキキちゃんに抜かれてしまったかと思いますが、当時最長二番手期を務めていたトウコさんに当て書きされた曲ですよね。ちえちゃんもベニーも歌ってきました。正直、ものすごくいい曲かとか難しい曲かというとそんなこともない気もしますが、なんせタイトルがエモいし、こっちゃんもずっと大事にしてきて、やっと自分に歌うことを許したんだそうです。「礼」の一字をもらった憧れのちえちゃんの前で、歌えてよかったねえぇ…!というようなことの方に感動してしまいました。
 そしてオリジナルの「souls」、というセットリストだったようです。
 やはり武道館全体が恐ろしいサバトの場になってしまったような「マダム・ギロチン」がものすごかったですね…! 例によって私は買わなかったのですが、公式グッズのブレスレット型ライトは色や点灯タイミングの制御をスタッフ側がするものだったようで、ここがすべて真っ赤になったり「孤独」ではライトオフになったり、そういうのもとても良きでした。
 ひっとんがMSでこっちゃんとのデュエットを歌わなかったように、お芝居のヒロイン役を誰かにやらせなかったのがとてもよかったですね。私は見つけられなかったのですが、最前列どセンター席にひっとんもいた回だったそうです。ラジオ番組か何かで、芸能活動もしないことはないかもしれないけれどとりあえず栄養学の勉強をするつもりだと語っていたそうで、しばらくは学生さんになるのかな? そういう進路もとても素晴らしいと思います。でもこのときばかりは、元相手役、かつ最大最高のファンとして、とても楽しく懐かしくせつなくなったのではないかしらん…など思いはせました。
 あとは私はひたすら菜乃たんをガン見していましたよ…トートダンサーみたいだったとことか、めっちゃよかった! ガンガン踊って、跳ね回って、髪型もくるくる変えてて、ぴゃーっと明るいひまわりみたいな黄色が似合って…可愛かったです!!!
 でもありちゃんのマジdeアイドル感もホントやばかったですね…! 長めの髪でセンター分け、卑怯…!! 次代の星組も盤石なことでしょう。
 メモリアルな公演を生で観劇できて、よかったです。カテコで紹介されて、アリーナ席最後方のPA卓みたいなところでコンサートタオルをブン回していた竹田先生もサイコーでした(笑)。
 次に武道館公演をやれるようなスターが現れるのは、いつになるのでしょうね…それを楽しみにしつつ、見続けていきたいと思っています。









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十二月大歌舞伎『あらしのよるに』

2024年12月16日 | 観劇記/タイトルあ行
 歌舞伎座、2024年12月16日11時(第一部)

 満月の夜、ひとりの絵師(市川門之助)が筆を走らせる眼前には、月に照らされた荒野が広がっている。そこに現れたのは、このあたりを束ねる狼の長(中村獅童)とその息子である幼いがぶ(中村夏幹)。いじめられ、涙を浮かべるがぶに狼の長は「自分らしく生きろ」と教え諭す。励まされたがぶは、自分を奮い立たせるように「風の歌」を歌う。一方、どこまでも続く草原で「風の歌」を歌うのは、幼い山羊のめい(中村陽喜)と母のまつだった…
 原作/きむらゆういち、脚本/今井豊茂、演出・振付/藤間勘十郎。1994年にシリーズ第一作が刊行された絵本を原作に、2015年南座で新作歌舞伎として初演。翌年には歌舞伎座で上演されたものの5度目の上演。全2幕。二代目澤村精四郎襲名披露公演。

 がぶはずっと獅童さんで、めいはずっとマッティだったのが、夏の南座で壱太郎さん、そして今回が菊之助さんなんですね。獅童さんのお母様が歌舞伎化を希望されて、でも初演に間に合わず亡くなったんだそうな…泣けます。
 というかそういうのがなくても、ずっとずーっと泣いてました私…原作はミリ知らで、狼と山羊のお話、としか知りませんでしたが、動物ものが好きというか弱いというかってのもありますが、なんかもういじらしくて可愛くせつなくて…マジでずっと泣いていました。何も起きないうちから泣いていましたよ…
 嵐の夜に暗い中でともに雨宿りした仲で、「あらしのよるに」を合い言葉に再会したらお互いの正体に仰天して、でも友達になって…でも、「友達なのに、美味しそう」。たとえ子供向けの絵本でも、この視点があるんですよね。そこがいいし、怖いし、せつない。そして萌える…!(笑)『BEASTERS』は肉食動物の雄と草食動物の雌の恋愛ものなので、食欲に性欲も絡んでそれはまたタイヘンなわけですが、雄同士だとBLでもあるような、でもそれより捕食関係がより際立つような…で、なんかもう性癖というか究極の愛や友情や自己犠牲や…が絡んで刺さって、もう情緒がタイヘンでした。
 歌舞伎としてもおもしろかったし、子供の観客の笑い声もよく聞こえていたし、でも狼の客席登場には泣いちゃった子もいたという話も聞くし、でも大人から子供まで素直に楽しめる、だからこそこんな短期間に何度も上演されブラッシュアップされ続けている、良き演目になっているのではないでしょうか。感心し、感動しました。
 そして途中に突然ある襲名披露にもダダ泣きしました…一般家庭出身の人が歌舞伎役者になることの大変さを私はまだよく理解できていないと思いますが、やりたい人がやれて、がんばったら報われるといい、とはホント思うので、心から拍手させていただきました。
 さて、「あらしのよるに」は合い言葉であり、落下のショックか空腹ゆえの混乱かで記憶が飛んで、ただの狼になってしまってめいを食べちゃいそうになったがぶを、「友達」に戻す魔法の呪文でもありました。それでがぶは以前のがぶに戻って、めいと再び友達に戻れたのだけれど、でもやっぱり「友達だけど、美味しそう」であり、だからこの関係は愛であり呪い、なんですよね。自然の摂理には反している。でも…その絆を、信じたい。うそ寒く笑っちゃいながらも、すがりたい。だからシリーズが長く続けられるほど人気があったんだろうし、普遍的なドラマがあって映画や小説、テレビアニメにもなったのでしょう。新作歌舞伎っていろんなところから題材を取ってくるものですが、こういうのも素敵だな、と勉強になりました。ホント深いわ、歌舞伎の懐って…
 ところでよねきっつぁんのみい姫(中村米吉)も山羊だったんですね、イヤそういえばそんな感じのお衣装でもありましたが…なんとなく人間のお姫様で、母親や乳母の乳の出が悪くて山羊の乳を飲んで育ったので、山羊と話せる設定なのかなあ…とかわりと途中まで考えていました、すみません。何がどう姫なの? 山羊にも殿様がいたり、王家みたいなものがあったりするんでしょうか…
 ぎろは尾上松緑、たぷは板東亀蔵、ばりいが澤村精四郎、狼のおばばは市川萬次郎。竹本や長唄も素敵でした。はー、またいつか絶対に観たい! 







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宝塚歌劇雪組『愛の不時着』

2024年12月11日 | 観劇記/タイトルあ行
 北朝鮮の若きエリート将校リ・ジョンヒョク(朝美絢)は、韓国との軍事境界線近くの非武装地帯で不審な女性を発見する。パラグライダーで旅行中、竜巻に巻き込まれて不時着した、韓国の財閥令嬢ユン・セリ(夢白あや)だった…
 原作tvNドラマ執筆/パク・ジウン、ミュージカル演出/パク・ジヘ、台本・作詞/パク・ヘリム、作曲/イ・サンフン。潤色・演出/中村一徳、音楽監督・編曲/竹内一宏。2019年に放送された韓国のテレビドラマを22年に韓国ミュージカル化、24年に来日公演もされた演目の宝塚歌劇での上演。雪組新トップスター、朝美絢のプレお披露目公演。

 私は『冬ソナ』から十年ほどはわりとがっつり韓ドラにハマっていて、その後のヤング学園もの流行やK-POP流行にはついていけずなんとなく遠ざかり、コロナ渦からまたぼつぼつ見始めているのですが、無料で見られるBSしか見ないと決めているので、ネフリその他の有料サービスに課金しておらず、なのでこの原作ドラマも未見です。来日公演も観なかったので、ほぼ設定くらいしか知らずに行きました。舞台では省略されていた原作ドラマのエピソードや顛末などを紹介してくれるブログは観劇後に読んだのですが、今回の宝塚版が韓国ミュージカル版とどの程度同じだったのか、多少は改変されていたのかは知ることができませんでした。そのあたり、どうなんでしょうね?
 というのも、私にはどうもあまり出来のいい舞台に思えなかったからです。
 まあ、こういうものはファンが観たほうが何倍も楽しめるものだと思うので、本当は原作ドラマを履修してから観るべきだったのでしょうが、しかし本国でも全観客が全員ドラマを見ている…ということはなかなかなかったと思うし、一応、まっさらの人が観てもそれなりに楽しめるよう作るべきなんじゃないでしょうか。なので大胆なカットや改変があってもいいけど、ちゃんとお話がつながって見えるよう、意味が伝わるよう、丁寧に手を入れて作るべきだと思うんですよね。それが、こういう原作ものの中でも、今回はわりと雑な作りだった気がして、私はあんまり楽しめなかったのでした。原作はドラマなので三次元俳優が演じたものですが、テレビ画面で見るものだと考えて二次元とすると、どうにも質の良くない2,5感があったかな、という…原作ミリ知らでもキュンキュンした!と楽しんでいるような感想も見かけていたので、まあ受け取り方にもよるのでしょう。でも、私があーさをスターとして特に好きでも嫌いでもない(美形だとは思う。でもこういう美貌が私は刺さらないタイプなので…と、かつてれいこちゃんにも言っていたけどその後コロッと好きになったので、この先何があるかはわからないわけですが)のを別にしても、キュンキュンするにはちょっといろいろ足りなかったように思うのですよ…
 特に2幕。セリがパラグライダーで北に不時着する、というのは、まあないこともないかもしれない、と思えましたが、ジョンヒョクが南に来るのはかなり大変なことであるはずで、その後も特に秘密裏に潜入している様子はあまりなく、フツーにスーツ姿でセリの傍らに立っていたりして、今の彼はどの立場でこうしていられるの?と私はかなり謎でした。ヒヤヒヤすべきかニヤニヤすべきかわからなくて…
 官憲が必ずしも正義や公正の側に立っているとは限らない、ってのがこういう物語の構造の肝じゃないですか。セリ兄・セヒョン(桜路薫)みたいな財産家にせよジョンヒョク父・チュンニョル(奏乃はると)みたいなエリート軍人政治家にせよ、権威や権力、あるいは財産、もっと悪いことにはメンツなんかのために、ときには国家安寧のためとかなんとか言って結局は他人を自分の都合良くコントロールし虐げようとするものですよね。それに対して、単に相手を好きだから、とかだけではなく、彼女が不当に害されることがないよう守りたい、正義を貫きたい…という理由で動いているヒーローなんじゃないの? だからこそ愛するヒロインを守るために嘘の愛想づかしをする展開があるわけで、でも観客には彼のそうした心情もそうせざるをえない事情もわかっているからキュンキュンし、それがわからないから混乱し悲嘆にくれるヒロインに同情し共感して泣く…とかができるわけでしょう? でも今、そういうきちんとした、丁寧なお膳立てや説明が、上手くできていなくないですか? だから今何がどう争われていて、何を守るためにどう行動しているのかがよくわからないままに話が進んでいる気がして、単に駆け足でわかりづらい、というのとは違う雑さを感じてしまい、乗り切れないままあれよあれよと…って気が私はしてしまったんですよね。敵方として出てくるのが警察なのか軍隊なのかマフィアなのかよくわからなくて、どの程度のピンチなのかがよくわからないと、上手くハラハラできないでしょ?
 すわっちのチョルガン(諏訪さき)の逆恨みとか、ジョンヒョクの婚約者ダン(華純沙那)とか、セリの見合い相手スンジュン(瀬央ゆりあ)とか、いかにもザッツ韓ドラな布陣で、多分に類推できてそういうのにはニヤニヤできましたし、これは原作ドラマが見たいな、とは思えたんですけれど…やはり全体にちょっと空回りしている気がしました。役者はみんな熱演だったと思うんですけどね。
 あとは、ゆめぴろちゃんの韓国令嬢っぷりはとても似合っていて素晴らしかったと思うんですけれど(現代ものの韓ドラも華ドラも、スカート丈が日本の流行からするとめっちゃ短いので、キタコレ!とテンション上がりました。ただし膝の形があまり美しくなかったですね…残念)、あーさはこういう、朴訥で生真面目ででも誠実で不器用さもチャーミングで…みたいな男性像より、もっと違うところが、それこそスンジュンみたいなタイプのキャラを演じる方が魅力を発揮するのでは…と私には思えて、どうもハマりきれなかったのかもしれません。
 期待のエンリコも、ああいう役どころだと芝居のしようがなかった気がしましたしね…
 どうしよう、褒めるところがない…あ、北朝鮮の田舎の町のご婦人たち?はよかったです。ダサい服着ているんだけどこの中ではマダム、って感じの愛すみれがとてもよく雰囲気を出していたと思うし、ダサいジャージを着ていてもスタイルのいいあんこちゃんが、しかしちゃんと杓子定規で融通効かなさそうな演技をして見せていたのがとてもよかった。愛羽あやねちゃんの顔が最近めっきり好きなので、フィナーレ含めてガン見していました。またこの中に、ダサい服着たゆめぴろセリが混じって、しかしちゃんと掃き溜め(失礼!)に鶴感を出しているのは単に髪色が明るいからだけではなくて、ちゃんとセリとして発光していたからだと思いました。これはお見事でした。
 男役陣は…やっとしゃんたんの芝居をちゃんと観られた気がするなあ、くらい…? まなはるは安定。紀城くんとか、こんな扱いでいいのかな?と思わなくもない…もっと売り出さないといけないのでは…?
 またフィナーレが私はピンとこなかったんですよ。朝鮮ものだからって伝統衣装を持ち出すのは違うんじゃなかろうか、とか、このチョゴリの丈は娘役を太って見せるんだよなーとか、そもそも男女ともこの衣装では踊りづらそう…とかが気になりました。
 せおっちセンターのターンがあったのはすごくいいなと思ったんですけどね。別箱2番手でいいところをやる、って大事なことだと思うんですけれど、今回はそこを特出専科に持って行かれているわけで、でもフィナーレでちゃんとフォローする…というのは大事な気遣いだと思いました。
 デュエダンでゆめぴろがミニ丈ドレスなのはいいと思いましたが、でもならいっそ群舞のハナからバリッと韓国アイドルふうのダンスでもよかった気がします。野口先生がさんざんやってるヤツ…ゆめぴろのヨジャドル姿なんてハマるに決まってるじゃん!
 年末は忙しいので梅芸遠征を入れませんでしたが、私的には正解だったかな…チケットを押さえていたら、遠征を億劫がって即手放していた気がします。でも二度観たら楽しめたのかもしれません、すみません…
 あーん、もうちょっと単純にキュンキュンしたかったよおぉー!!!
 とりあえず、前作の全ツでもお似合いっぷりは十分わかっているので、新トップコンビのプレお披露目にはなんの不満もなくめでたく寿ぎたいです。次作の本公演に期待します!







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錦秋十月大歌舞伎夜の部『婦系図』『源氏物語』

2024年10月26日 | 観劇記/タイトルあ行
 歌舞伎座、2024年10月19日16時半。

 仁左玉、そして玉三郎六条に染五郎光源氏とあって完売した今月の夜の部ですが、お友達のピンチヒッターで急遽行けることになりましたありがたや。もしかしたら私が仁左衛門さんを生で観るのはこれが初めて…かもしれません。人間国宝カップル、堪能させていただきました。
『婦系図』は作/泉鏡花、演出/成瀬芳一。1907年の新聞小説で、翌年新富座で初演(脚本/柳川春葉)。新派の代表的作品だそうで、歌舞伎座では1981年以来の上演とのこと。今回は「本郷薬師縁日」「柳橋柏家」「湯島境内」の上演。
 柳橋で全盛の芸者・蔦吉(坂東玉三郎)は若きドイツ語学者の早瀬主税(片岡仁左衛門)と愛し合う仲となり、芸者を辞めて飯田橋の主税の家で一緒に暮らしている。しかしこれは主税の恩師である酒井俊蔵(坂東彌十郎)の許しを得ていないため、お蔦は世間を憚る身であった…
 というところからの、恩師の叱責に血を吐く思いで別れを承諾する男…という場面と、それだけで単独でも繰り返し上演されるという男女の別れの場面、という構成です。しかし「俺を棄てるか、女を棄てるか」と迫る恩師ってのはすごいな…この台詞は知りませんでしたが、「別れろ切れろは芸者のときに言う言葉、今の私にはいっそ死ねとおっしゃってください」ってのと「静岡って箱根より遠いんですか」は知っていて、わあこの作品のものだったのか!となりました。
 もともとの小説は、主税が恩師の娘の系図調べ(身上調査みたいなものかな? 実は生母が蔦吉の姉芸者で…という筋があるらしい)をしてきた縁談の相手方の乱脈ぶりを暴く…みたいな報復劇だそうですが、芝居は主税とお蔦の純愛を中心に脚色されているそうです。そして湯島境内の場面はそもそも原作にはないのだとか…おもしろいものですね。
 仁左衛門さんはちょっと声に張りがなく感じられたり、回によっては足下がおぼつかなげなときもあったそうですが、ちゃんとそれなりの歳の若造に見えるんだからそれはたいしたものだと思いました。そして初デートに浮かれるお蔦の玉三郎さんがもうホントきゃいきゃいしていて可愛いのなんのって! 普段日陰の身なんで、初めて自分の男と連れ立って出かける…ってシチュエーションにハイになっていて、ウザいギリギリのはしゃぎようで、いじらしくて…それが後半の涙、涙の展開に効いてくるのでした。素晴らしかった!
 歌舞伎の幕引きって「ここで終わるんかーい!」ってなものが多い、と私は個人的に考えているんですが、この場面に関してはこれしかないという感じで、絶妙でした。
 でも前後の話もちゃんと観たい、とも思いましたよ…この「婦」は「おんな」と読みます。「職業差別や男の立身出世を第一とする風潮が根強かった時代の悲劇」、まさしく…でした。

 後半は新作、なのかな? 脚本/竹芝潤一、監修/板東玉三郎、演出/今井豊茂による「六条御息所の巻」で六条御息所/玉三郎、光源氏/染五郎、左大臣/彌十郎、葵の上/時蔵。盆の上にいくつもの几帳が並び、盆が回ると左大臣邸から六条御息所の邸に場面が変わる、美しくもスタイリッシュなセット(美術/前田剛)がとても印象的でした。
 染五郎の光源氏はそら輝くばかりの美しさ、そしてそれを嵩にかかった傲慢さ…絶品でした。それに対して恨みがましい、賢しらで素直でない年上の女の玉三郎六条…重い、たまらん!
 しかしラストは解せませんでした。六条が葵を取り憑き殺し、高笑いして、光源氏が泣き濡れて床に突っ伏して終わるようなラストこそふさわしいと思うのだけれど…息子も無事産んで家庭円満、光源氏と葵と赤子でわっはっはと笑って終わるとか、『源氏物語』を舐めてんのか!?とかちょっと思っちゃいました、すみません。夜の部でくらい終わり方はどうか…とか配慮したのかもしれませんが、むしろ光源氏の愚かさに震えて我が身を反省し、帰宅して家人に優しくするまでがセットでしょう。もったいないというか、ぽかーん案件で残念でした。
 今回の夜の部は新派と新作なので歌舞伎材の大歌舞伎らしくない、とも言われているそうですね。この世界もいろいろあるんだなあ…昼の部の『俊寛』は観てみたかったです。
 若手と共演して芸を伸ばすことに熱心な玉三郎さんは、再来月は團子ちゃんと『天守物語』をやってくれるんですよね…! 楽しみすぎです、絶対観ます!!










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『A NUMBER』『WHAT IF IF ONL』

2024年09月14日 | 観劇記/タイトルあ行
 世田谷パブリックシアター、2024年9月11日18時。

 1幕は25分ほどの『WHAT~』。愛する人を失って苦しみの中にいる某氏(大東駿介)は、もしもせめてあのときああしていたら…と果てしなく続く自分への問いかけと叶わぬ願いを抱えている。そこへ起きなかった「未来」(浅野和之)が現れて…
 2幕は65分ほどの『A NUMBER』。ソルター(堤真一)の息子バーナード(瀬戸康史)は、自分にはコピー、つまりクローンがいるらしい、というショッキングな事実を知るが…
 作/キャリル・チャーチル、翻訳/広田敦郎、演出/ジョナサン・マンビィ、美術・衣裳/ポール・ウィルス。Bunkamuraの海外演劇シリーズ「DISCOVER WORLD THEATER」第14弾。
 途中まで観てやっと「あれ? 私コレ観たことあるな」と思った『A NUMBER』の、前回感想はこちら
 今回はチャーチルのふたり芝居(『WHAT~』にはもうひとり、子役も出ているけど)のダブルビル、みたいな企画だったのでしょうか。でもトータル110分の上演時間なら18時半か19時の開演でもよかったのでは…子役(この日はポピエルマレック健太朗)がカテコまでいるにしても時間は大丈夫だったのでは…とは、思わなくもありませんでした。
 舞台は、あちこちに立方体の箱が吊られていて、そのひとつひとつが部屋というか家というか物語、というイメージなんだと思います。中央の大きな箱の蓋が持ち上がると(ホールケーキの箱の蓋みたいな感じ?)某氏のダイニングキッチンだったり、ソルターのリビングだったりします。某氏の家には扉も窓も冷蔵庫もあってそこから過去や現在や未来が出入りするのですが、ソルターの家には窓も扉もないただの壁で、閉塞感があるのが怖かったです。
 ただ…『WHAT~』は、喪失感が癒やされていく話…なんだと思うのですが、短すぎるし、愛した相手を自殺で失った者の悲しみがそんなに簡単に癒やされるもの?と思ってしまい、正直ピンときませんでした。これを浅野和之がやる意味があったのだろうか、とかも…そもそも戯曲では某氏は若い女性を想定していた、ともありましたし…うぅーむ。偶然にも、作者もこれを書き上げた一年後にパートナーを亡くしたそうですが、私はそうした身内や親しい人を亡くした経験がこの歳までほぼないので、こういう喪失感が想像つきづらい、というのはあるのかもしれません。祖父母とは疎遠でしたし、近くて何度か遊びに行ったお友達のお母さんが交通事故で亡くなったくらい…? 今から親との別離を思ってどんよりしているていたらくですので…
 そして『A NUMBER』は、以前観たものの方がソルターが精神的マッチョで、全体として皮肉な、怖いお話になっていて、よかったような気がしました。今回の演出は、ソルターをもっと普通の、なんなら紳士的な、ちょっと気の弱いいい人…っぽく描いている気もしましたが、それは堤真一のキャラのせいなのかしらん? でもこの人だって高圧的な芝居をしようと思えばいくらでもできるわけでさ…やはりそういう演技プラン、演出ってことですよね? ラスト、映像でわらわらと現れるいろんな格好をしたいろんなバーナードに呆然とするソルター、という図は彼を哀れにも思わせました。でもソルターがどんなにしょんぼりしようと、マイケルはともかくB2のショックとかは癒やされないんだと思うので、そういう見せ方はちょっと違うんじゃないの?と私は思わなくもなかったのです。
 あとなんか翻訳も違和感があったかも。そもそも不完全な、だからこそリアルな文で書かれた脚本だそうで、現実の会話ってそういうものだとも思うんだけれど、それにしても繰り返しとかブツ切れ感とかが多すぎやしなかったかしらん、と感じてしまいました。プログラムにあった「戯曲の翻訳は『作家が伝えたい言葉』ではなく、『作家が舞台上で何かを起こすために書いた言葉』を翻訳する作業」だ、という言葉にはとても納得するんですけれど…うぅーむ。
 でも、芝居巧者ばかりのがっつり芝居がぎっちり楽しめる2時間、よかったです。子役がダブルキャストなので、3組の「ふたり」が置かれたスタイリッシュなポスターも印象的でした。タイトルの公式表記がすべて大文字なのか、小文字混じりなのかは統一していただきたかったと思いますが…
 福岡まで行くんですね、どうぞご安全に!









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